STREGATO(ブラバンダー×ガナッシュ)

同盟ファミリーとの大切な会合の日に熱を出したガナッシュの話。

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「熱がありますね」
体温計の数字を見つめて、若い医師はきっぱりと言った。
「風邪、というわけではないようです。疲れがたまっているのだと思います。心配なさるほどではありませんが、念のため大事をとって休むのがいいでしょう。今日、明日と安静にしていればすぐに元気になるはずですよ」
「そうか」
嵐の守護者コヨーテ・ヌガーは顎をさすり、ふうむと息をついた。
「そういうことなら仕方がない。医者の言うことには従わんとな。――おい。ちゃんと聞いていたか、ガナッシュ。言われたとおり、せいぜいしっかり寝ておくんだな」
「そりゃないぜ、コヨーテのおっさん……」
白い毛布の中から火照った顔を突きだして、力なくガナッシュは答えた。
「今日のこの日のためにオレがどれだけ時間を費やしてきたか、知らないわけじゃないだろ。本当に寝てなきゃだめなのかよ?」
「当たりまえだ」
怒ったようにコヨーテは言い、医者の手から薬の入った袋をぶんどってぶっきらぼうにガナッシュに投げつけた。
「それを飲んで休んでいろ。無駄口を叩いてると、治るものも治りゃしねえぞ」
「そりゃそうだけどよ……」
うんざりした調子を声にふくませて言ってから、しまった、と口元を押さえる。コヨーテが、うんざりしたいのはこっちだ、と言わんばかりの視線で睨みつけているのに気がついたからである。
頭が重い、と最初に感じたのはつい昨日のことだ。起きがけに頭がくらりとした気がしたが、それ以上は気にもとめなかった。過密なスケジュールにおいて、些細な体調の変化を気にかけるほどの余裕はガナッシュにはなかった。
顔色が悪いと最初に指摘したのは霧の守護者クロッカン・ブッシュだ。――おい、大丈夫か、ガナッシュ?
「ん? 何が?」
心配そうに見つめてくるクロッカンなど知らぬげに、ガナッシュはイワシのたっぷり入ったトマトソースのスパゲッティをくるくるとフォークに巻きつけては急ぎ足に口に運んでいるところだった。次の会議の開始時刻がすぐそこに迫っていたのだ。
「顔色があまりよくない。風邪か?」
「風邪ぇ? 確かにちょっとばかし頭が痛い気もするけどよ、気のせいさ。食べてよく寝りゃすぐに治るって!」
「……無理はするなよ」
クロッカンはなおも心配そうにしていたが、ガナッシュがあまりにも明るくふるまうのでそれ以上は追求するのをやめた。あとは最近の仕事の進みぐあいや日本にいる十代目の話題など、とりとめのないことを数分話してその場は別れた。夕方になってようやく会議が終わり、夜食をとりながらパソコンと書類とにらめっこをして――そして今に至る。
「とにかく」コヨーテは疲れたように頭をふり、立ちあがってスーツの襟をただした。
「今日のバレーナとの会合にはおまえは連れていけねぇ。たっぷり寝てさっさと体調を戻せ。それが今のおまえにできる最善のことだ」
「……わかったよ」
「本当だったら無理にでもおまえを連れていくところだがな、医者が休めと言うんだから仕方がねぇ。バレーナのばあさんはおまえのことがえらく気にいっているようだから、おまえさえ連れていけば今日の話もとんとん拍子にまとまると思ったんだが」
ガナッシュは乾いた笑いをもらした。バレーナのばあさん、というのは同盟のバレーナファミリーの女性ボスのことだ。
ファミリーを束ねるバレーナ家は代々優秀な「幻術使い」を輩出しており、現当主である彼女もかつては高名な術士として名を馳せていたという。最近になってややその能力に衰えが見えはじめたものの、齢七十を過ぎてなお手あたり次第に若い男に目をつけ、自分の閨に誘いこんではその精(同じく術士であるクロッカンが言うには、死ぬ気の「炎」のような一種の生命エネルギー)を吸いとって力を蓄えているらしいともっぱらの噂だ。
しかも近頃はこのガナッシュ・IIIがお気にいりらしく、顔をあわせるたびにやたらと身体をくっつけてきたり、皆が見ていないところで大胆に腕や胸を押しつけてきたりする。ガナッシュはいいかげんうんざりだったのだが、なんとしてでも話しあいをボンゴレ優位に進めたいコヨーテがこれに目をつけたため、バレーナとの会合にはきまってガナッシュが釣り餌がわりに駆り出されることになったのだった。
「ガナッシュが行けないんじゃあな、今日は別のやつを連れていくか。そうだな……ブラバンダー。あいつを連れていく。今はローマ近郊にいるはずだったな。連絡がつきさえすれば予定の時間にもじゅうぶん間にあうだろう」
「ブラバンダーを!?」
ガナッシュは毛布を跳ね飛ばす勢いで起きあがり、さっそくブラバンダーと連絡をとろうとしているコヨーテの腕につかみかかった。
「やっぱりオレが行くよ! オレが行く! あいつはこういうの苦手なんだ、向いてないんだって!」
「なんでてめぇにそんなことが分かるんだ」
むっとしたようにコヨーテは言い、ガナッシュの手をふりほどいて携帯端末を耳にあてた。
「結果がどうなるかなんて、やってみるまでは誰にも分からん。おまえがブラバンダーをどの程度の男だと思ってるのか知らんが、他人の心配をするひまがあるならさっさと寝床に入って横になってろ」
「そりゃそうだけど……いや、本当にオレが行くって。行くよ。オレじゃなきゃだめなんだって、そう力説してたのはあんたじゃないか」
ガナッシュはあわてて毛布を蹴りとばし、ベッドから飛び降りた。
「大丈夫、これくらいの熱どうってことないさ。薬を飲んでちょっと休めばすぐに良くなるって。空港まで三十分、飛行機に乗ってるのが二時間として、ほら、二時間半も寝ていられる。ローマに着くまでにはきっと」
「――うるせぇ!」
コヨーテがいきなり怒鳴った。
ガナッシュは怒った主人を前にした犬のような顔になり、びっくりした医師があわてて壁際まで飛びさがった。
「つべこべ言わずにさっさと毛布をかぶれ、このくそガキ! いつまでも手間かけさせやがって、そんなにオレに殴られたいのか!?」
コヨーテの義手が突き破る勢いでシーツを叩き、金属でできたベッドが気味の悪い悲鳴をあげた。ガナッシュは子どもの頃のようにびくびくしながら老人を見あげ、口ごたえしたことを今更のように後悔した。
「そもそもてめぇがこんなときに体調を崩すのが悪いんだ! 風邪だの熱だの、前もって気をつけておけばそんなもんにわずらわされるこたぁねえ、体調管理がなってねえんだよ、体調管理が! 七十過ぎのジジイにこんなことを言われて悔しくないのか、ええ!?」
「コ、コヨーテ……オレはただ……」
「黙れ! オレに反論する権利などてめぇにはこれっぽっちもありゃしねぇ、ガキは黙ってオレの言うことを聞いてりゃいいんだ!」
怒声が部屋全体をゆるがした。コヨーテは疲れたように息をつき、ぜいぜいと肩を丸めた。コヨーテの手の中で握りつぶされそうになっている端末から、もしもし、と低い声が繰りかえし響いていた。
「ブラバンダーか?」思いだしたようにコヨーテは端末を耳にあてた。

それからのことは、うすぼんやりとしか覚えていない。
いつコヨーテと医師が部屋を出ていったのかも、薬を飲んでからいつごろ眠りについたのかも、まったくといっていいほど記憶になかった。かすかな息苦しさで目を覚ましたガナッシュは、寝返りをうち、うなされるように頭をふった。
外は雨と風が強くなってきたようだった。そういえば天気予報では夜に雨が降ると言っていた、そうか、もう夜なのか、と思い、ふいにコヨーテたちのことが気にかかって自分専用の携帯端末に手を伸ばす。連絡は何も入っていない。バレーナとの会合がまだ続いてるのだろうか?
(オレが行くって言ったのに)
端末をほうりだし、鼻先まで毛布をかぶって身を丸める。
(初対面のやつと簡単にうちとけられるようなタイプじゃないんだ、あいつは――。しかもその相手がよりによってバレーナのばあさんだなんて)
ぼんやりする頭でブラバンダーの顔を思い返す。今ごろ、バレーナのボスに寄りかかられながら酒でも飲んでいるのだろうか。
傷だらけの顔をほんのり赤くさせてうつむいている姿が容易に想像できた。もしバレーナのボスがブラバンダーを気にいったら、コヨーテはいそいそと彼をバレーナに送りだしつづけるに違いない。たいていの女性にはびっくりされたり怖がられたりすることの多いブラバンダーだが、若い男とあらば見境のないあのバレーナの女ボスのこと、たとえ大半の人間が怖がって近づかないような男が相手であっても、彼女なら、いや、彼女だからこそ興味を持つ可能性は充分にあった。
仕事上の付きあいとなれば内心はどうあれブラバンダーも彼女を無下にするようなことはしまい。いや、それどころかブラバンダーの方が彼女に興味を持つという可能性もないとは言い切れない。あの無口で無表情な剣士はあれでなかなか女に惚れやすい。自分に優しくしてくれる女性ならなおさらだ。たとえそれが自分より三十も四十も年上の女性であったとしても。
確かに、ある意味魅力的な女性ではある。さすが人間の精を吸いとっているだけあって――それとも幻術によるものなのか――年齢よりずっと若く美しく見えるし、少しばかり化粧が濃いような気もしないではなかったが、彼女のただよわせる妖艶な雰囲気や仕草はある種の気高さと高貴なにおいを感じさせた。九代目が彼女のファミリーと交友関係を保ちつづけるのも、もしかするとどこかしら彼女の力に惹かれるところがあったのかもしれなかった。
まずいな。毛布の中でガナッシュはぶるっと身震いした。万が一ブラバンダーがバレーナのボスに気を許すようなことがあれば、もっとも恐れていたことが現実になる可能性がある。しかも、当初予想していたのとはまるっきり逆の形で――。

「なあ。もしオレがバレーナのばあさんに食われたらどうする」
二週間ほど前、ガナッシュはブラバンダーの部屋に押しかけてそんなことを尋ねていた。
ありえないとは思いつつも、バレーナのボスの積極的な行動に徐々に身の危険を感じはじめていたのだ。もちろん、相手がただの女性なら丁重に断ればいいだけの話である。しかし相手は同盟ファミリーの女ボス。なおざりにするわけにはいかない。
噂はあくまで噂に過ぎないということも、いざとなったらコヨーテが救いの手を差しのべてくれるだろうこともきちんとわかっている。しかし、小さかったときにさんざんコヨーテに叱りつけられたガナッシュにはあの老人が自ら自分の手助けをしてくれるところがどうしても想像できなかった。救いとなぐさめを求めるとすればあとは恋人ぐらいなものである。
「は?」
しかし、その問いかけがあまりに唐突だったので当の恋人は困惑極まりないという顔でガナッシュを見るしかない。
恋人のなかばあきれかえったような表情に気圧されつつも、ガナッシュは負けじと続けた。
「何度も言わせるな。いいか、よく聞けよ。もしオレがバレーナのばあさんに……」
「待て。何の話だ。バレーナ?」
「オレが七十過ぎのばあさんに身体の関係を迫られたらって話だよ!」
身も蓋もない言い方に、ブラバンダーは一瞬大きく目を見開いた。
そしてしばらくの沈黙ののち、またいつもの無表情に戻るとベッドのふちに腰かけて読みかけの本をぱらぱらとめくりだした。
「なんの心配をしているかと思えばそんなことか。どこかで聞いたことがあるな、バレーナの女ボスは幻術の能力維持のためにしばしば若い男を自分のベッドに誘い、精を吸って力を蓄えていると。それがどうかしたのか」
「おいおい、オレにとっちゃ一大事なんだぞ!」
ガナッシュはブラバンダーの手から本をとりあげ、挑むようにその顔を覗きこんだ。「それに、おまえにとっても」
「オレにとっても?」
「ああそうだ。おまえ、七十過ぎのばあさんに自分の恋人をとられてもいいのかよ?」
「その人に会ったことがない以上、なんとも言えんな」
ブラバンダーは軽く肩をすくめた。「第一、噂は噂に過ぎん。本人に確認するか現場を押さえないかぎり確証が持てない。しかもバレーナはボンゴレの古くからの同盟だ。そのボスともなれば、行動の是非はともかく、地位、名誉、権力、どれをとってもおそらく申し分のない女性なのだろう。そのような人におまえをとられてもオレには文句は言えん。言ったところで誰かにもみ消されるのが関の山だ」
「なんだよそりゃ。もっとこう……気のきいた回答はないのか? 怒るとか、嫉妬するとか、探せばいくらでもあるだろうに。そんな現実味のある答えを求めてるわけじゃないんだ、オレは」
ガナッシュはむっとしてブラバンダーに背を向けた。
この程度のことで堅物のブラバンダーが甘い言葉をかけてくれるわけがなかった。分かりきっていたことではあったが。
「怒ったのか?」
不思議そうにブラバンダーが言った。
「ああ、怒ったさ。怒ったとも」ガナッシュはふり返らずに言葉を続けた。「恋人を奪われるかもしれないってのに、そんな澄ました顔で正論を述べるやつがいるか。おまえは相変わらずの頭でっかちだ、ちくしょうめ」
「そういうおまえはどうなんだ」
抑揚のない声でブラバンダーが尋ねた。
「もしオレが、別の誰かとそういう関係になったらどうするんだ」
「……妬くよ」
ガナッシュは言った。
「妬いて、泣きつくして、それから怒るさ。ガキみたいにわめいてやる。おまえのところに押しかけて、いやというほどオレのよさを教えてやる。別の誰かに心変わりしたことを後悔させてやる」
ブラバンダーは目を丸くしてガナッシュの背を見つめ、腕を伸ばして恋人の肩を抱きよせた。
「機嫌直せ」
「……ブラバンダー」
「オレだって、他人におまえをみすみす引き渡すつもりはない」
ガナッシュは眉を寄せ、ふいに泣きそうな顔になって、崩れるようにブラバンダーの腕に寄りかかった。
「おまえが好きだよ、オレは」
情けないほどに声が震えた。「どうしようもないくらいにおまえが好きだ。好きなんだよ――」
目を閉じ、ブラバンダーの首元にきつく顔を押しつける。汗と、雨あがりのクチナシのような香水のにおいがした。

(――そうだ。あの時は自分の心配さえしていればよかったんだ。それが今じゃまるっきり逆の立場だ。ブラバンダーの方がばあさんに食われるかもしれないうえ、オレは熱で寝込んでる。待っていることしかできない。いったいどうしろっていうんだ)
もしも身体が自由に動いたなら、今からでもバレーナへすっ飛んでいき、女ボスとブラバンダーのあいだに割って入ってジャッポーネ流に手酌のひとつでもしてやっただろう。そうでもしないかぎり、あのブラバンダーが器用にバレーナの誘いをすり抜けられるわけがない。
まじめなブラバンダーは、それがボンゴレのためになるのだと判断したらきっとどんなことでも受けいれるだろう。たとえそれが苦痛や死であったとしても――あの男はそういう男だ。
待っていることしかできないこの状況がひどくもどかしい。考えれば考えるほど頭ががんがんした。目を閉じてなんとか眠りにつこうとこころみるが、とっくの昔に眠気は吹き飛び、どろどろした気だるさが身体にまとわりついている。
(もしも、もしもだ。バレーナのばあさんがブラバンダーのことをひどく気にいったとして、あのくそまじめなブラバンダーがそれに応えようとしたら……。仮定の話でなく、もし本当にそうなったら……。ちくしょう。想像するだけで胃のあたりがむかむかする。コヨーテに怒鳴られるのを覚悟でバレーナのところへ行っちまおうか。今からでも遅くはねえ、あいつを助けに――)
ふいに、ひやりとするものが額に触れた。
「あ?」
ガナッシュは薄目を開けて、傷だらけの顔がじっとこちらを見つめているのに気がついた。
冷えた手のひらが自分の額にそえられている。
「ブラバンダー?」
「……ああ」
唇の端がかすかにあがった。
ガナッシュは二、三度またたいてから、ブラバンダー!? と声をあげて起きあがった。
「なんでここに……!」
そう言いかけて、くらりとした頭を押さえてベッドに伏せる。ブラバンダーが毛布を肩まで引きあげ、毛布の上からぽんとガナッシュの肩を叩いた。
「横になっていろ。熱があるんだろう」
「……なんで」
呻くようにして声を絞りだす。
「バレーナとの会合が終わった」淡々と言いながらジャケットを脱ぎ、ベッドのすみに腰かけた。「コヨーテも戻ってきている。おまえのことを心配していた。きっと眠っているだろうからとここには寄っていかなかったが」
「コヨーテのおっさんが……? そうか、そりゃなによりだ……。あとちょっとしたら部屋を飛びだしてバレーナまですっ飛んでいく予定だったからな、はちあわせになって怒鳴られるところだった……」
「バレーナに?」
「おまえが心配だったんだよ」
ごまかすようにもごもごと呟いた。「おまえが、バレーナのばあさんにとって食われてやしないかって」
ブラバンダーは何も答えなかった。ガナッシュは眉をひそめた。
「なんだよ。なにか言えよ。それとも、まさか本当にあのばあさんに」
「……確かめてみるか?」
ブラバンダーが囁いた。どこか挑戦的な目つきで、ガナッシュを見た。
ガナッシュは息を呑んで恋人の顔を見つめかえした。起きあがり、そろそろと手を持ちあげてネクタイをゆるめた相手の襟元に触れる。つかのま、意味深な目線が絡みあった。「ブラバ――」
「冗談だ」
ブラバンダーはそっぽを向き、今にも腕の中に飛びこまんとしていたガナッシュをひょいとよけて立ちあがった。「病人に無理をさせるほどオレも馬鹿じゃない。おとなしく寝ていろ、いま水を持ってくる」
「ちょ……ちょっと待て、ブラバンダー。こんなときに冗談なんて言うなよ。いちいち期待させやがって、おまえってやつは本当に……」
ため息をつきながら、ガラスのコップになみなみと注がれた水を受けとる。
ブラバンダーは元通りベッドの端に腰かけ、ガナッシュが水を飲むのをじっと見守っている。監視されているような気分になりながら、ガナッシュは静かに水を飲み終えた。
「で、どうなんだよ……バレーナとの会合は。結局のところオレの恋人は無事なのか?」
「無事だ。一応はな。会合もとどこおりなく終わった。帰り道、コヨーテが上機嫌だった」
「そりゃよかった」
ガナッシュは笑った。あのコヨーテの機嫌がいいということは、彼の中であとはすべてうまくいくという確証ができたも同然だ。ほかの人間がよっぽどのへまをやらかさないかぎり、これからしばらくはコヨーテも落ちついて仕事に取りくめるだろう。
「あのコヨーテのお眼鏡にかなったってことだな。やるじゃねえか、ブラバンダー。おまえにしちゃ上出来だよ」
「……おまえは疑っていたようだが」
低い声で言ってガナッシュを睨みつけた。
「ブラバンダーはこういうのが苦手だ、向いてない、だからできるわけがない、オレに代われ。そう言っていたとコヨーテから聞いた」
「そっ……そこまで言ってたかな。覚えてねえな」
視線をそらして知らんぷりを貫きとおそうとするガナッシュを、ブラバンダーはじっとりとした目で見つめた。それからふいに口元をゆるめ、目を細めた。
「わかっている。おまえはオレをかばおうとしてくれたんだろう。オレが、すぐに人と打ち解けられるような人間ではないと知っていたから」
あらためてそう言われると、気恥ずかしさやらなんやらで胸の奥がくすぐったくなる。ガナッシュがうつむいて無言でうなずくと、ブラバンダーは笑みを深めた。
「おまえがそうしてくれたことがオレは嬉しい。しかし、オレもおまえに甘えてばかりはいられない。ボンゴレ九代目の雨の守護者という名誉に恥じることのないよう自分にできることをしたつもりだし、これからもそうしていく。――そういう意味では、ボンゴレ九代目の雷の守護者として今のおまえにできることはただひとつ。さっさと眠りについて、早く元気になることだな」
「……おまえってやつはさ……」
ガナッシュはため息をつき、後ろからブラバンダーの肩に回しかけていた手をむなしくひっこめた。
「そうまじめに言われちゃ頷くしかねえだろ。餌の前でお預けを食らってる犬みたいな気分だ、ちくしょう」
いじけながら毛布をかぶる。毛布の上から、ぽんぽんと肩を叩く優しい感触がした。
「そうだ、ガナッシュ。バレーナのボスが、オレもなかなかいいが、やはりおまえに来てもらいたいとおっしゃっていた。あの方にとっておまえはかなりの色男だそうだ。早いところ熱を下げて会いにいってさしあげないとな」
「げっ……」
陽気に笑う女ボスの顔を思いだして一気にげんなり顔になったガナッシュにもう一度だけ微笑みかけ、ブラバンダーが立ちあがる。
「そろそろ部屋に戻るぞ。まだ仕事が残っている」
「あ、ちょっと待て、ブラバンダー!」
ガナッシュは軽く身を起こし、そう叫ぶと、何事かと少しかかんでみせたブラバンダーのネクタイをひっぱり、手をついて前につんのめった彼の唇に自分の唇を押しあてた。
しばらくして顔を離し、目を丸くしているブラバンダーに挑発的な笑みを向ける。
「今日のところはこれでがまんしてやる。続きはまた今度にな」
「……さっさと寝ろ」
そう言ってそっけなく背を向けたブラバンダーの耳がかすかに赤くなっているのに気がついて、ガナッシュはにやにやしつつ毛布にひっこんだ。
自然と笑い声が溢れた。お互いもうかなりの「いい歳」なのに、まるで少年時代に戻ったような気分だ。こりゃ早いうちに熱を下げねえとな。――あの堅物のブラバンダーがせっつかれてがらにもなく慌てるところを想像し、ガナッシュはくっくっと笑いをこらえながら目を閉じた。

おわり

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