ガナッシュがブラバンダーを食事に誘う話。
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「ブラバンダー?」
夜、友人の部屋の扉を開けるなりガナッシュは思いきり顔をしかめた。「おまえ、何やってんだ?」
振り向いたブラバンダーは、見れば分かるだろう、とでも言いたげな表情でガナッシュを見た。もう寝ていてもおかしくはない時間なのに、小さなキッチンにはにんじんや玉ねぎ、土のついたじゃがいもがごろごろしている。
「おまえ、料理なんてするのかよ。しかもこんな時間から」ガナッシュは興味津々にキッチンを見回し、「あ、これ借りてた本。ありがとな。オレにはちょっと難しかったけど……」
「腹が減ってな」
皮をむいたじゃがいもの芽をとりながら、ブラバンダーが平坦な声を返した。
「なかなか手が空かなくて、ようやく仕事が終わって食堂に向かったらすべて片付けられていた。朝から何も食べていない。普段は料理はしないんだが」
「明日は休みで余裕があるし、試しにやってみようってところか。感心するぜ、オレも料理はめったにしないからさ。食堂の料理が美味しいから自分で作る必要性を感じないんだよなぁ」
借りていた本をテーブルのわきに置き、ガナッシュは友人のエプロン姿をものめずらしげに見つめた。
「で、何作るつもりなんだよ?」
鍋の中を覗きこむ。ざっくり切ったにんじんや玉ねぎ、セロリなどの野菜が数種類の香草といっしょに煮込まれて旨味のこもった湯気をたてている。まな板の上の分厚いベーコンも、後から鍋に入れるつもりのようだ。
「スープ? 美味そうだな、味見させろよ」
それを聞いたブラバンダーは、小皿にスープをすくってガナッシュに手渡した。
ガナッシュはにこにこしながらそれを受け取り、唇をつけた瞬間、かっと目を見開いて絶叫した。「辛い! 塩辛い!」
目を丸くしているブラバンダーに小皿を突き返し、「ンだこれ、塩!? 唐辛子も入れやがったな!? 辛いものが好きだからってやりすぎだろ! 味の調整しろ、調整!」
「おまえが来ると一気に騒がしくなるな」
ブラバンダーも同じように味見をするが、舌を突き出してひいひい唸っているガナッシュとは対照的に表情ひとつ変えなかった。ガナッシュは急いで食器棚からコップを取り出すと、蛇口をひねって水を一気飲みし、平然としている友人をじっとりと睨みつけた。
「……おまえ、いつも何食べてんだよ? 変なもんばっか食って味覚音痴になってるんじゃないだろうな?」
「パンにチーズ、スープ……じゃがいも……あとは、ソーセージかベーコンを時々」
真面目くさった顔でブラバンダーが言った。「大体そんなところだな」
「おいおい、まさか三食ともそうなんじゃないだろうな」
ガナッシュは冗談まじりに友人に笑いかけ、相手が鍋のスープをかきまぜたまま否定も肯定もしないのを見てため息をついた。
「剣士ってのはもっとこう……脂ののった肉とか、そういうのをたくさん食べるもんだと思ってたけど」
がっしりしたブラバンダーの肩や背中を自分のそれと見比べる。
「そんな食事でちゃんと筋肉がつくのかよ? 運動してりゃどうにかなるもんなのかな。もっとたくさん食べろってお師匠さんに注意されないのか? 大体飽きるだろ、そんなメニューばかりじゃ。故郷でどんなもの食べてたのか知らないけど、せっかくイタリアまで来たんならたくさん美味いもん食べないと」
得意げに指折り数えながら、「パスタ料理にピッツァだろ、肉料理と魚料理……魚はカルパッチョもいいけど煮込んだのも美味しいんだ。牛の腸の炭火焼って食べたことあるか? 夕方になったらそのへんでいっぱい焼いてるからさ、ありゃあ一度食べてみるべきだぜ。熱いうちに食わないとだめだけどな。それに野菜料理。オレはやっぱりカポナータが好きだな。あ、あと甘いのも食べるべきだ。果物もいいけど、ティラミスとかパンナコッタとか、とびきり甘いのを食べてからエスプレッソを飲むのがいいんだぜ。おすすめの美味い店を知ってるから、今度連れていってやるよ!」
ブラバンダーの背中をばしっと叩く。
しかし、ブラバンダーは淡々と「そうか」と返事をしただけで声のトーンすら変えなかった。
「……あんまり乗り気じゃなさそうだな」
ぽつりと呟く。食事に誘ったのにこの反応。自分だけ楽しく盛りあがって馬鹿みたいじゃねえか。友人のあんまりな態度に予想以上にダメージを受けている自分に気づき、ガナッシュは情けなさやら恥ずかしさやらで泣き出したくなった。
「まあ、同年代の男に誘われたところでおまえが喜ばないだろうことは分かってたさ。可愛い女の子に誘われた方がよっぽど嬉しいだろうよ」
「いや、喜んでいる」
ブラバンダーが手をとめて顔をあげた。「今まで外食する習慣があまりなかったから、誘ってもらえると嬉しい。ぜひ行きたい、ガナッシュ」
「……本当に?」
「本当だ」
ガナッシュは息をつめて注意深く相手の様子をうかがった。さっきとなんら変わらない表情……だけど、彼の藍色の瞳はしっかりと自分を見つめている。(本当に、本当なんだな?)
その様子を見ていたブラバンダーがおかしそうに口の端を持ちあげた。「本当だと言っている」
ガナッシュはなおも表情をかたくして相手を見つめ……同じように自分を見つめ返すブラバンダーの目がさっきよりも幾分か優しくなっているのを確かめると、じわじわとこみあげてきた嬉しさをがまんせずに笑って手をふりあげた。「じゃあさ、今から行こうぜ! オレが奢ってやるよ!」
「今から?」
「腹が減ってるんだろ。四の五の言わずに付きあえよ、オレがせっかく奢ってやるって言ってんのに」
相手の腹のあたりを殴る真似をして、ちょっと驚いた様子で拳を受けとめたブラバンダーに笑いかける。「な。いいだろ、ブラバンダー」
「……分かった」
仕方ない、というふうにブラバンダーが笑った。「おまえにそうまでされるとな。ここで行かないと言ったら恨まれそうだ」
「じゃあ……」
「ああ。行こう」
「よし!」拳をあわせて満足げに頷き、ガナッシュは急いで扉に走った。「ちょっと着替えて車のキーとってくるからさ、おまえはここにいろよ。そのあいだに出かける準備と、あとそのスープをどうにかしとけよな。そのままじゃ食えないだろ」
「特に味つけに問題はないと思うが」
「おまえにはなくてもオレにはあるんだよ!」ガナッシュは足踏みしながらわめいた。「明日の朝に帰ってきてからいっしょに食べるんだからさ、オレでも食べられるように味を調整しておいてくれよ! 変な味つけにしたら怒るぞ!」
そこまで言い終えると、善は急げとでもいわんばかりに部屋を飛びだす。「後になって嫌だって言っても絶対連れていくからな。逃げるなよ!」
ばたんと勢いよく扉が閉まった。
かと思うとものの数秒でふたたび開き、ガナッシュの強い念押しが響いた。「オレの奢りだからな!」
今度こそ本当に扉が閉まり、廊下をばたばたと駆けていく音がした。取り残されたブラバンダーはしばらくその場に立ちつくし、無言で扉を見つめた。
その顔に、ほんの少しだけ笑みが浮かぶ。
(変な味つけにしたら怒るぞ!)
これが故郷の味なのだと言っても、ガナッシュはきっと納得してくれないのだろうな。もっとも、オレが故郷の味を再現できるほどの腕前かといわれれば自信はないのだが。
小皿にスープをすくい、もう一度だけ味見をしてみる。母がしていたとおりに作ったと思ったのに、母の作る料理と何がどう違うのだろう。
(一度、作り方を教えてもらいに家に帰らないとだめだな……)
いっそ、長期休暇にガナッシュを実家に連れて帰って母の手料理を食わせてやろうか。いや、その前にこのスープの味つけをどうにかするのが先だ。
あらためて鍋に向き直り、ぐつぐつ煮え立つスープをひとまぜする。ブラバンダーは明日スープを食べたときの親友の嬉しそうな顔を想像し、さて、いったいどう料理してやろうかと台の上の調味料にそそくさと手を伸ばした。
おわり
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