スラムからボンゴレファミリーに引きとられたばかりの幼いザンザス。
その出自を忌み、噂話に興じる人間たちをザンザスは決して信用しようとしない。
――本当のことを言ったとき、父は、九代目は、やつらと自分のどちらの言い分を信じるだろうか?
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「またか」
呆れたような父の声。
ザンザスはいつも、その声をうつむいたままで聞いている。
「またなのか、ザンザス。どうしていい子にできないんだい。家庭教師の言うことはちゃんと聞かないとだめだとあれほど教えておいたのに。ひとりめはおまえに尻を焼かれ、ふたりめはおまえのトラップにひっかかって寝込むほどの怪我をした。三人目にはいったいどんな悪戯を仕掛けたんだ。どうして私を困らせるようなことばかりするんだい」
——だって父さん、あいつら、オレの前ではにこにこしておきながら、裏でこそこそとオレや母さんのことを悪く言っているんだよ。
そう言えたらどんなによかっただろう。
けれどもザンザスには分かっている。正しいのはいつも大人だということ。七、八つの子どもがいくら訴えたところで大人たちは聞く耳をもたないこと。自分たちの悪事を巧妙に隠してしまうこと。今までだってそうだった。
「……困った子だ」
うつむいたままのザンザスに、九代目は大きなため息をつく。
「ザンザス、おまえは頭のいい子だから大人たちにあれこれ口出しされるのは気にくわないだろう。けれどもひとりきりで生きていけるほど強くはない。いつか私がいなくなったとき、おまえひとりでも正しい判断ができるよう今は大人たちの言うことをよく聞くんだよ。わかったね」
「……はい、父さん」
ザンザスは言った。ごくごく小さな声で。
本当のことを言ったとき、父さんはオレを信じてくれるだろうか?
それとも、大人たちの味方をするだろうか?
ふとした瞬間に生まれるその疑問は、いつもザンザスの胸を苦しくさせる。父がオレを裏切るはずがない、けれどももしかしたら……
「なら、いいんだ。……ああ、君」
九代目がそばを通りかかったメイドを呼びとめた。
「あれをザンザスにやってくれるかね。ほら、頼んでおいた——」
すぐさま、きらきらするカラフルなお菓子が目の前に出てきた。
「これはなに?」
「カッサータだよ。食べなさい。とても美味しいんだ。特に彼女の作るのは絶品でね」
呼びかけられたメイドが恥ずかしそうに頬を染める。ザンザスはカッサータと呼ばれた食べ物にじっと見入った。
ボウルの形そのままのこんもりとした姿と、宝石のようにちりばめられたフルーツやマーブルチョコレートが、パニエつきのドレス姿の貴婦人たちを思わせた。メイドがナイフを入れて切りわけると、砂糖とかすかな乳の香りがあたりにただよった。スポンジでできた型にリコッタチーズをつめてメレンゲをぬり、フルーツの砂糖漬けやチョコレートなどで飾りつけをしたものらしい。
「これ、本当に食べていいの?」
「ああ、いいとも。でもそれを食べたら勉強に戻るんだよ。いい子にしていなさい」
ザンザスが頷いたのを確かめて、九代目は仕事場へ、メイドはすぐそばの洗い場の後片付けに戻った。
ザンザスはきょろきょろとあたりを見回し、カッサータを皿ごと抱えて部屋を抜けだした。もったいなくて食べられる気がしなかった。食べたらきっとあっというまに無くなってしまう。父さんがオレにくれたものなのに!
宝物を手にした幼子のようにザンザスはきらきらと目を輝かせた。
ああ、いつ食べようか。どんなふうに食べようか。ちびちび食べていたらきっと誰かに奪われてしまう。誰もいないところでじっくりと味わいながら食べるのがいい。猫にも、鳥にも、もちろん大人たちにも見つからないところで。ひとりきりで食べるのがいい。舌に広がる甘さを夢想してほほえむザンザスの横を、そのとき二人組の影が通りすぎようとした。
「おっと」
急に強い力で肩をひっぱられた。
ザンザスは頭をあげて、ニタニタとこちらを見下ろす男たちの嫌な視線に気がついた。あの憎らしい家庭教師たちと同じ目だ。男たちはわざとらしくかがみこんで、ザンザスの顔をあちこちからうかがった。
「あやうくぶつかるところだったぜ。なあ、御曹司。うまそうな食いもん持ってどこへ行くつもりだったんだ」
「……おまえは」
自分でも知らないうちにカッサータの皿をかばうようにしていた。男たちの目が興味津々にぎらぎらと光る。
「口のきき方がなってないな。ここでは強い奴の方が偉いんだ。それぐらいのことも分からないとは、家庭教師サマには何にも教えてもらってないようだな」
「おいおい、いくらガキだからって九代目の息子にそんな口のきき方をして大丈夫なのか。九代目や九代目の守護者たちに知られたら……」
「構わねぇよ。あのお優しい九代目のこと、目下のものがどうしていようが気にもとめないにきまってる。ああいう人たちはオレたちなんかよりもっと遠くて高いところを見てるもんなのさ。……なあ、おまえ、本当に九代目の息子なのか?」
「オレは父さんの息子だ!」
ザンザスの赤い瞳がかっと燃えあがった。
男たちは一瞬ひるんだ様子を見せたが、それだけだった。ひとりがにたりと笑ってザンザスの顔をのぞきこんだ。
「おい。見ろよ。この目。この顔。やっぱり、あの狂った母親とうりふたつだ」
「狂った? どういう意味だ?」
「こいつの母親は、どこからやってきたかも分からないような薄汚い女なのさ。オレもちらっと見ただけだが、メイドたちのあいだでは、居もしない相手と日がな一日会話をしてるともっぱらの噂だ」
男たちはそのままぶつぶつとわけの分からない会話をしていたが、ザンザスがその手から逃げだそうとするとちぎれそうなほど強い力でザンザスを押さえつけた。もがいてなんとか逃れようとするが、男たちの手は糊づけされたようにべったりと貼りついて離れない。
「放せ! 放せよ!」
「うるさいガキだ。どこの誰に似たんだか。どうせ九代目もあの女の嘘に騙されているに決まってる。九代目ともあろうものがあんな汚い女に金を払うわけがないだろう……いてぇ、この野郎!」
ザンザスにつま先を踏まれた男がむきになってわめいた。
「このガキ、殺してやる!」
「おいおい、やりすぎるなよ」
「うるせえ! オレはこういうガキがいちばん大っ嫌いなんだよ!」
腕がふりあげられ、次の瞬間、強い衝撃がザンザスの手を打った。
カッサータの乗った皿が、床に叩きつけられて砕け散った。ザンザスの目の前で、きらきらするフルーツやクリームがあたりに飛び散って床に汚らしい染みを作った。
「ざあまみろ。ガキのくせしてつけあがるからこうなる。おい、小僧。オレが憎いか? 殺したいほどか? だったら、おまえのお優しい父親や守護者どもに告げ口でもするんだな。どうせおまえの言うことなんざ誰も聞きやしねえ、せいぜい泣きながらあの狂った女のところへ逃げていくがいい!」
ザンザスはしばらくぼうぜんとその場に立ちつくしていた。
痩せた小さな肩が、今にも泣きだしそうに震えた。——少なくとも、男たちにはそう見えた。
「……ね」
小さな手が血の出るほど強く握りしめられた。
見開かれたまま硬直していた赤い瞳が、脂ぎった光をうかべて輝いた。
「死ね」
直後、目のくらむような光があたりを覆った。
ひとりは何が起きたのか理解する間もなく灰になった。もうひとりは肘から先があとかたもなく消えうせ、半分炭化した腕にむなしく垂れ下がるぼろぼろの布切れをまのあたりにして恐ろしいまでの悲鳴をあげた。
「ひいい! やめろ! やめてくれ!」
手を失くした男は半狂乱になって床を這いずりまわり、炎の灯る手をかざした少年から逃げだそうと必死になった。
「助けて! 誰か! 助けてくれ! 殺される! ……」
悲鳴を聞きつけた人びとが次々に集まってきた。
なんだ、どうした、と押しあいへしあいしながらやってきた大人たちは、騒ぎの中心に立つ少年と目をむいて床を這いつくばる男を目にしたとたん口を押さえて沈黙した。皆の肩を押しのけてなんとかその場に辿りついた九代目は、声にならない声をもらして床に膝をついた。
「これはいったいどういうことだ、ザンザス」
「そいつらが悪いんだ」
すねたようにザンザスは口をとがらせた。
「父さんがオレにくれたものを、オレから奪おうとした。だからオレも奪ってやったんだ」
九代目は、呻き声をあげて顔を覆った。
恐れおののいて後ずさる人びとの輪の真ん中で、ザンザスはまっすぐに父を見あげ、言った。
「信じてくれるよね、父さん?」
おわり
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