腕を叩き切られ、剣を持つことができなくなってしまったヴァリアーの女隊員は、哨戒の最中に不思議な男と出会う。
※捏造剣帝テュール
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『残念だが……もう……』
いつもその言葉で夢から覚める。
もう何度も聞いたその言葉。何度夢であったらと願っただろう?
ハナコはため息とともに身体を起こした。夜更けすぎ、ヴァリアーの屋敷はしんと静まりかえっている。ハナコは立てかけてあった木剣を腰に差し、部屋を抜けだした。
――残念だが……もう……。
わかっている。そんなことは。わたしの手が、もう以前のようには剣を握られないということぐらい。
数か月前、任地で敵組織の人間に腕を叩き切られてからというものハナコはまともに剣を握ることができなくなってしまっていた。
優秀な医療班によってできるかぎりの治療が施されたものの、回復の兆しはない。腕の傷口が癒えても、眠れない夜を過ごすたび、剣を持てないというその事実がいっそう深くハナコを傷つけた。
武器を握ることすらできない者に、ヴァリアーでの居場所はない。上司であるスクアーロはハナコが組織にいられるようできるかぎりの配慮をしてくれたが、周囲からの風当たりは強い。
剣をとりあげられ、代わりに木剣を与えられた。稽古用の古い木剣だ。
スクアーロは言う。その木剣で己を鍛えていろ。これからおまえがどうなるかはオレにはわからない。だが、諦めなければ道は必ず切り開ける。オレは左手を失ったが、それでも隊の次席として剣を握りつづけている。それはオレが決して諦めなかったからだ。だからおまえも諦めるな、と。
けれどそれは彼が『スペルビ・スクアーロ』だからだ。誰もが一目置く、才能を持った優秀な剣士だからだ。
優秀でもなんでもない、ただの一介の剣士であるこのわたしが、彼と同じことをしたからといって、誰もが認める剣士になれるわけではない。あの人とわたしとではもともとの出来が違う。
それに剣を握れば手が震える。指も、腕も、剣士としてあるべきもの、当然そうあるのだと思い続けていたもの、何もかもがだめになってしまったのに、いったいどうやって剣を握れというのだろう。
わたしはもう剣士ではない。
剣士であったハナコはあの時に死んだ。ここにいるのは、剣士でもなんでもない、ただのハナコ。わたしはもう剣を握らない。握られないのだから。
――あふれてきた涙を、ハナコは慌ててぬぐいとった。
屋敷の裏手に回り、広大な敷地を見下ろせる山道をのぼる。生い茂った草むらのあいだをかいくぐるようにしてハナコは進んだ。哨戒のためだ。このあたりはいつも警備が手薄なのだ。剣を握られなくなった今、自分にできることといえばこれぐらいのこと。なにかしらの実績をあげなければ、剣士としての地位を失うどころか、組織での居場所までも失ってしまう。
ここにいたい。けれど、剣を失い、剣士である自分までも失ってしまったわたしにはもう何も残されていないのに、いったいどうやってここで生きていけばいいのだろう?
事務処理の部門への転属を願えば受け入れられることもあるだろう。しかし、今まで剣一本で生きてきたというほんのささいなプライドと、いつか腕が治るかもしれないという微かな希望がその邪魔をする。
剣士であった自分、遠い過去の自分に必死になってしがみついている己をハナコははっきりと意識していたが、いざ剣の道を諦めるとなると、涙を止めることがどうしてもできなかった。
(そう……スクアーロ隊長はそんなわたしを見かねて、以前のようには接してくれなくなった。もうわたしには何も言わない。怒らないし、叱ってもくれない)
剣を握りたいのに、剣を握ることのできない今の自分が途方もなく嫌だ。剣を持つたび手が震えるのが恥ずかしくて、皆との稽古にも背を向けるようになってしまった。このままいけば組織から追いだされるか、運が悪ければ命までも奪われてしまうだろう。
だが、それもいいかもしれない。ふっとハナコは思った。
剣士である自分はもう死んだも同然なのだ。死。もしかするとそれこそが、この悲しみを終わらせる唯一の方法なのかもしれない……。
――そばでものの動く気配がした。
ハナコは素早く木の陰に姿を隠した。腰に差した木剣の柄に指をからめる。
今のは、動物ではない。あれは人間の動きだ。
心臓が勢いよく跳ねあがった気がした。
ここには屋敷の人間はほとんど立ち入らない。もし侵入者であれば、即刻捕らえるか、そうでなければ殺すかして幹部の元へ連れていかなければならない。
――けれど、わたしが持っているのは木剣ただひとつ。
剣の柄すらまともに握られないわたしが、どうやって敵を捕らえるというのだろう?
風に草木がざわめいた。自分のものでない影が動く。ハナコは息をつめ、木陰から飛び出して木剣を勢いよく突きつけた。
「動くな!」
黒い影がぴくりと反応し、顔をあげた。
ハナコはぎょっとして目をこらした。
「やあ、こんばんは」
知らない男が片手をかかげて笑っている。月明かりに映える金髪の、青く透きとおる眼の持ち主だった。
「貴様……何者だ! 名を名乗れ!」
「おや。人に名前を聞くときは、まず自分から名乗るものだと昔からいわれているじゃないか。まずは君の名前から聞こうかな、お嬢さん」
「お嬢さん……!? ふざけないで! それ以上余計なことを言えば、殺す!」
かっと頭に血がのぼった。ハナコは真っ赤になりながらじりじりと間合いをつめた。
しかし、いくら木剣を突きつけてみても男はまったく恐れる様子がない。それどころか穏やかな笑みをうかべて、ハナコの手をまっすぐに見つめている。
そのうちに、ハナコは自分の手が震えていることに気がついた。焦りのためではない。剣を握ることに、まだ手が耐えられないのだ。
怒りと悲しみのために、また顔が赤くなった。ハナコは木剣を下ろし、それでも油断なく相手を睨みつけた。男はまだ笑っている。
「何がおかしい!」
「おかしくなんてないさ。ただ、君の太刀筋を見ていただけで」
「だったら……!」
ヒステリックな声をあげそうになって、ハナコはふと男の後ろに小屋があることに気がついた。しなびた感じの、押せば今にも倒れてしまいそうな木の小屋だ。
こんなもの、ここにあっただろうか?
……まさか、この男がここに作った?
馬鹿げた考えだと分かっていたが、そうとしか思えなかった。この程度の小屋なら、作り方さえこころえていれば一日もかけずに建てられる。ハナコはまた木剣の柄に手をかけながら、ずかずかと小屋に近づいていった。
「その小屋の中を見せてもらう!」
「どうぞ」
男はにこりと笑った。ハナコは男の落ちつきぶりに面喰いながらも、油断なく周囲に目をくばり、そろそろと小屋の中に足を踏み入れた。
床がぎしりと音をたてる。土っぽいにおいがぷんと鼻をついた。ハナコは目をぱちくりさせて、窓のないその小屋の中をものめずらしげに見回した。
外から見たときよりずっと広い。中央に置いてある卓の上で、蝋燭が煌々と光を放っている。両側は棚に囲まれており、古い書物や骨董品がところせましと並べられていた。どこからこんなものを集めてきたのだろう?
いや、それをいうなら、この小屋をここに建てたこと自体がおかしいはずだ。ここはヴァリアーの敷地内。部外者が足を踏み入れることすら難しいのに、まさか、小屋まで建ててしまうなんて。
「ここはオレの唯一の居場所。ちょっと古いけれど、いいところだよ」
ぼうぜんとしているハナコに男はやんわりと言った。
「いまお茶を淹れるよ。そこに座って」
「いや、あの……お構いなく……」
しどろもどろになるハナコを気にもとめないで、すたすたと奥の間へ歩いていく。そちらにキッチンがあるらしい。
どうしよう? 木剣の柄に手をかけたまま、ハナコは悩んだ。
この小屋も、男も、怪しいことに間違いはない。だが、男の態度にはどこにも後ろめたそうなところがない。ハナコは柄から手をはなし、棚に並ぶ書物を眺めた。『イタリアの歴史』、『シチリア文化と社会』、『東西の剣技』、『技と心』、『奥義書』……同じような本が何十、何百冊も並んでいる。
「……?」
ハナコはまばたいた。
部屋のすみに木で編んだかごがあった。そこに剣がいくつも差してある。
あの男も剣士なのだろうか?
「それはオレが集めたんだよ」
盆を手に、男が戻ってきた。
「あなたが? これを?」
「ああ。別にそれを使ってどうこうというわけじゃないんだけど……趣味みたいなものさ」
男の顔はどこか寂しげだった。
「趣味? あなたは剣士ではないの? こんなにたくさん剣を持っているのに」
「剣士だよ。そう……オレは剣士だった。もう何年も前のことだ……」
剣士――その言葉を口にしたとき、男の空色の眼は夢みるようにぼんやりとなった。
「といっても、今はもう引退してしまったけどね。これでもその道ではかなりのやり手として有名だったんだよ」
「そう……」
この男は剣士だったのだ。わたしと同じ……。
「そういう君は? 君も剣士なのかい?」
ハナコの腰にある木剣を見つめて、男が言った。
「ええ……わたしも剣士だった。剣を握れなくなってしまったけれど……」
また涙があふれそうになるのをハナコは必死でこらえた。
「そうなのかい? そうは見えないけれど……腕に怪我でもしたのかな」
「わたしにはもう剣は握れない。握ったとしても、もう前のようには戦えない。あなたは知らないだろうけれど、ヴァリアーでは戦えなくなってしまった人間は用済みなの。だからわたしにはもうなんの価値もない」
「ふうん……」
男はちょっと目を丸くした。どこか子どもっぽいほほえみで、笑っている。
「何がおかしいの? 笑い話なんてしてないのに!」
かっとなってハナコは叫んだ。また涙がにじみそうになる。
ハナコの怒りぶりを目にして、男もようやく自分が笑ったことに気がついたようにあわてて口元を隠した。
「ああ、いや、すまない。別におかしいわけじゃないんだ。気分を悪くさせてしまったな。ごめんよ。笑いたくて笑ったわけじゃない。ただ、オレと同じだなと思っただけで」
「同じ? わたしとあなたが?」
男はうなずき、左腕を差しだすと、腕のなかばあたりまですっぽりと覆っていた革手袋を外してみせた。
「……!」
ハナコは息をのんだ。男の左腕は、手首から先がなかった。
「あなた……左手が……」
ハナコは声の震えを隠せなかった。
心臓の鼓動がいっそう早くなった気がする。こんな傷、もう何度も見てきたはずなのに。
「……『こうなった』時はオレも諦めかけたよ。もう剣なんて握れないんじゃないかって。でも、諦めなかった。自分で言うのは恥ずかしいけどね、諦めたくなかったんだ」
男はまた革手袋をはめなおし、
「おかげで新しい道が開けたよ。オレが剣士として有名になったのはそれからなんだ。この傷がなければ、もしかするとオレは有名になることも強くなることもなかったかもしれない。剣を握らなくなった今でも剣士として胸を張っていられるのも、ある意味ではこの傷のおかげかな。まあ、あくまで『もしも』の話だけれど。よかったら、こういうこともあるんだと覚えておいてくれ」
ハナコはうなずいた。まだ心臓がどきどきしている。
男の左手がなかったことより、男が剣士として有名になったのが左手を失くしてからだということに驚きを隠せなかった。
しかも、剣を握れなくなった今でもこの男は剣士であることを自負している。いったいどうやったのかは分からないが、この男はスクアーロと同じように、左手をなくしてから剣士としての頭角を現したらしい。ハナコには信じられなかった。剣を握ることができなくなれば、それは剣士としての死を意味すると思っていたのに。
まるで、そう願う限り、剣士であり続けることはできると言われたようだった。――『これからおまえがどうなるかはオレにはわからない。だが、諦めなければ道は必ず切り開ける』……。
ハナコは自分でも気づかないうちに、腰に差した木剣の柄に手をかけていた。
――剣に触れたい。
剣を握りたい。もう一度。
「……ねえ、この剣、触ってみてもいい?」
かごに差してある剣を指さして、ハナコは言った。
男はちらりと笑って、
「ああ、いいよ」
「ありがとう」
ハナコはかごの中から剣をひとつ抜きとり、鞘から抜いてみた。すらりとしたまばゆいばかりの刀身に、蝋燭に照らされた自分のほの赤い顔が映っている。
震える指で、しっかりと剣を握りしめる。理由もわからないのに涙があふれてきて、ハナコは必死に歯を食いしばった。
「……お茶が冷える。こっちへお座り」
ハナコはうなずいた。剣をかごに戻し、椅子に座る。男の置いた椀から、ふわりと甘い香りが広がった。
「どうぞ」
男の手がそっと肩に置かれた。
ハナコは鼻をすすり、ほほえんだ。椀を手にとり、ゆっくりとくちびるを近づける。どこか懐かしい、新鮮な茶葉の香りを口いっぱいに吸いこんだまさにその時、暗闇から伸びてきた手がハナコの襟首をつかんで思いきり地面にひきずり倒した。
「てめぇ、そこで何してやがる!?」
聞き覚えのある怒声が頭上から降ってきた。
「あ……」
ハナコははっとした。
その瞬間、眼前の光景は吸い込まれるようにどこかへ消えた。温かい蝋燭の光が散り、ハナコは暗闇の中にひとりで座りこんでいる自分に気がついた。
茶の入った碗もない。剣を入れていた、あのかごもない。小屋も男も、すっかり姿を消していた。
「怪しい奴がいると思ったら……ハナコ、てめえかぁ。ひとりで何してやがる。暗闇の中でコソコソ動きまわってよぉ」
怒り顔のスクアーロが後ろにいる。ハナコの襟首をつかんでいた手を放すと、ハナコの前にあるものをじろりと見つめた。
つられてハナコもそちらを見た。両手でつかめるくらいの白い石に、文字が刻まれている。かすれていてよく読めないが、どうやら何かの祈りの言葉らしい。
「これは……」
「墓だぁ」
ぽつりとスクアーロが言った。
「墓?」
「剣帝テュールのな。オレが作ってやった。あいつが死んだとき、オレにできることといえばそれぐらいのことだけだった」
スクアーロが背を向けた。闇の中に白銀の髪がなびいた。
「疲れているのならもう休めぇ。明日も早いぞぉ」
スクアーロはそれだけを言い残すと、ふり返らずにすたすたと歩いていった。
ハナコはぼうぜんとその場に立ちつくした。
テュール。剣帝。
スクアーロ隊長が倒したという、あの……。
白い墓石をふり返る。あの男は剣帝だったのだろうか? かつて剣士だったというあの男は?
ハナコはしゃがみこんで、墓石に刻まれた文字を指でなぞった。祈りの言葉のように見えるそれが、本当は何を意味しているのかは分からない。あの姿も、あの言葉も、すべてただの幻だったのかもしれない。
けれど、彼はここにいる。
ここにいて、ここで皆を見守っている。――きっと。
なにもかもまやかしのように感じられる中で、不思議とそのことだけは確信できた。
「スクアーロ隊長!」
立ちあがり、闇に消えかけた背中に向かってハナコは声をはりあげた。
スクアーロがゆっくりとふり返ったのが見えた。ハナコはスクアーロの眼をまっすぐに見つめた。
「わたし、もういちど剣を握りたいです。諦めたくありません。また稽古をつけてください。前と同じように。迷惑はかけません、だから……お願いします!」
スクアーロはしばらく無言でハナコを見つめかえしていたが、やがて、ふたたび背を向けて歩きだした。
「――手加減はしねえぞぉ。覚悟しておけぇ」
闇の中からはっきりとその声が聞こえた。
「……はい!」
ハナコは木剣の柄に触れた。
今はこれがわたしの相棒。わたしの新しい剣。
――絶対に諦めない。
ハナコはふり返り、白い墓石に向かって深々と頭を下げた。それから敬礼の姿勢をとると、前に向きなおり、闇に消えゆくスクアーロの背中に向かって全速力で駆けだした。
おわり
TITLE:vertigeより「リスタート」
DATE:2010.9.26
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