湖上の夢

オッタビオ非公式アンソロジー『Viorhythm』(主催:クロワニ様)に寄稿した作品です。
発行日(2022年9月18日)から一年半が経過したので公開いたします。三段組にした時にいい感じに見えるよう、かつ既定枚数に収めようとして削った描写もあるのでそのうち加筆修正するかもしれません。

オッタビオとXANXUS(+某剣帝)の過去の小話です。コヨーテもほんの少し登場。


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     湖上の夢

 オッタビオは夢をみていた。
 ひえびえとした薄闇にひとり座りこみ、ただじっとしている。果てなく続くと思われた闇にふと光が差し――
 みちびかれるようにして顔をあげたオッタビオは、直後、目の中になだれこんできた光の強さに思わず目を瞑った。
 真夏のぎらぎらする日差しが真上から照りつけ、顔や首を容赦なく刺してくる。顔をそらし、おそるおそる目を開くと、今度は濃い青色が見えた。
 風に吹かれてゆったりと揺れる水面。
 投げかけられた日差しが、水に反射して白くきらきらと光っているように見える。
(――海……? いや、違う)
 なぜそう思ったのか、自分でも分からなかった。だが、風と鳥のささやきに耳をすませているうち、ここがどこであるのかはっきりと理解できるようになってきた。
(ああ――)
 私はここを知っている。
 ここは湖上の島、ドン・ボンゴレの別荘がある湖だ。
 山々と森に囲まれた湖の中ほどにたたずむその島には、湖と庭園をみおろす白亜の邸宅ヴィラがそびえたっている。十数年前、初めて島を訪れた時の感動がにわかに胸によみがえり、オッタビオは突き動かされるようにして起きあがった。ここが夢の世界であることも、自分が夢をみていることも忘れ――いつしか、初めてこの島にやってきた十数年も昔の自分に戻っていた。
「ザンザス様」
 まるで最初からそうしていたのだというように、ごく自然にその名を口にする。
「ザンザス様、どこにおられますか。ザンザス様――」

 
        1

 ゼラニウムやペチュニア、インパチェンスの咲く庭を抜け、島の入り口にあたる船着き場に続く階段を下る。
(ヴィラにも庭園にもいらっしゃらなかった。となると、また湖に涼みにいき、眠ってしまわれたのかもしれない……)
 オッタビオの予想どおり、船着き場に係留しているボートにごろりとねそべって、ザンザスはうたたねをしていた。
 湖面には数隻のボートが揺れ、時折、ぽちゃりと魚の跳ねる音がする。オッタビオは桟橋に立って、湖水の流れに身をまかせてまどろんでいる少年をみおろした。
「ザンザス様、そろそろ昼食のお時間です。お戻りください」
 声をかけると、少年の目がぱちりと開いた。そのまま黙って宙を睨みつけていたが、しばらくしてのろのろと身体を起こす。
「ここのボートに乗りこんではいけないとあれほど申し上げたのに」
 オッタビオは非難めいた声をあげた。
「流されたり、落ちて溺れたりしたらどうなさるおつもりですか。この周辺は水深もあり危険です。今後はおひとりでの外出はお控えください。外出なさるのであれば、私にお声がけを」
「なぜ」
「私があなたの補佐だからです」
 きっぱりとオッタビオは言った。
「私にはドン・ボンゴレの御子息であるあなたをお守りする使命があります。あなたの父君であるボンゴレ九代目から、補佐として、また右腕としてあなたに仕え、そのお側にいるようにと仰せつかって――」
 だが、言い終えないうちにその声は小さくしぼんでしまった。少年の表情がみるみる険しくなるのに気がついたからだ。
「ザンザス様」
「うるさい。オレはまだおまえを信用していないし、おまえを補佐だとも右腕だとも認めてない。べらべらと偉そうに語る前に、少しくらいオレの役に立ったらどうだ」
「役に立つとは、例えばどのようなことででしょうか」
「オレを父さんのところへ連れて帰れ。父さんがいないなら、こんな島に用はない」
 げんなりした顔で呟くザンザスに、オッタビオは言った。
「それはできかねます。九代目のご命令ですから」
「それでも、帰りたいんだ!」
 むきになってボートのへりを叩く。
「おまえ、本当はオレのことなんてどうでもいいんだろう。だからオレがどんなに言っても聞いてくれないんだ」
「そのようなことは……!」
 ザンザスがはっと顔をあげた。
 一隻のフィッシングボートがしぶきをあげて近づいてきて、着船しようとしているのに気がついたのだ。
「どけ!」
 ボートから飛び出すと、ザンザスはオッタビオを突き飛ばして庭園に続く階段を駆けあがっていってしまった。しばらくして、フィッシングボートから作業着の若者が下りてきた。
「もしかして、今のちっこい御方がうわさにきく旦那様の御子息のザンザス様ですか。いやあ、もっと近くで見たかったなあ」
 のんびりした口調で言ってから、汚れていないか気にしたふうに右手の手のひらを作業着でこすり、オッタビオに差しだす。
「初めまして、ルカといいます」
 あっけにとられていたオッタビオも気を取り直し、手を差しだした。
「オッタビオと申します」
 言いながら、島に出入りしている業者のリストをすばやく思いだしていた。住み込みの管理人以外にも、湖畔の村からこの島に働きにくるものたちがいるのだ。
 この一帯はボンゴレのシマであり、住民たちとは一定の信頼関係を築いている。この若者も年齢はオッタビオとそう変わらないが、もう何年もここに通っていたはずだ。丸っこい目と、だぼっとした長袖の作業着姿が、若者の純朴そうな雰囲気をいっそう際立たせていた。
「ここにはスーパーマーケットなどありませんので、私のような者が出入りして、食料やら何やらを届けながら、皆様がたのお世話をさせてもらってるんですよ」
 ルカはそう説明すると、ボートに積んでいた巾着状の麻袋の紐をゆるめて中にたっぷり詰まっている野菜や果物を見せた。
「私たちの村では、皆様がここに滞在してくださるのをすごく楽しみにしています。旦那様――ボンゴレ九代目は、私なんかにも声をかけてくださる、とても優しい御方です。今年は来られないとお聞きして残念でしたが、ザンザス坊ちゃまが来てくださったんだ。私も早く坊ちゃまとお話ししてみたいです。……オッタビオ様?」
 そこでルカはオッタビオの曇った表情に気づいた。「どうしましたか?」
「いえ」
 オッタビオははぐらかすつもりで首を横に振った。だが、この若者の人なつっこそうな目に見つめられると、喉元がむずがゆくなった。彼であれば邪険にせずに聞いてくれるかもしれない、そんな気がしたのだ。
「……私は、補佐としてザンザス様にお仕えしています。ですが、あまり関係がうまくいっているとはいえないのです」
 オッタビオがザンザスと対面したのはひと月前。ファミリーの一構成員に過ぎなかったオッタビオを、九代目がひとり息子ザンザスの補佐に取り立てたのだ。
 出世への第一歩だと喜んだのもつかのま、ザンザスはオッタビオを自分の補佐と認めようとせず、そのまま丸ひと月が経った。
 せめてこの湖上の島で過ごす時間が何かよいきっかけになればいいのだが……そう考えていたオッタビオだったが、九代目が来られないと分かるとザンザスはすっかりすねてしまった。オッタビオの顔を見たり、声を聞いたりするだけでみるからに不機嫌になってしまうのである。
「前任者は全員すぐ辞めてしまい……とうとう九代目ご自身で、補佐となる人物を選ぶことにしたそうです」
「では、オッタビオ様は、旦那様の《神の采配》によって選ばれたんですね!」
「どうやら、そのようですね」
 オッタビオは照れくさくなり目を細めた。
「そう――その《神の采配》に選ばれたのであればうまくいくはずだと自分でも信じていたのですよ。だけど最初は無視されるばかりで話すら聞いてもらえませんでした。ちょっとした会話はできるようになりましたが、ザンザス様の機嫌を悪くさせてしまうことの方が多く……そのうち自信も尽きてしまいそうです。ザンザス様はなぜ私を信用してくださらないのか……」
 しばらくして、考えこむような顔をしていたルカがぽつりと呟いた。「そりゃあ、怖いんじゃないでしょうか」
「怖い? ……私がですか?」
「ええ」
 目を丸くしているオッタビオに、臆面もなく頷く。
「だって、旦那様がお選びになった人だからって坊ちゃまが無条件に信用するとは限らないじゃないですか。最初からうまくいかないのは当然で、きっと坊ちゃまもあなたを信用していいかどうか悩んでいるんだと思います。人を信じるのには勇気が要る。信じたい、それでも信じきれない。裏切られたらひどく傷つく、そうしたらもう二度と立ち直れないかもしれない。それでももしかしたら……。きっと、自分の中から沸きあがってくるそんな恐怖と戦っているに違いありません」
 ルカはそこで言葉を切って、ぽかんとした顔のオッタビオに笑いかけた。
「ザンザス坊ちゃまだっていつかは自分を信じて、オッタビオ様のことも信じられるようになるはずですよ。……ああ、いや、申し訳ありません、私なんかが偉そうに」
「いえ」
 オッタビオは頷きながら呟いた。「とても心に響きました、ルカ」
「それならよかった――ああ、もう行かないと」
 慌てて麻袋を背負い直し、それじゃ、と頭を下げる。
(なんと気持ちのいい青年だろう)
 桟橋を進む彼を見送りながら、オッタビオは、期待と不思議な高揚感が胸を満たすのを感じていた。
(もしかすると、彼とはよい友人になれるかもしれない……)

 
        2

 帰りたい、帰りたい――
 ザンザスは心の中で繰り返した。
 いつになったら父さんのところへ帰れるのだろう? 父さんがいないだけで胸に穴が空いたようだ。
 少年は、孤独だった。
 周囲に捨て置かれていたわけではない。彼の面倒をみるために大抵誰かしらは近くにいたし、世話を焼く従者たちとちょっとした会話を楽しむこともあった。だが、そうであっても、やはり少年は孤独なのだった。誰であっても本当の意味では信じられなかった。信じきれなかったのだ。
 今は親切にしてくれる人たちだって、自分があのスラムで腹を空かせているだけの小僧のままであったなら、目もくれず通りすぎたかもしれない。彼らが見ているのは「九代目の息子」であり、このザンザスという人間ではないかもしれないのだ。あのオッタビオも、父親である九代目さえも、もしかしたら……
 物思いにふけっていたザンザスの頭に、その時、ふいに予感めいたものが去来した。
 獅子の雄叫びにも似た轟音が、危機感をあおるように頭に鳴りひびいたのだ。
 ザンザスはばっと振り返り、仰天した。自分の後ろに、顔を覆いで隠した怪しげな人物が立っていたからだ。
「何者だ!」
 ザンザスは椅子から転げおちそうになりながら慌てて壁際まで飛びのいた。
 相対する影のような人物――黒い装束を着た人間が近づいてくる。ザンザスの赤い瞳がめまぐるしく動き、相手を観察した。ザンザスははっとした。
「その左腕……義手か?」
 ザンザスの目は、相手の袖口から伸びる左手に釘づけになっていた。見た目には生身の手とほぼ同じ、常人なら気にもとめないであろうほんのわずかな違いを、少年の目はしかと捉えていたのだ。
「うわさで聞いたことがあるぞ。ボンゴレのお抱えの暗殺部隊ヴァリアーには、物凄く強い隻腕の剣士がいると。……おまえがそうなのか?」
「いかにも」
 低い声で影は言い、覆いの奥から目だけをのぞかせた。ザンザスは好奇心に満ちたまなざしを向けた。
「父さんに忠誠を誓った忠実な部隊だと聞いている。おまえ、名はなんという?」
「――テュール、と。あるいは《剣帝》とも呼ばれます」
「剣帝、剣の帝王……帝王というからには相当な強さなんだろうな?」
「無論」
「では、なぜオレに会いにきた?」
「後継者たるザンザス様にご挨拶申しあげるために。突然の訪問をお許しください」
 剣帝はひざまずき、頭を垂れた。
「構わない」
 帝王と呼ばれるほどの人物に丁重に扱われていることにいい気になって、ザンザスは大股に彼に近づいた。
「それより、おまえ、コヨーテ・ヌガーを出し抜く方法を知っているか? オッタビオは? 詳しいのなら協力しろ」
「はっ、何をすればよろしいでしょう?」
「オレをここから出してほしい。この島から、コヨーテにばれないように、だ!」
 ザンザスは叫んだ。
「こんなところ、もううんざりだ! オレは父さんと一緒にいたい。父さんのところに帰りたい――この島から出たいんだ。だが、どんなにお願いしてもコヨーテは首を縦には振ってくれない。あのジジイ!」
「コヨーテが許さないのであれば、黙って出ていくしかないでしょう。ですが、あなた様がいなくなると従者たちが困るのではないですか? オッタビオも泣き悲しむかもしれませんよ」
「どうだか。みんな本心ではオレをどう思ってるか分かったもんじゃない。オッタビオだって、親切なフリをして、裏ではオレのことを憎たらしく思ってるかもしれないだろう。でも父さんは――」
 少年の顔がさあっと曇った。募る寂しさともどかしさにこらえかねたように、少年の目がかたく閉じられた。
「父さんは、オレが急に帰っても、無下に追い返したりはしない。きっと優しく肩を抱いて、部屋に入れてくれる――そうしてくれるはずなんだ……」
「私が父君のところへお連れしましょう」
 剣帝の手がそっと少年の肩に置かれた。
 顔を隠した覆いの奥から、その声は奇妙に甘く響いた。ザンザスの瞳が輝いた。
「本当に? 本当におまえが連れ出してくれるのか?」
「ええ。お任せください」
「頼りにしているぞ。でも、どうやってコヨーテの目をかいくぐってこの島を抜けだすつもりだ?」
「私に案があります。皆には内緒ですよ」
 剣帝の目がゆっくりと細められる。
「そう、誰にも言ってはいけない。大丈夫、皆にばれぬようにお連れしますよ……」

        ◇

 その日の夕方。
「私のせいです。私がお側にいれば」
 顔面蒼白で呟くオッタビオの前で、九代目の嵐の守護者コヨーテ・ヌガーが難しい顔をしている。
 ザンザスの姿が見当たらないのだ。
 こっそり抜けだしていなくなってしまうことはたびたびあったが、少なくとも、夕暮れ時や夜に黙って姿を消すことは一度たりともなかったはずだった。
「最後に会ったのはいつだ?」
「早めの夕食をとり、お部屋にお送りして……それからは、私は別室にいました。あちこち探してはみたのですが」
「またふらっと散歩に出て、ボートの中で眠りこんでいるのではないか?」
「もちろん見にいきました! ですがお姿はなく……もしや九代目の元へ帰りたい一心で――湖に落ちてしまっていたら――」
 懐中電灯を手にした人びとがザンザスを探しにぱらぱらと散らばっていく。コヨーテは今にも崩れ落ちそうなオッタビオの両肩に手を置いた。
「落ちつけ。夕食は一緒だったんだろう? 何か言っていなかったのか?」
「何か、といっても……」
 いつもどおり――けれど、妙に楽しそうだった。時々意味ありげにこちらを見ていた。ふいに話しかけられたあの時、ザンザス様はなんと口にしておられただろう。
(オッタビオ)
(はい)
(ボンゴレにはヴァリアーという暗殺部隊があるのだろう? そこには隻腕の剣士がいるそうだな? 《剣帝》とかいう──)
(ええ、そのようですね。今度、ザンザス様にご挨拶にこられるそうですよ)
 オッタビオがそう言うと、ザンザスはおかしくてたまらないといった様子で口元をにんまりさせた。
(ザンザス様?)
(いや、なんでもない……)
「剣帝――」
「剣帝?」
 聞き返したコヨーテに、オッタビオは両手で掴みかかった。
「そう、《剣帝》です! なぜ急にそんな話をなさるのか不思議でしたが、もしやザンザス様がいなくなったのと関わりがあるのではないですか? まさか《剣帝》がザンザス様を連れ出したなどということは」
「落ちつけ、オッタビオ」
「ザンザス様のお姿が見えないのに、どうして落ちついてなどいられましょうか!」
 オッタビオは叫んだ。
「とにかく、《剣帝》がこの件に関わっていないか一刻も早く確認すべきです。彼がザンザス様を連れ出した可能性があるなら、ヴァリアーによる九代目への造反も疑うべきです! ザンザス様の命が脅かされるようなことがあれば」
「いや、剣帝は――」
 コヨーテ・ヌガーはちょっとためらったようにオッタビオの後ろを仰ぎ見た。
 つられるようにオッタビオは振り返り、ぎょっとした。いつのまにか、長身の男が自分の後ろに立っていたのだ。
 影と見紛うほど真っ黒な装束を着こんだその男は、オッタビオを見下ろし、義手の左手をひらひらと掲げてみせた。
「いかにも、ここにいるのがその《剣帝》だが。オレがなんだって?」

 
        3

 空は、澄んだ青色からオレンジ色へ、そして次第に濃い青色へと移り変わろうとしている。
 空を映した湖もたそがれどきの色に溶け、ゆらゆらとさざ波を立てていた。湖畔の村からこの島へ働きにやってきていた者たちは、湖を渡るため係留しているボートにぞくぞく乗りこもうとしている。
 オッタビオは船着き場へ続く階段を駆けおりながらちらっと横を見た。隣を走っていた《剣帝》が視線に気づいて笑う。
「ザンザス様をどこへやった! と怒鳴られた時には驚いたが、疑いが晴れて安心したぞ。要するに、おまえの考えでは剣帝をかたる何者かが坊ちゃんを誘拐、あるいはもう殺してしまったと。そういうことか?」
「恐ろしいことを言わないでください!」
 オッタビオは金切り声をあげた。
「まだそのような断定はしていません。そして、そうなる前にザンザス様を見つけだすことが、我々の使命です!」
「なるほど、それで他の場所はコヨーテに任せて、我々は島を出帆する人びとにあたってみるというわけだな。坊ちゃんを外に出そうとするなら、どのみち湖を渡っていかねばならないわけだし」
 剣帝はあっけらかんと笑った。
「しかし、《剣帝》を名乗る誰かがいたとして、坊ちゃんはどうしてそいつを《剣帝》だと思いこんでしまったのだろう。そう思わせる特徴でもあったかな。たとえば――この義手とか。ははっ。ところで、なあ、どういうわけかオレはおまえが気にいったぞ。ヴァリアーにくる気はないか? 暗殺術に興味は? おまえのために副隊長のポストを用意しておいてやろうか?」
「このような時に冗談はおやめください」
「おお、怖い。冗談ではないのに」
 ぎろりと睨まれて、剣帝は肩をすくめるような仕草をした。オッタビオはもう返事もせず、後はお互い黙りこんで走った。

 
「ルカ!」
 出帆の準備をする人々の中に見知った顔を見つけて、オッタビオは桟橋を走った。
 フィッシングボートに乗りこんでいた若者が振り返る。「オッタビオ様」
「ザンザス様を見かけませんでしたか? あの黒髪の――」
「さあ。今朝お見かけしてからは見ていませんけども。何かあったんですか?」
「お姿が見当たらないのです。事件に巻き込まれている可能性も否定できません」
「ええ、そりゃ大変だ。オレも一緒に探させてください」
「おおい、オッタビオ」
 他のボートを確認していた剣帝が戻ってきた。
「皆には念のためヴィラに戻ってもらうようにしたぞ。全員快く協力してくださった。手分けして点検しよう。……おや」
 剣帝がルカを見て微笑んだ。
「もしかして君のその左手は義手か?」
「え?」
 ルカが目を見開いた。
 驚いたのはオッタビオも同じだった。何を言いだすのかと剣帝の腕を引いたが、剣帝は構う様子もなく、ルカが袖の中に手を引き込む仕草をするのを無遠慮に見ている。
「オレも同じだから、腕の動かし方なんかでなんとなく分かる。おや、その袋は何かな? 中身を見せてくれるか?」
 指さした先、ルカの足元には、膨れた麻袋がごろりと横倒しになっていた。
 今朝、持ってきた野菜や果物をうんと詰めこんでいた袋だ。
「テュール?」
 今度こそ声に出して、オッタビオは剣帝を引きとめた。
「ちょっと待ってください、さっきから何を言って――」
「君のように島に出入りしている人たちは、この島に何か持ちこんでくることはあっても、持ち帰ることは少ないと聞いている。何かお土産でも貰ったのかな」
「ここの管理者のパオロが土を分けてくださったのです。栄養豊富で作物もよく育つから、使ってみるといいって」
 ルカは巾着型の袋のかたく結んだ紐を重そうに引っ張ってみせた。剣帝は頷いた。
「なるほどな。でもまあ、念には念を入れて、見せてくれるか。ちょうど子ども一人くらいなら入りそうな大きさだ」
「まさかオレを疑っているんですか」
「そのつもりはない。だが、君の行動次第ではそうせざるを得ない」
 しばしの沈黙があった。
 オッタビオは、このいかにも純朴そうな若者が、袋の口を開け、たっぷりと詰まった土を嬉しそうに見せてくれることを心の底から願った。
「分かりました」
 ルカは、オッタビオと、飄々とした表情を浮かべている剣帝を交互に見比べると、袋を引っ張って自分の方に引き寄せた。
 その瞬間――若者の優しげな丸い瞳に、ぎらつく光が宿った。
「銃を捨てて、船から離れろ」
 まぎれもなく、その声はルカから発せられていた。ほんのまばたきのうちに、彼の手には拳銃が握られていた。銃口は足蹴にした麻袋に向けられている。
「聞こえなかったか? 後ろ手に握っている銃を捨てろと言ったんだ、オッタビオ。このガキの命が惜しいならな。それから、そこの貴様――《剣帝》だろう。その左腕の仕込み剣を湖に捨ててもらおうか」
「おや、正体もばれているのか」
「当然だ。もっとも貴様のように剣士としても名高く、顔の割れている暗殺者はそうそういないがな。さあ、早くしろ!」
 剣帝は袖の下から何やらギミックのある剣を抜きだすと、湖にひょいと投げ捨てた。
「ほら、これでいいだろう」
「ルカ、なぜ――何の目的でこんなことをするのですか?」
 丸腰になったオッタビオは、ルカの足元でぴくりともしない麻袋を見た。「ザンザス様が何をしたというんですか?」
「このガキに恨みがあるわけじゃない」
 ルカは銃口をそらさぬまま、義手の左手をオッタビオに見せつけた。
「両親は裏切り者としてボンゴレに粛清された。オレはみせしめに左手を奪われ――だが、それでも生きると決めたのだ。九代目を殺すためだけに! 別のファミリーに拾われ、姓も顔も変え、偽りの過去を作りだした。オレに残されたのはルカというこの名だけだ。そうして奴の別荘のあるこの島に何年もかけて出入りできるようになったのだ。だが、奴のそばには常に守護者が張りついている。諦めるほかないのか、何もかも忘れ、復讐者ではないただのルカとして生きるほうがいいのか――そう思い始めた時、ついに幸運が舞い降りた」
「まさか、それがザンザス様だというのですか」
「そうだ!」
 ルカは憎悪に満ちた目を燃えあがらせた。
「この歳になってドン・ボンゴレに息子ができるとは! 弱みも失うものもなかったはずの奴に、家族を殺されたこのオレの苦しみをようやく味わわせることができるのだ! 幸い、九代目の守護者どもはこのガキにまで目を配る余裕がなく、ガキの側にいるのは側近になったばかりで自信のない未熟な若造ときたもんだ。おまえだから、オレはやると決めたんだぜ、オッタビオ」
「そんな」
 オッタビオの悲痛な呻きに、ルカの引きつった笑い声が被さった。
「ただ殺すのでは意味がない。自分の死と引き換えてでも、息子をなぶり殺しにするさまをあいつに直接見せつけてやらねばならない! だが、ガキとはいえボンゴレに伝わるあの奇怪な炎を使われると厄介だ。多少怪我をさせてでも連れていくつもりだったが――このガキが、左手のないオレを、よりにもよってそこの《剣帝》と勘違いしたのさ。この左手に初めて感謝したね。何も知らず、素直にいうことを聞くガキの姿は実に滑稽だったとも」
「ルカ、あなたの苦しみとザンザス様は何の関係もありません。どうか考え直してください! 自分がどれほど恐ろしいことをしているか分からないのですか?」
「もちろん、分かっているとも」
 ルカは呟いた。
「だからこそやるんだ。やらねばならないんだ!」
「あなたはザンザス様に狙いを定めて――私に声をかけておいて、最初から裏切るつもりだったのですか?」
「裏切る? おまえが勝手に期待し、自分に都合のいいように信じただけだ!」
「私は、私は――あなたとよい友人になれたらいいと――そんなふうに願ってさえいたのに……!」
 ともすれば泣きだしかねないほどに、オッタビオの声は震えていた。心の中でいくら否定しても、凶行に及ばんとする目の前の男こそルカであり、友となったかもしれないその人にほかならないのだった。
「さあ、後ろへ下がれ! 遠くへいけ!」
 ルカが銃口を麻袋に押しつけた。
(ザンザス様!)
 思わずオッタビオはボートに向かって駆け出しそうになった。
 だが――
「もういいか?」
 声を発したのは、オッタビオとルカのやりとりを黙って聞いていた剣帝だった。
 短い、何気ない言葉であったにもかかわらず、オッタビオはその言葉の持つ力に押さえつけられたように立ち止まっていた。何かとてつもない、言い表しようのない力が、この場を押し潰そうとしているかのようだ。ルカが目を見開いて、とぎれとぎれに聞き返す。
「なん――だ。何のことだ――」
「話はもう済んだかと聞いているんだ」
「なんだと?」
「オレは九代目の《剣》だ」
 剣帝はゆっくりと言った。
「おまえはこのオレの名をかたり、利用し、九代目を、そしてザンザスを傷つけようとした。これ以上の侮辱はない」
 その時、正面から彼を見据えていたルカが果たして何を見たのか――
 ルカは急に怯えたようになり、冷や汗を流し、恐慌を起こした。獅子に睨まれ、逃げまどいながら最早逃げられないと悟ったものの最後の抵抗であるかのごとく――
 足元の麻袋を抱えあげるやいなや、湖めがけて投げ入れたのだ。
 オッタビオの口から、悲鳴に似た絶叫が洩れた。
「ザンザス様!」
 絶望感に打ちのめされそうになっていたオッタビオの身体に、その時、急に物凄い力が湧きあがってきた。
 怒りとも勇気とも知れぬその力が、オッタビオの弱りきった精神に恐ろしいまでの活力を与えた。打たれたように飛びあがると、オッタビオはジャケットと靴を脱ぎ捨て、ザンザスが落ちた場所めがけてまっすぐに飛びこんでいた。
 ルカは逃げるように運転席に飛びつき、振り返った。動きだそうとしたボートに、ドスン、という重い音をたてて剣帝が飛び乗ってきたのだ。
 驚いたルカは叫びながらめちゃくちゃに発砲した。剣帝は構わずずかずか歩いてくると、ルカが弾切れした銃を放り捨てて腰のナイフを掴もうとしたところへ、その手を伸ばし、奪いとった。
 直後、光るナイフの先端が腹部に押しこまれ、ルカの顔が苦痛に歪んだ。剣帝は薄く笑っていた。
「左手であれば、もっと楽に死なせてやれただろうに。残念だったな」
「呪ってやる」
 ルカは吐き捨てた。
「オレを消しても、おまえたちの罪は消えない。いつか思い知ることになるぞ……」

 
 にわかに湖面が明るくなり、眩いオレンジ色に輝きだした。 
 夜に沈みだした湖に、その光は異様なほど輝いて見えた。すぐさま水中から泡が立ちのぼり、光る水面を突き破ってオッタビオが浮かんできた。腕には麻袋を抱きかかえている。
「テュール!」
 オッタビオは叫び、水を吸ってずしりと重くなった麻袋を必死に宙に向かって押しあげようとした。剣帝は麻袋を引きあげるとナイフで切り裂き、中から縄で縛られているザンザスを引きずりだした。
 少年は水を飲んでむせていたが意識はあり、目の前で見知らぬ男が微笑んでいるのに気づくと赤い目をぱちくりさせた。
「だ――誰だ、おまえは。何がどうなっている。なんで湖に――《剣帝》は?」
「よい判断でした」
 ザンザスの問いかけには答えずに、
「目覚めてすぐにあなたはご自分が水中にいると理解し、何かが落ちてきた音に気付いて《憤怒の炎》を使われた。その明るさでご自分のいる場所を伝えようとしたのでしょう。この状況下で、炎の出力をコントロールできたのはお見事です。失敗すれば、彼も私もボートもろとも吹き飛んでいた」
 続いて引きあげられたオッタビオは、自らも体力を消耗しているにもかかわらず、ザンザスの姿を見つけるやいなやそのかたわらに駆け寄り、少年を締めつけている縄をほどいてザンザスをひしと抱きしめた。
「ザンザス様――よかった――」
「オッタビオ。何が起きたのか説明しろ」
「彼が――ルカが、あなたを――私がずっとお側にいればこんなことには……」
 わけが分からないままオッタビオにぎゅうぎゅうに締めつけられ、ザンザスはますます混乱したようだった。もがき、それでもオッタビオが離れないと分かると、少年は途方に暮れたように剣帝を見た。
「彼は、あなたを助けたい、その思いひとつでここまで来たのですよ。ザンザス様」
 そう言うと、剣帝は積んであった荷物の中からシーツのようなものを持ってきて、それでザンザスとオッタビオを包みこんだ。
「コヨーテには私から知らせておきます。あなた様は身体を温めながら、ここでしばらく休まれるとよいでしょう。……彼にも、もう少し時間が必要でしょうから」
 言われてはじめて、ザンザスはオッタビオの身体が寒気のためだけでなく震えていることに気がついた。
「おい――」
 呼びとめようとしたが、男はボートを下りて階段に向かってすたすたと歩きはじめているところだった。夜の濃い青に包まれつつある湖上の島の、ヴィラから湖に至るまでの道のりに、いくつも白い光がちらちらと動いていた。コヨーテたちが明かりを手にザンザスを探しているのだ。
 困りはてて、ザンザスはオッタビオに声をかけた。
「オッタビオ。――泣いているのか」
 オッタビオは顔をあげた。ザンザスの後ろで、ルカが運転席にもたれかかるようにして死んでいるのが見えた。友となるかもしれなかった若者の、優しげな声と笑顔がオッタビオの胸によみがえってきた。
 どうすればいいか分からずじっとしていたザンザスは、オッタビオの腕の力がいっそう強まるのに気がついた。オッタビオは深く息をつき、自分の腕の中で、少年の細い身体が寒さに震えつつもたしかに呼吸し、生きようとしているのを確かめた。
「あなたは生きている――」
 オッタビオは呟いた。
「よかった、ザンザス様。あなたを見つけられて、本当によかった……」
 ザンザスはますますうろたえたが、おそるおそる手を持ちあげると、震えるオッタビオの肩を両手で包みこんだ。
「泣くな。何がそんなに悲しい。泣くな、泣くなといったら。オッタビオ――」

 
 
「……様。オッタビオ様」
 オッタビオははっと目を覚ました。
 机に向かううち、いつのまにか眠りこんでしまったらしい。若い部下が側に立ち、ためらいがちに声をかけていた。
「お疲れのところ申し訳ございません。そろそろお時間です。ご準備を。その――」
 戸惑うような視線に気がついて、オッタビオは自分の頬に触れた。知らず流れ落ちていた涙が、痩せた頬にいくつも透明の筋を描いていた。
「オッタビオ様――」
「なんでもありません」
「しかし」
「本当に、なんでもないのです」
 オッタビオは眼鏡を押しあげて目をこすり、涙の跡をかき消した。
「ただ、少し夢をみていただけです。ひどく懐かしい夢を」 
 執務室を出ていく部下の姿を見送り、椅子にもたれかかる。
(どうしていまさら昔のことを夢にみたのか。あれから、剣帝は死に、ザンザスもいなくなった――)
(あの日々はもう二度とは戻らない。だが、それでいいのだ。彼らがいなくなったように、夢にあらわれた私もまた、もうどこにもいないのだから)
 何も知らなかった自分、人の裏切りや死にとまどい、主君となるはずだった人の肩で涙した青年時代のオッタビオはもういない。消えてしまったのだ。ザンザス率いるヴァリアーの反乱計画を密告すると決めた時に。そして、旧イタリア軍の研究レポートを手にいれ、ヴェッキオ・モスカを造りあげると決めたあの時に。
 ここにいるのは、若く夢みがちだった青年時代のオッタビオではない。独立暗殺部隊ヴァリアーの副隊長であり、将来を約束された幹部カポなのだ。
(もう後には戻れない。私は前に進まねばならない)
(だが――なんと儚く、なんと眩い日々の夢だったか。あの湖、あの光――)
 湖面に揺れる夏の陽光、美しい庭、ボートの上で身を寄せあった少年、過ぎ去っていった人びとの懐かしい顔。
(それでも、私はもう夢をみたりなどしない……)
 瞼の裏に残る湖上の夢の情景を追い払うように、オッタビオはそっと目を閉じた。

              (終)

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