襲撃事件に巻き込まれたクロームがヴァリアーの女隊員(強い・ちょっとクール系)と出会って仲良くなる話です。
友情夢で恋愛要素はありませんが、怪我の手当てをしたり身を寄せ合って眠ったり、クロームを守るために戦ったりします。
匣兵器(動物型)を模したオオカミが敵としてちょこっと登場したりとややオリジナル要素があります。バレンタインデー系の夢ですがチョコレートの要素は最後の最後にしか出てきません。
+‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+
瞳に映るもの
森の中を、少女が息を切らして走る。
手には折れた槍を抱え、生茂る草にときおり足をとられそうになりながらも、草木をかきわけ、月明かりだけをたよりに森の中へと進んでいく。
そのすぐあとを追う影が四つ。——ちらっと振り返った少女の目に、怯えと焦りの色が浮かびあがる。燃えるように光る眼、低い唸り声、荒々しい鼻息。群れをなした狼たちがすぐ後ろに迫っているのだ。
彼らはかなりの長い時間、逃げる少女のあとにぴたりとつくようにして走り続けていた。少女が隙を見せるその瞬間まで、少女を確実に疲弊させ、追いつめるためだ。
反撃の機会をうかがってもう一度振り返ろうとした時、少女の足ががくりと揺れた。
「あ——!」
滑るようにして土の上に倒れこんだところへ、群れの先頭にいた狼がすぐさま唸り声をあげて飛びかかる。
「だめっ……!」
少女が思わず目を閉じたその時、視界の端にさっそうと黒い影が飛びこんできて少女と狼のあいだに立ちふさがった。
それと気づいて少女が目を開けた時には、一刀両断された狼の身体が宙を舞っていた。胴のあたりで分断された肉体が二つにわかれてどっと地面に落ち、血液とともに大量の《炎》を撒き散らした。
周囲をとりかこんでいた狼たちがわずかに怯む様子を見せた。少女はおそるおそる視線を上げ、一刀のもとに狼を切り伏せた人間を見上げた。
男——それとも女だろうか?
月明かりに照らされて、かろうじて人であることだけは分かる。
首から足先まで黒い衣装に包まれていて、ほとんど黒一色といっていい。唯一なにものにも覆われていない顔と、その手に構えた長剣の刃が、うす闇の中、月光を浴びて白く光っている。
その剣がゆっくりと動きだし——続けて襲い掛かってきた狼を目にもとまらぬ速さで切り捨てた。
そのままの勢いで、さらにもう一頭の首が飛ぶ。切り口から火花のように飛び散る《炎》に、周囲がほの明るく照らされた一瞬、残る一頭のおびえきったような表情と、それに対峙する人間の冷徹なまでの無表情が浮かびあがった。
少女が驚きと恐怖で目を見開くのと同時、切り伏せられた狼が音をたてて地面に倒れこむ。
ほんのわずかな間に、少女とその人物以外、周囲から動くものの気配は消えてなくなっていた。静まり返った森に、少女の乱れた呼吸音だけが小さく響いている。
「クローム、さん?」
——狼たちの死骸のほうから、ふいに声が発せられた。
少女はどきっとしてそちらを見た。
声は、まぎれもなく、剣を手にしたその人物から聞こえてきていた。想像していたよりずっと高く、かといって高すぎるわけでもない、落ち着いた女性の声だった。
声の主は剣を仕舞い込むと、狼たちの死骸を踏み越え、驚きのあまり声もたてられないでいる少女に向かってゆっくりと手を差し伸べた。
「わたしはヴァリアーのハナコといいます。クローム・髑髏さん、あなたを助けにきました」
1
……いったい、どうするのがいいのだろう。
いっこうに握りかえされない手を、いまさら引っ込めることもできず、ハナコは少女に手を差し出した姿勢のままで固まっていた。
初対面だが、人違いではないはずだ。片目に眼帯をつけた少女は黒い瞳をこぼれんばかりに見開いて、ハナコの姿をまじまじと見つめている。もしかすると怖がらせているのかもしれないな、と思い、ハナコはそうっと少女の前にしゃがみこんだ。
「クローム・髑髏さん。わたしはヴァリアーに所属する隊員のハナコといいます。あなたを助けにきたのです。お怪我はありませんか? どこか痛むところは?」
少女が無言で首を横に振る。こちらの問いかけに反応してくれたことにハナコはほっと胸を撫で下ろし、あらためて少女の様子を探った。
森の中を必死に駆けたせいだろう、手足に小さな傷をいくつも作ってはいるが、痛がったり苦しんだりするようなそぶりはない。呼吸の乱れも徐々に落ち着きはじめている。疲労はかなり溜まっているようだが、休めばそのうちに良くなるだろう。まさか、イタリアに来て早々このような荒っぽい襲撃事件に巻き込まれるとは彼女も想像もしていなかっただろうに。
(それにしても……)
ハナコはクロームの顔をじいっと見つめた。
見た目には、まだほんの子どもだ。全体的にほっそりとしていて、つかまえていてもすり抜けていってしまいそうな、今にも消えていきそうな儚げな印象がある。うっすら紫がかって見える憂いを秘めた瞳が余計にそう感じさせるのかもしれない。
しかし、それでも彼女はハナコと同じくマフィアであり、そのうえ、霧のボンゴレリングを所持するあの六道骸の依り代として沢田綱吉らとともに戦っていたという。しかも一時はボンゴレリングを巡ってヴァリアーとも敵対していたというのだ。こんないたいけな少女がまさか、信じられない、というのが正直な感想ではあったが、ヴァリアーの幹部クラスの者たちによると、それらの話はすべて真実らしかった。
と、ふいに、耳元に雑音の入り混じった声が聞こえてきた。
ハナコは立ちあがり、クロームから少し離れたところへいってイヤホンマイクに向かって応えた。
「はい」
《——ハナコ! 生きているかぁ?》
上司であるスクアーロのいっそう大きな声がひび割れんばかりに響いてきた。
《聞こえているんならさっさと返事をしろ! そっちに行った敵はどうしたぁ!》
「標的は全て始末しました」
《よぉし! よくやった! それで、例のモンはどうしたぁ?》
「スクアーロ隊長のおっしゃっていた通りでした」
ハナコは声を落として言った。
「やはり、奴らは《炎》で作動していると思われる兵器数体を投入していました。スクアーロ隊長たちの目で直接確かめていただかないことには確証は得られませんが」
足元に転がった狼たちの死骸を見下ろす。
「おそらくこれが、隊長たちのおっしゃる未来に存在していた《匣動物》を模して造られたものでしょう。人間の生体エネルギーで動く兵器など、モスカが最初で最後だと思っていましたが」
《ふん。どこの技術をパクって繋ぎあわせてんだか知らねえが、試作段階であろう今のうちに回収しておくに越したことはねぇ。ボンゴレファミリー以外のモンに、第二の暴雨鮫でも造られちゃたまんねえからなぁ! どうだ? おまえひとりで回収できそうか?》
「小型とはいえ、かなりの重さがあるのでひとりで運ぶのには時間がかかりそうです。可能であれば応援をこちらに向かわせてください」
《今どのあたりにいる?》
「元の地点から西の方角へ……まだ正確に距離を掴めていませんが、森のかなり奥まで進みました」
《暴雨鮫の嗅覚で追えないのはそのせいかもな。ただでさえ血の匂いが濃い。迎えを寄越してやりたいところだが、こちらはもうしばらくかかるぞぉ。ひとりか?》
「クローム・髑髏と一緒です。彼女は——」
ちらっとクロームの方を見る。
「大きな怪我はありませんが、疲労が溜まっているようです。安易に移動させるのは危険です。体力を温存し、ここで夜明けを待つのが得策と判断します」
《——わかった。位置を送れ。朝になり次第、アーロを向かわせる……》
ジジ、と音をたてて通信が切れた。
ハナコはふっと息を吐いて、クロームのほうへ向き直った。そして、クロームが落ち着かない表情で自分を見ているのに気がついた。
「今の、通信の相手——」
「ああ」
おそるおそるといったふうに声をあげたクロームに、ハナコは自分のイヤホンマイクを指差して、
「ご安心を。わたしの上司のスペルビ・スクアーロです。あなたもご存知かもしれませんが——かなり声が大きいのです。ただ喋っているだけなのに、音漏れするのが日常茶飯事で」
ハナコとしては、面白いことを言ってクロームを笑わせるつもりだったのだが、クロームの表情はちっとも変わらなかった。それどころか、余計にどぎまぎさせてしまったようだ。
暗殺者という職業柄なのか、笑う、ということに関する知識をハナコはあまり持っていない。ヴァリアーの中にも、話術であったり、男女問わず虜にする手管だったりを身につけて暗殺業に活かす者もいるが、ハナコはそうではない。ただ標的を殺すこと、戦うことだけに特化した、いわば戦闘マシーンのようなものなのだ。
その意味では、人間より、ハナコが倒してしまったこの狼たちにずっと近い——《炎》を動力にして戦闘をこなす獣の形をした兵器と、命令のまま動く自分とにいったいどんな違いがあるというのだろう?
「……とりあえず、ここから少し離れましょう。血の匂いで気分が悪くなってしまうかもしれませんから」
ハナコは足下の狼たちから視線を引き剥がすと、クロームの肩を支えて立ちあがらせた。怯えさせないよう、つとめて柔らかい表情を作る。
「朝になれば、われわれと、この狼の遺骸を回収するために迎えがきます。それまであなたは身体を休めてください。——大丈夫、何かあれば、わたしがあなたをお守りします」
2
立ち木に枝を立てかけ、落ち葉をかぶせて急ごしらえのテントを作った。
まともな用意があるわけではないので、かなり簡素な出来ではあるが、ないよりはあるほうがましだ。二人で座りこめばそれだけで窮屈になってしまうサイズだが、寒さをしのぐためであればこれくらいでも充分だろう。
枯れ葉を敷きつめた上にシートを被せ、地面からの冷えが伝わりづらくなるようにする。肌を刺すような二月の寒風がびゅっと森を吹き抜けた。壁にあたる部分をもう少し厚くしようと、かき集めてきた枝や草を手にもくもくと作業するハナコを、クロームは折れた槍を抱えたまま座りこんでじっと見つめていた。しばらくして、何度か逡巡するそぶりを見せたのち、おずおずと口を開く。
「あの——何か、手伝えることは……」
「大丈夫です」
きっぱりとハナコは言った。
「この作業はわたしひとりでもできます。クロームさんは身体を休めることを優先してください」
「でも……あっ」
冷たく言ったつもりはなかったが、どこかしゅんとした様子のクロームをハナコが不思議がっていた時、クロームが何かに気づいたようにはっと顔をあげた。槍を置いて立ちあがり、ハナコのほうへ近づく。
「クロームさん?」
おとなしく見えたはずの少女が急にぐいぐいと目の前に迫ってきたので、ハナコは内心何事かと危ぶんだ。失礼なことを口にして怒らせてしまっただろうか?
「どうされましたか? わたしに何か?」
「あなた——頭に怪我をしてる」
「頭?」
「このあたり——」
クロームの手がそっと伸びてきて、ハナコの頭に触れようとした。
「ああ」
ハナコは手をあげて、小さなその手を遮った。
「ここへ来るまでにも何度か交戦したので、その時についた傷でしょう。あまり深い傷ではありませんからお気になさらず。触ると手が汚れますよ」
「でも!」
自分で頭をまさぐって、指についた血をこともなげに眺めるハナコに、クロームが声をはりあげた。ハナコが驚く以上に、クローム自身がその声の大きさにびっくりした様子だった。
「でも——」
消え入りそうな声に戻って、ぼそりと呟く。
「あなたは私を助けてくれた。だから、ほうってはおけない。そこに座って。ちょっとのあいだ、じっとしていてくれるだけでいいの」
ハナコはとまどいながらも、言われたとおりに座ることにした。そう言って唇を引き結んだ少女が、なぜだか今にも泣きだしてしまいそうに見えたのだ。どうして彼女が泣きだしそうな表情をするのかハナコにはちっとも分からなかったが、今は彼女の言うとおりにすることがきっと最善なのだろうと判断してのことだった。
「ちょっと待ってて」
クロームは自分の荷物の中から救急セットを取り出すと、ハナコの頭をじっと覗きこんで、慣れた手つきで手当てを始めた。ハナコはうつむきながら、少女の小さな手が遠慮がちに自分の頭をまさぐるのを見守った。
「ありがとうございます。ずいぶんと慣れた手つきですね」
「犬——私の仲間が——喧嘩したり、暴れたりしてすぐに怪我をするの。私自身も……けっこう怪我をしちゃう。千種がよく手当てをしていたから、私も見様見真似でやってみて……」
これで終わり、とクロームの手が離れた。手当ての具合を確かめようとしたのか、一歩下がって真正面からハナコに向き直る。
「あ……」
驚いたように、クロームが身をこわばらせた。
「クロームさん?」
ハナコは目を見開き、もしかして怖い顔でもしていただろうかと慌てて自分の顔に手をあてた。
「申し訳ありません。うまく笑えていなかったでしょうか」
ハナコはすかさず謝罪の言葉を述べた。
「怖がらせてしまったのなら謝ります。あなたのような年頃の女の子とお話しする機会がこれまであまりなかったので、正直、どう接すればいいのか分からないのです。うまく笑えているかどうか自信がありません。もしかしたら、ちっとも笑っていないのかも。可愛げがないとか、堅物だとかよく言われます。わたしはヴァリアーの暗殺者として生まれ育って、あまり人間らしいことをしてこなかったから——人間というより、機械や兵器みたいなものなので」
「ちがうの」
クロームの口元が微笑んだ。
「ただ……あなたを見て、すごくきれいな瞳だと思っただけ。あまりにきれいだったから、びっくりしたの」
ハナコは戸惑い、座った姿勢のままでぼうぜんとクロームの顔を見上げた。
「瞳なら、あなたもきれいだ」
どう答えるのが正解か分からず、思ったままのことを呟く。クロームの顔がぽっと赤くなった。
「そんなことを言われたの、初めて」
「……わたしも……誰かにこんなことを言うのは初めてです。手当てをしていただいて、ありがとうございます」
ハナコは気をとりなおして、簡易テントの組み立てに戻った。胸のあたりがもぞもぞするような感覚があったが、それ以上は構っていられなかった。
◇
夜明けまでの数時間、ハナコとクロームは水と携帯食料を分けあったあと、葉と枝でできたテントの下に身を寄せた。
「朝がくるまで目を閉じてお眠りください」
自分の隊服の上着を脱いでクロームの肩にかけてやりながら、ハナコは諭すように言った。白いシャツ一枚の薄着になったハナコをクロームがきょとんと見つめる。
「あなたは? 上着……寒くないの?」
「問題ありません。暑さや寒さには慣れています」
ハナコはこともなげに言った。
「幼い頃から、そうなるように仕込まれてきましたから。だけど、あなたは違う。ボンゴレの術士であっても、本質はごく普通の女の子でしょう。身体を冷やすのはよくありません」
「待って!」
葉っぱの屋根をかいくぐって出ていこうとするハナコをクロームが引き留めた。
「どこにいくの?」
「念のため、周囲の見張りを。周辺一帯の敵は掃討済みですが、隊長たちの攻撃から逃れたものがこちらへ来ないとも限りませんので」
「でも、そんな格好じゃ本当に風邪をひいちゃう。上着、返すから、ちゃんと着て」
「クロームさん」
慌ててヴァリアーの隊服を脱ぎ捨てようとするクロームを、ハナコはそっと押しとどめた。
「それはあなたが着ていてください。今回のわたしの任務は、あなたをお守りすること。あなたが無事で帰れるようにすることがわたしの使命です」
「じゃあ、ここにいて」
きっぱりとクロームは言った。
「お願い。ここに残って、私といっしょにいて。——ひとりでどこかに行こうとしないで。戦うときには、私も戦えるから。私もボンゴレの霧の守護者だから」
また泣きだしそうに顔が歪む。くしゃくしゃになった少女の表情を、ハナコは戸惑いがちに見下ろした。
「……分かりました」
観念して、ハナコはその場に座りこんだ。
「あなたがそうおっしゃるのなら、わたしもここにいます」
クロームがほっとしたように息をつくのを、ハナコは不思議な気持ちで眺めた。——こんな小さくてかよわい少女が、暗殺者として生きてきた自分に、ここにいろ、だなんて。
そんなことを言われたのは初めてだった。さっきから何もかも初めてのことだらけだ。瞳をきれいだと言われるのも、ここにいろと言われるのも、夜、こんなふうに誰かといっしょに過ごすのも。せめて何かあった時にはすぐさまクロームを守れるようにしようとクロームの隣に座りなおし、すぐそばに剣を置く。クロームもかたわらに折れた槍を置いていた。
と、ふいにクロームがぐいと身を寄せてきた。
「クロームさん?」
「その……くっついていれば、あなたも温かいかと思って……」
少女の口元からごく小さな声が聞こえた。
ハナコは目を見開き、クロームのほうを向いた。クロームはうつむいたまま、恥ずかしそうに目を伏せていた。
「そうですね。とても温かい——」
ハナコは腕を持ちあげ、少女の肩を抱いた。びっくりしたように震えた小さな肩が、やがておずおずとすり寄ってくるのを確かめてハナコは口元をほころばせた。少女の優しさと温もりがじわじわと胸に染みいるように感じられる。
「あなたは、ずっとヴァリアーにいるの?」
クロームが小さく囁いた。
「あの髪の白い、スクアーロ——さんの部下なの? 私のボスや骸様には会ったことはある?」
「そうですね、わたしは長いあいだスクアーロ隊長のもとで働いています。沢田綱吉様たち、十代目ファミリーの名前は存じあげていますが、直接お会いしたことはありません」
「そうなんだ。……皆にあなたを紹介したいな……この人が私を助けてくれたんだって。最初はちょっと怖かったけれど、私を助けてくれた時のあなたの姿、とってもかっこよくてきれいだった——」
夢見るように呟き、クロームは笑顔を浮かべた。
「あなたは自分を機械や兵器みたいだって言ったけれど——そんなことない。私、あなたが一緒にいてくれてよかった」
「——クロームさん」
「もう寝るね。上着、貸してくれてありがとう。おやすみなさい」
言っておいて恥ずかしくなってしまったのか、クロームはそう矢継ぎ早に告げると、赤くなった頬を隠すようにうつむいて目を閉じてしまった。
しばらくしてその小さな身体が寝息にあわせて上下するのを確かめて、ハナコはぱっちりと目を開けた。
夜明けまであと少し。冷えた風が、急ごしらえのテントの葉っぱを揺らす。
近づいてくるものの気配はない。だが、油断はしない。うす闇の中にハナコの目が爛々と光っていた。
——この少女を守りとおす。
それがわたしの使命なのだから。
◇
「——おまえ! いい加減、そこをどくびょん!」
翌朝、クロームが目を開けたときにはハナコの姿は隣になかった。
いつのまにか彼女の荷物を枕にして、すやすやと眠りこんでいたらしい。慌てて起きあがると、テントを出てすぐのところで、仁王立ちになったハナコに向かって犬が吠えたてていた。千種も一緒だ。
「おまえもヴァリアーの隊員だろうが? これだけ言ってるのになんで分かってくれないんれすかね。そこの馬鹿女はオレたちんとこの所属なんだっつーの!」
「……犬。クロームが起きてる」
「ああ?」
千種につられて、犬もクロームの方を向く。「馬鹿女! さっさと起きあがって、オレたちと一緒に行くびょん!」
「本当にあなたの友人なのですか?」
剣を構えたまま冷静な声でハナコが言う。クロームは頷いた。
「犬と千種。私の友だち」
「けっ! なーにが友だちれすか! 気色の悪いこと言うな!」
ハナコはぎろりと少年たちを睨んだ。友人と名のつくものにしてはずいぶんとぶっきらぼうな態度のように思えるが、クロームが怯えていないのを見るに味方であることは確からしい。
年齢もクロームとさして変わらないようだ。いったいどうやってここを探りあてたのかと訝しんだが、犬と呼ばれた金髪の少年が口元にはめこんでいた牙状のカートリッジ——あれが人体に変化を引き起こし、動物に擬態することができるらしい。少年が現れたときのゴリラのような風態はおそらくパワー重視のもの。嗅覚のすぐれた動物に擬態することができればクロームの匂いを嗅ぎ分けることも可能なのだろう。
「おい! 何じろじろ見てんだ、女ぁ!」
「犬、この人は私を助けてくれたの」
今にも飛びかかりそうな勢いの犬をクロームがそっと押しとどめた。
「私の命の恩人なの。ひどいことを言ったりしないで。お願い」
「それがなんだってんだよ! 命の恩人だかなんだか知んねーけど、ヴァリアーだってマフィアであることには代わりないびょん! オレらはマフィアとは仲良くしねーんだからな!」
「クローム、骸様が心配してる。帰ろう」
もうひとりの眼鏡の少年が低く言った。
「骸様が?」
少女の顔がさっと赤くなった。ハナコは彼らの様子を注意深く観察したのち、ふっと息をついて剣をおろした。
「仲間の方が来られたのであれば、もう安心ですね」
「あ……」
こうもあからさまに敵意を向けられては、ハナコとしても立ち去るほかない。去っていこうとする気配を見せたハナコに、クロームが慌ててすがりついた。
「待って! 一緒には行けないの? 私、あなたのことを骸様に紹介したい。私を助けてくれた人なんだって骸様に教えてあげたいの」
「わたしにはまだやるべきことが残っていますので」
ハナコは言った。言ってから、ちくりと胸が刺すのを覚えた。
まただ。また、あの表情。クロームの顔が今にも泣きだしそうに歪んでいる。冷たく突き放したつもりはなかったのに。
「……ハナコ、さん」
クロームがぎゅっとハナコの服を掴んだ。
「私、いつもは日本にいるからとっても遠いけれど——ここでお別れにしたくないの。イタリアに来たらまた会える? 会いにきてくれる? 私から会いに行っても怒らない? あなたのこと、もっとよく知りたい。仲良くなりたいの。私の友達になって」
「クロームさん」
ハナコはためらいがちに手を伸ばし、クロームの肩を抱いた。犬が驚いたように目を見開き、何事かわめきたてているが、ハナコの耳には入らなかった。
「きっと会いにいきます。あなたがそう思ってくれるのならば……わたしもあなたに会いたい」
クロームがぱっと顔を輝かせて、ハナコに飛びついた。悲しみのためにではなく、笑顔とともに溢れてきた涙が少女の頬を伝っていた。
「クローム」
「千種、——わかってる。待たせてごめんね」
クロームはそっと身体を離すと、あらためてハナコに向き直った。
「ありがとう。私に優しくしてくれて。ありがとう——ハナコさん」
ハナコはクロームと犬、千種の顔を順番に見つめ、静かに彼らの前から立ち去ろうとした。
そのとき、空から白い翼が舞い降りてきて、ハナコの頭上を通りすぎた。思わず顔をあげて振り返ったハナコは、その白い翼がゆっくりとクロームの腕にとまるのを見た。見るものをその内側に引きずりこむような、深い色をしたオッドアイのフクロウだった。
フクロウの頭を撫でてやったクロームが、片手をあげて、こちらに向かってゆっくりと手を振っている。ハナコも同じように手を上げた。自然と口元がゆるんで、微笑みの形を作っていた。
遠くから、樹をなぎ倒すようなものすごい轟音が震えとなって伝わってきた。朝日がのぼるとともに、スペルビ・スクアーロを乗せた《暴雨鮫》のアーロが森の中を突進してくるところだった。
3
——数日後。
「おまえに手紙が届いてるぞ」
スペルビ・スクアーロが、一枚の紙を手に、ソファに座っていたハナコのところへやってきた。
「それも骸からだぁ」
「骸? 沢田綱吉様の守護者からですか?」
「手紙といってもメッセージカードみたいなもんだぁ。礼が書いてあるぞ」
受けとって、差出人と内容を確認する。たしかにそれは骸からの手紙であり、遠回しでありながらも感謝を伝えるような言葉が短く書き記されていた。
「礼を言われるような心当たりがありません。人違いではないでしょうか?」
「おまえにはなくても、あっちにはあるんだろうよ。つべこべ言わずに受けとっておけぇ」
「やだわ、ハナコったら」
不思議そうな顔をしているハナコの隣にすかさずルッスーリアが座りこんだ。
「こないだの襲撃事件でクローム・髑髏を助けたんでしょう。きっとそのお礼よぉ。ボンゴレに牙をむいたゴロツキどもは全滅、匣動物のまがいもののようなモノも全部回収できたし、大活躍だったそうじゃないの」
「ぬ——」
向かいで黙って聞いていたレヴィ・ア・タンが嫉妬のこもった目でハナコを見る。彼はあの日、仕留めた標的の数でいえばハナコよりも成果をあげていたが、こうしてハナコが手放しに褒められている場面に出くわすとどうにも居心地が悪いようだった。
もっとも、ハナコはそれが嫉妬の視線だとは気づかず、どうして彼がこちらを見るのかも一切分かってはいなかったが。
「仕事である以上、なんらかの成果を出す責任がわたしにはあります」
ハナコはきっぱりと言って、メッセージカードの文字に視線を落とした。
「それが求められている以上のものであれば、称賛されて然るべきでしょう。でも、わたしはただ成すべきことを成しただけ。ルッスーリア様のおっしゃるような活躍はしておりません」
「もう! 謙遜しないの!」
「謙遜など——」
ルッスーリアに肩を小突かれながら、ハナコはぼんやりとあの日のことを思い返した。
あの《匣動物》を模して作られた狼たちがその後どうなったのか、ハナコは知らない。もしかするとザンザスの《憤怒の炎》によって灰と化したかもしれないし、機密としてボンゴレの地下深くに封印され、二度と目覚めることのないようにされたのかもしれない。
暗殺者として生きるこのわたしも、いつか組織の役に立たなくなる日がくれば、彼らのように始末されてしまうのだろうか? 人間よりも機械や兵器に近しいこのわたしも——灰になって消えてしまう日がくるのだろうか?
だが、あの夜、その考えを否定してくれたクロームの言葉が、ハナコを人間のいる世界へと引きとどめてくれている。機械でも兵器でもない、人間なのだと彼女は教えてくれた。ハナコはクロームを助けたが、クロームもまたハナコを助けたのだ。
「でも……」
ハナコはぼそりと呟き、骸のメッセージカードを電灯にかざして何か透けて見えてこないかと確かめた。
「わたしは確かにクローム・髑髏のことを助けました。でも、それでなぜ六道骸がわたしに礼を言うのですか? わたしは六道骸には何もしていません。会ったこともありませんし」
「それはねえ、あなたが骸の仲間であるクロームを助けたから……もう、ちょっとスクったら」
ルッスーリアの手がぐいとスクアーロの襟首をひっ掴む。
「この子の教育どうなってるのよ。暗殺者だからってこれじゃあだめよ」
「ゔお゛ぉい、なんでオレに言う」
「あんたが上司でしょ! ほとんど親みたいなもんでしょうが!」
ハナコには聞こえないよう小声で怒鳴りつける。
「たしかにハナコは暗殺者としては優秀でしょうけれど、もっといろんなことについて学ばせたほうがいいわ。この子はもっと外の世界を知るべきよ。それこそ、金を払ってでも沢田綱吉のところへ留学にでも行かせたほうがいいわ、沢田家にはガキんちょがいっぱいいるでしょう。友達なんていなくたって平気、みたいな顔してるけど、そもそも友達を作るような機会すらこの子にはなかったじゃあないの。友達がなんなのかすら分かってないかもしれないわ」
「ゔお゛ぉい、ンなことはボスに言えよ。オレよりハナコのほうがずっと昔からヴァリアーにいるんだぞ。オレがヴァリアーに入隊した時にはハナコはまだガキんちょだったが、とっくにそういう人間だった。だいたいその金は誰が出すんだぁ、おまえの給料から差っ引いていいっていうんなら構わねえが」
「んもう!」
スクアーロの胸をばしばしと叩いて、ルッスーリアはくるっとハナコに向き直った。
「ハナコ? それで、クローム・髑髏とは仲良くなれたのかしら? あれくらいの年齢の子なら、あなたもまだ仲良くなりやすいのではなくって?」
「彼女は——」
「そのクローム・髑髏からも何か届いているよ」
会話を遮ったのはアルコバレーノのマーモンだった。マーモンの後ろにいたベルフェゴールが手に持った箱をハナコの前に置く。淡い色合いの包装紙に包まれ、丁寧にリボンが巻きつけられた小箱だった。
「プレゼントみてーだけど、中身はなんだろうな。ししっ、爆弾だったりして」
「なぜあの小娘からおまえ宛にプレゼントが届くのだ」
レヴィがハナコを睨みつける。
「だからそれはハナコがクローム・髑髏を助けたから——もう、レヴィも案外ニブチンなのねっ! いいから開けてみてちょうだい、ハナコ!」
ルッスーリアに言われるまま、ハナコは包みを手にとってリボンをほどいた。蓋を開けると中からふわりと甘い香りがただよってきた。
「チョコレートだね」
箱の中に敷きつめられた四角い形の菓子を覗きこんで、マーモンが言った。頭の上のファンタズマが興味ありげに目をキョロキョロ動かしている。
「助けてくれたことに対するハナコへのお礼なんじゃない? 僕としてはチョコレートではなく現金のほうが嬉しいけれど。どうしてチョコレートなんだろう」
「きっとバレンタインデーが近いからよ。日本ではバレンタインデーにチョコレートを贈るのが定番らしいから」
ルッスーリアがうっとりと呟く。
「きっとハナコがどういうものを好むかいろいろ考えて、悩みながら選んだのよ。なんて可愛らしいの!」
「ししっ、やるぅ。ただの堅物だと思ってたけど、随分とモテてるじゃん」
ハナコは冗談めかして笑うベルフェゴールには目もくれず、無言で小さなチョコレートの箱を眺めていた。
(彼女は運悪く事件に巻き込まれただけ。わたしは、それが仕事だから彼女の救出に向かっただけ。ほんの少しのあいだ一緒に過ごしただけなのに。——離れても、こんなふうにわたしのことを想ってくれるのか……)
ハナコの瞼の裏に、儚げな少女の笑顔が浮かんで消えた。——と、チョコレートにこっそりと手を伸ばそうとしているベルフェゴールに気がついて、ハナコはそちらをぎろりと睨みつけた。ベルフェゴールが手を止めてむっとした表情で睨みかえした。
「そんだけ数があるんだから、一個ぐらいよこせよ」
「あげません」
きっぱりと言って、ハナコは箱をかばうように抱きかかえた。
「わたしが、ひとつずつ大切に食べます」
そう言うハナコの顔がほんのりと赤く染まったのを見て、ルッスーリアとスクアーロはお互いに顔を見合わせた。ほとんど笑うことのなかったはずの彼女の顔には、その時たしかに、あの少女と同じ柔らかな微笑みが浮かんでいた。
おわり
No responses yet