ザンザスとザンザスのお母さんの短編。母子関係についていろいろ捏造しています。ベスターとスクアーロとアーロも少しですが登場します。
+‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+
炎
長く、暗い夢をみている。
その夢の中で、彼女は赤ん坊を腕に抱き、冬の凍てつく風を遮ろうと何重にも包んだぼろ布の上から赤ん坊の身体をさすっていた。
かすれがちな声が紡ぐのは子守唄、遥かな時の流れと旅情、悲哀を思い起こさせる歌声だ。
声は消えてなくなりそうに小さくなったかと思うと、時に力強く、時に柔らかに、揺らめいては燃えあがる炎のように、激しさと静けさの混ざりあう不思議なメロディをとどまることなく紡ぎ続けている。
(——誰だ……)
ザンザスはゆっくりと目を開いた。
正確には、目と思われる何かを。
聞こえてくる歌声が妙にいとわしく、耳を塞ごうとしたが、手がない。ザンザスはその夢の中で暗闇に溶けこみ、肉体のない、景色の一端となって彼女らを眺めていた。道ゆく人びとはただの風景と成り果てたザンザスにも、赤ん坊を抱いた女にも気をとめることなく、どこか遠いところへと歩き去っていく。
やがて彼女はゆっくりと足をとめ、腕の中の赤子の顔を覗きこんだ。
その口元にうっすらと笑みが浮かぶ。我が子を見つめる、温かで溶けるような眼差し。
『……貴方に、永久の輝きが与えられますよう』
そっと、彼女は囁いた。
『海と大地が貴方に幸福をもたらしますよう。嵐が貴方の痛みと苦しみを押し流しますよう。雲が貴方の頭上にとどまり、貴方を休ませる天幕となりますよう。霧と雨が、貴方の飢え、貴方の渇きを癒しますよう』
赤子の額に頬をすりつけ、何かの祈りのような言葉をその小さな耳に吹きこむ。
『雷が貴方を覆う闇を取り払い、太陽が貴方の行く道を照らしますよう。空翔ける翼が貴方に授けられますよう——』
そこで彼女は、何かに気づいたように顔をあげた。ザンザスは驚き、あきらかにこちらを見ている女の顔をまじまじと凝視した。赤ん坊がむずかって暴れだし、その泣き顔がザンザスの目にもあらわになる。
(あれは——)
赤ん坊は赤い瞳を持っていた。燃える炎をそのまま落としこんだようなその瞳が、涙をためてゆらゆらと揺れている。
対して、母親の眼は翠色、見開かれたその瞳はヒスイに似ており、鉱物のような冷たさと、神秘を思わせる輝きを併せ持っている。
どれくらいの間そうして見つめあっていたのか、やがて彼女はふいとザンザスから目を背けると、どこかに向かって歩きだした。
「待て!」
ザンザスは大声をあげ、もがいた。
「そこにいる女、待て。待てと言っている。——待ってくれ、母さん!」
その声は成人したザンザスのものではない、五つか六つくらいの少年の声だった。いつしかザンザスは少年時代の姿に戻り、すりきれたぼろぼろの衣服を纏って、立ち去ろうとする母親の背中を一生懸命に追いかけていた。
「待って、置いていかないで!」
差し伸ばした両手がむなしく空を切る。
ザンザスはつまずき、地面に倒れこんだ。ようやく顔をあげると、母の背中はとうに遠ざかって点ほどに小さくなっていた。ザンザスは声をあげて泣いた。塩辛い涙がぼろぼろこぼれてきて、腫れた頬にひどく滲みた。
「嫌だなんて言ってごめんなさい。母さんの言うとおりにできなくてごめんなさい。ちゃんと言うことを聞くから、置いていかないで——ひとりにしないで——」
うずくまって泣き続けるザンザスに、ふと誰かの手が差し伸べられる。
ザンザスは顔をあげ、自分を見つめて穏やかに微笑む、老いて痩せ細った父の顔をぼうぜんと眺めた。それから、彼の隣にいる彼の守護者たち、微笑をうかべるオッタビオ、何も知らない自分の世話をしてくれた屋敷の従者たち、そして、自分を慕ってついてきたスクアーロらヴァリアーの隊員たちの顔を。
「……違う!」
ザンザスは叫び、差し伸ばされる手のすべてを振り払った。
「オレが欲しいのはそんなもんなんかじゃない。嘘つきめ、おまえたちは本当はオレのことなんてなんとも思っちゃいないんだ。おとなしく従うふりをして、裏ではこそこそとオレと母さんのことをあざ笑っているに違いないんだ! 他のやつらがそうしていたように!」
混乱してかぶりを振り、地面に伏せる。
胃の底が焼けつくように熱く、頭は何倍にも膨れあがったように重かった。はげしい耳鳴りに、周囲の声も、自分の声すらもかき消されていく。
「もう何もいらない。何も見たくない!」
ザンザスは目を閉じ、血を吐くように叫んだ。
「もうたくさんだ。おまえたちなんていらない。全員消えてしまえばいいんだ。いなくなってしまえ!」
……しんと場が静まりかえり、ザンザスが次に顔をあげたとき、そこには何も残されていなかった。暗い空間にザンザスはぽつんと座りこんでいた。
ザンザスは急にひとりでいる自分を意識した。
「……父さん」
思わず呟いて、辺りを見まわす。
「母さん」
何度か呼びかけて、返事がどこからもかえってこないことを知ると、少年はうなだれ、膝を抱えて泣いた。しくしく泣き続けるその声も、その存在も、いつしか闇に吸いこまれて小さくなり——
そこで、ざらりとしたものがいきなり頬に触れ、ザンザスは打たれたように目を開けた。
開け放たれたままの窓から冷えた夜風が吹きこんでくる。夢をみていた、と理解するのにそう時間はかからなかった。
すぐそばで、白い毛むくじゃらの生き物が鼻息荒く自分を見つめている。ざらざらする舌でもう一度べろりとザンザスの頬を舐めようとして、ザンザスが目を覚ましたと知ると、白の《天空ライオン》は主人の胸元にぐいと頭を押しつけた。
「……ベスター」
ザンザスは呟き、ベスターの横で気がかりそうな表情をしているスクアーロに目をやった。
「ゔお゛ぉい、大丈夫か?」
スクアーロは遠慮がちに言って、ザンザスの顔を覗きこんだ。
「随分とうなされていたぞぉ。ベスターが急に部屋に飛びこんできてオレを叩き起こすもんだから、敵襲かと慌てて来てみたんだが……そういうわけではなかったみたいだな。見ろぉ、ベスターが遠慮なしに引っ張ったり咥えたりするもんだから、袖も裾も無残に破けちまったぜぇ」
言葉どおり、ガウンの下の寝巻きはベスターの爪と牙にやられてずたぼろになってしまっているが、左手に愛用の剣だけを身につけて、後ろには《暴雨鮫》のアーロを従えている。アーロはずらりと並んだ牙をこれみよがしに見せつけて、いまだ警戒を怠っていないことをザンザスに訴えてみせた。
「具合が悪いなら、薬でも持ってこさせるか? 水ぐらいなら汲んできてやるが」
「いらねえ」
そっけなく答えて、ザンザスは目をそらした。
「でもよぉ」
「なんでもない」
食い下がるスクアーロに背を向けて、毛布を被り直す。
「ザンザス」
「本当に——なんでもない」
「……分かったぜぇ」
あるかないかのザンザスの呟きに、スクアーロが小さく息をついたのがザンザスの耳にも聞こえた。
「ベスターがあれほどうるさく騒ぎ立てるからには、何かあったんだろうが、おまえがそう言うのならオレもこれ以上は聞かないことにするぞぉ」
かちゃりと剣を仕舞う。スクアーロは開けっぱなしになっていた窓を閉めて丁寧にカーテンを引くと、その様子を目で追いかけていたベスターの頭に手を置いて、たっぷりとしたたてがみを乱暴に撫でてやった。
「ザンザスのこと、よろしく頼むぜぇ。あいつが眠るまでそばにいてやってくれよ」
スクアーロが部屋を出ていくと、ベスターは大きなベッドの端にちょこんと顎を乗せて、じっとザンザスの背を見つめた。
ザンザスはしばらくそれを無視して目を閉じていたが、やがて観念して身を起こすと、ベッドに飛び乗ろうとしてきたベスターを押しのけ、おとなしく床に座りなおした彼の頭をそっと腕に抱いた。
毛皮の向こうの、血の通った温かさと柔らかさが妙に心地よい。ザンザスは黙ってその毛並みに顔をうずめ、ふと思いたって尋ねた。
「……おまえ、オレを助けようとしただろう。夢から目覚めさせようとして。それとも主人がうなされていたから、怖くなって、誰かを呼びにいっただけか?」
ベスターは何も答えず、満足げに主の手に身を委ね、陶然と目を閉じている。
「元々はただの兵器だったくせして、不思議なやつだ」
ザンザスは獅子のたてがみをぽんぽんと叩いた。
聞いたことがある。匣兵器は使用者の《炎》をエネルギーとして動作する人工兵器だが、中でも動物型の兵器は、使用者の心、精神状態をうつす鏡のような特性を大なり小なり持っている。そして、天空ライオンと称される獅子型の四機はとりわけその特性が強いのだ、と。
九代目、あるいはタルボ爺から聞いたのか、それとも同じ天空ライオンを所持するあの沢田綱吉から聞かされたのかは覚えていない。もしかすると精神を通じてザンザスの夢をベスターは垣間見たのかもしれない。
もっとも、未来では匣兵器であった彼らが、指輪に宿る力そのものの象徴として存在している現代において、その特性をそのまま残しているかどうかは彼ら自身にしか分からないことだろうが。
「心配させたな」
ザンザスは獅子の顎のあたりをひと撫でし、甘えるような鼻声をたてるベスターのたてがみをわしわしと撫でた。
(……久しぶりに母親の夢をみた)
ふいにそう考えた。
過去には何度もみた夢。もう数年ぶりになるだろうか——もしかすると、守護者の指輪を巡って沢田綱吉たちと戦ったあの頃以来になるかもしれない。
夢にあらわれる母は、いつも自分を置いてどこかへ消えてしまう。昔はそれがひどく憎く、そして悲しかったものだ。
けれども夢の中の母親が、赤ん坊の自分を大事そうに抱えていることもまた確かなのだとザンザスは思った。それが真実なのか、それとも、そうであってほしいという自分自身の隠れた願望なのかは分からない。
果たして、母は子を愛していたのだろうか? それとも、彼女が愛していたのは子ども自身ではなく、子が生まれた時からその身に宿していたという出所も分からぬ《炎》の輝きだけだったのだろうか?
いずれにしても、今となってはどれだけ追い求めても答えの出ない問いかけだろう。そして、答えを見つけだすことだけが、前へ進むための唯一の方法だとは限らないのだ。
(貴方に、永久の輝きが与えられますよう——)
(海と大地が貴方に幸福をもたらしますよう——空翔ける翼が貴方に授けられますよう——)
母の優しげな声がふと頭によみがえり、ザンザスはゆっくりとまぶたを閉じた。
それから目を開き、閉ざされている自室のドアに向かって声をかけた。
「おい」
扉の向こうでかすかに人の動く気配がした。ザンザスはその方向をきつく見据えた。
「居るんだろう。出てこい」
「——ゔお゛ぉい、ばれてたのかよ……」
扉が開き、のろのろと顔を覗かせたスクアーロに、ザンザスは当然だといわんばかりの表情を向けた。「なぜばれていないと思った」
「オレだって気配を消すのは得意なんだぞぉ。おまえが特殊すぎるだけだぁ。それで? やっぱり薬がいるのか? 医者でも呼ぶか?」
「目が覚めた」
そっけなく言って、ザンザスはベスターのたてがみに手を置いた。
「酒を持ってこい。おまえも飲め」
「ゔお゛ぉい……ま、いいけどよ。おまえのご主人様は相変わらず人使いが荒いぜぇ。そうは思わねえか、ベスター?」
ぶつくさ言いながらも、スクアーロはどこか楽しそうに早速グラスを取り出そうとしている。
ベスターは声をたてず、ただ笑うようにそっと目を細めるのだった。
おわり
No responses yet