「そのままの君が好き」「カモミールティー」の続き。
資料室で調べ物をしているところに
ガナッシュと九代目がやってきて……な話です。
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「よう、ハナコ」
頭上から聞き覚えのある声がかかって、ハナコは読みこんでいた資料から顔をあげた。
「ガナッシュ様――」
言いかけたところで、ぎょっとして資料を取り落としそうになる。ガナッシュの横に、見覚えのある老人がにこにこと微笑みながら立っているのに気がついたのだ。
「きゅ、きゅきゅ、九代目――」
ボンゴレファミリーの九代目当主、ティモッテオ。
突然の大ボスの登場にハナコはその場にひっくり返りそうになった。一万近い組織を傘下におさめる世界最大のマフィアのボスに、こんなほこりっぽい資料室の隅っこで会うことになるとはまったく想像していなかったのだ。
「資料室に閉じこもって調べ物か? あまり集中しすぎるなよ」
ガナッシュはさすが九代目の守護者であるだけあって、九代目本人が隣に居ても全く動じる様子がない。
「九代目、彼女はハナコです。オレの仕事仲間、というより友達――いや、やっぱ歳の離れた妹みたいなものですね」
「ほほう、妹だって」
興味深げに見つめられて、ハナコはどきっとした。九代目のきれいな琥珀色の瞳は、大空のように澄んでいて、見返すと吸いこまれてしまいそうに感じる。
「あの――ハナコといいます」
ハナコは呼吸を落ちつけて言った。
それ以上のことは緊張して話せなかったが、九代目はこくりと頷き、やさしそうに微笑んでくれた。それだけで何もかも救われたような気分になる。ところが、ふいに九代目が何かに気がついて、ハナコにずいと顔を近づけた。
「もしかして君なのかな?」
「え?」
「ブラバンダーとお付き合いしているのは」
一瞬、時が止まったと錯覚するような沈黙が訪れ――ハナコはきっとガナッシュを睨みつけた。
(オレじゃない! 言ってない! ちゃんと秘密にしてた! おまえとブラバンダーが付き合ってるのは!)
無実の罪を着せられそうになっていることに気づいて、ガナッシュが小声で口をぱくぱくさせる。
「どうかな? 当たっているかな?」
ハナコとガナッシュのやりとりを知ってか知らずか、九代目はのほほんとした口調で続けた。
「そのとおりです、九代目。当たっております」
ハナコは観念して頷いた。
「ですが、どうしてお分かりになったのですか? それもわたしをひと目見ただけで……もしかしてガナッシュ様から何かお聞きになっていたのでは……」
「だから何も言ってねーって!」
「ガナッシュの言うとおりだよ。私は彼からは何も聞いていない」
九代目は面白がるように目を細めた。
「ただ、守護者の間で少し噂になっていたことがあってね」
「噂?」
「ブラバンダー・シュニッテンが以前より随分と丸くなった気がする、と。彼も別に他人に敵意があるとか喧嘩っ早いというわけではないのだけれど、どことなくクールな雰囲気があるだろう? ガナッシュほど口数も多くないし、あの顔の傷もこともあって、怖いやつだと勘違いされやすくて……それで余計にそっけないだとか、冷たいだとか、そういう印象を植えつけられがちなんだよ」
喋りながら九代目はひとりでうんうんと頷いている。
「ところがだ。最近になってすごく穏やかというか、優しい。今までの彼ならきっと気づかなかったであろう些細なことにも気をくばれるようになった。精神的にも落ちついているようだと。いったいなぜか? 私とコヨーテとビスコンティはある仮説を立てた。もしかして恋人ができたんじゃないのかって」
「なるほど。でもそれでどうしてハナコだと気づいたのですか?」
黙って聞いていたガナッシュが不思議そうに問いかけた。
「ほっほっ。おまえは気がつかないのかい、ガナッシュ」
九代目はおかしそうに笑った。
「簡単じゃよ。……ブラバンダーと同じ香りがするんだよ。彼の香水の香りが移ったのかな」
「こ……香水?」
ハナコはおそるおそる自分の身体をかいだ。
言われてみれば、かいだことのある香りがかすかにたちのぼるのを感じる。清涼感のあるシトラスと、落ちついた印象のシダーウッドが混ざったような香りだ。
「おっしゃるとおり、香りがします。少しだけですけれど」
ハナコは呟いた。
「私のではないから、おそらく……ブラバンダー様のものかと」
「それはこの時期にブラバンダーが好んで身につけている香水だね。私も好きな香りだ。夏の風を思わせる爽やかな印象で、清潔感があっていい。彼にぴったりだね」
「よくそんなところまで気がつきますね、九代目」
ガナッシュが驚きを隠せない様子で言った。
「職業柄いろんな人と会うからさ。香りもその人を印象付ける重要な要素のひとつだから、ついつい確かめるくせがついてしまったんだよね。おかげさまで鼻にはちょっと自信があるんだよ。ガナッシュ、おまえも少しは意識するようにしなさい」
「ちぇっ、オレの鼻、麻痺してるのかなぁ」
不満そうに自分の鼻を触っているガナッシュを見て、九代目はにっこりした。
「それから……ハナコ」
「はい」
「ブラバンダーはどうかな。ちょっとつれないところもあるけれど、猫みたいで可愛らしいだろう?」
ハナコは笑った。猫みたい、という表現を大の男にあてはめるのは少し面白く思えたが、彼をやさしく見守る九代目の気持ちがその言葉にあらわれているようで、和やかな気分になった。
「はい。とても……かっこよくて、可愛らしい方だと思います」
九代目はうんうんと頷いて、ハナコの手をとって両手でしっかりと握りしめた。
「ブラバンダーと仲良くしてくれてありがとう」
愛情と慈しみのこもった声だった。
「勘違いされやすいけど、ブラバンダーは穏やかで心のやさしい子なんだよ。彼といっしょに居たいと思ってくれる子があらわれたことが、私にはすごく嬉しい」
「九代目――」
「それにブラバンダー自身も、ハナコといっしょに居たいときっと思っている。彼のここ最近の行動を思い出すと、いろんな行動や発言が、きっと君を考えてのものだったということがひしひしと伝わってくるよ」
「ああ~、あれとか、あれですね。あの時のブラバンダーは見ていて面白かったなあ」
ガナッシュは目を細めてにやにやした。
あれ、というのがいったい何を指しているのか分からなかったが、余計に気恥ずかしい思いをすることになるような気がしたので、ハナコは深く追求しないことにした。
「どうか、ブラバンダーのそばにいてあげてくれ、ハナコ」
「はい」
しっかりとハナコは答えた。
「そばにいます、ずっと」
九代目はもう一度ハナコの手を軽く握って、手をはなした。
「あれ? 九代目、探していた資料はもういいのですか?」
「後にするよ。なんだか幸せな気分になったから、このままもう少しのんびりさせてもらうとしよう。ビスコンティに美味しい飲み物でも用意してもらおうかな。エスプレッソ、いや紅茶も捨てがたい。ガナッシュ、おまえも時間があれば来なさい。ハナコ、君も仕事の休憩がてら息抜きにきてくれて構わないよ」
「は、はい」
ハナコは頷いた。勢いで返事をしてみたものの、九代目の守護者が勢揃いするであろう空間ではたして下っ端の自分が息抜きなどできるのだろうか?
ハナコのその思いを読みとったのか定かではないが、九代目は「まあ無理しない範囲でね」とほっほっと笑いながら、のんびりした足取りで資料室を出ていった。
残されたガナッシュとハナコはしばらくぼうっと彼の出ていった扉を見ていたが、ふいにガナッシュがにやにやしてハナコの耳元にささやいた。
「香水の香りが移るってねえ。それくらいべったりしてたってわけか」
「ガナッシュ様!」
ハナコは真っ赤になってガナッシュを睨みつけた。
「はは、怒るなよ。いいじゃないか、うまくいってるみたいで」
ガナッシュは豪快な笑い声をあげて、どれどれ、とハナコの首根っこをつかまえると、鼻を寄せてくんくんとにおいをかぎ始めた。
「んー、ブラバンダーの香水……? するような、しないような」
「ガ、ガナッシュ様!?」
ハナコはぎょっとしてガナッシュをふり返り、彼があきらかにこちらの反応を面白がっているのを見てとって、むすっとした表情で押しのけた。
「くすぐったいから、やめてください」
「そういう反応が面白いからやっちまうんだよ」
ガナッシュは目を細めてくくっと笑った。
――そして、その場に固まった。ハナコも。
さっきから名前だけ登場していたブラバンダー・シュニッテンが、本棚の陰から姿をあらわして目の前にずいと迫ったからである。
「何してる」
「ひえーっ、怒るなよ。ごめんって」
傷のある顔が鬼気迫る表情で問いかけたので、ガナッシュは飛びすさるようにハナコから距離をとった。
「ちょっとからかいたくなっただけだ。すまん。ほら、妹みたいなもんだからさ。ていうかいつから居たんだよ、おまえ。資料室に出入りできる扉、ひとつしかないんだぞ」
「最初からいた」
あっさりとブラバンダーは言った。
「ハナコがいることには気づいていたが、仕事中だったので声をかけなかった。そうしたらおまえと九代目が来た」
「そ、それだったら出てきてくださればいいのに」
思わずハナコは言った。
ブラバンダーは無表情でじっとハナコを見て、
「……出ていけるわけないだろう。あんなことを言われて」
ぼそりと呟いた。
「ははあ、なるほど」
ガナッシュがにんまりした。「九代目とハナコに褒められて照れちゃってんだな、こいつ。可愛がられてるなあ」
「うるさい」
ぶっきらぼうに言い返し、みるみるうちに赤くなっていく顔を隠すようにうつむいている。傷だらけで無愛想な、いつも寡黙な男がそんなふうにしていると、なんだか少年じみて可愛げがあるように見えるから不思議だ。
「しかしまあ、香水の香りでばれるとは、さすが九代目だな」
ガナッシュはけらけら笑って続けた。
「ハナコからおまえの香りがするんだってさ。おまえ、どれだけ彼女にくっついているんだよ」
「すまない」
ブラバンダーはちらっとハナコの顔を見た。
「今後、気をつける」
「気をつける?」
目を丸くして聞き返したハナコに、気恥ずかしそうに目を伏せる。
「その……移さないように。控える……と言えばいいのか」
最後のほうはぼそぼそ言っていて聞こえづらかったが、耳ざといガナッシュはこれを聞いて今までにないくらいににんまりし、ハナコの両肩をつかんでブラバンダーのほうに押しのけた。
「彼女は、むしろもっと移してほしいって顔してるぜ」
ブラバンダーの腕の中に飛びこむような格好になって、ハナコははっと顔をあげた。傷だらけの顔が少し驚いてきょとんとしている。
「す、すみません――……ガナッシュ様!」
ブラバンダーからそっと離れ、怒ってガナッシュを振り返ったが、ガナッシュはすでに資料室の出入り口まで退却していた。そそくさと扉を開けて、手を振りながら、
「仲良くしろよぉ。なんなら九代目のお茶会に揃って顔を出してくれてもいいんだぜ。歓迎するよ!」
バタン、と音をたてて扉がしまった。
騒がしかった資料室が一気に静かになる。
「もう……」
ハナコは扉をきつく睨みつけ、それからふと微笑んで、ブラバンダーのほうに振り返ろうとした。
「ブラバンダー様――九代目のところへ行かれて、は……」
思わず口をつぐんだのは、いきなり後ろから抱きしめられたためだった。ハナコは自分の前で組まれた両腕をそうっと見下ろし、おそるおそる振り返ろうとしたが、両腕にこもる力にはばまれてびくともしなかった。
「ブラバンダー様……?」
背中にぴたりとくっついた身体が妙に熱く感じる。ハナコはどぎまぎしながら、おとなしく彼の両腕におさまった。
「オレの香水のにおいがするのか?」
ふとブラバンダーが問いかけた。
「え? ええ、九代目がそうおっしゃっていました」
ハナコは頷いた。
「爽やかな、夏の風のような香りがするって。ガナッシュ様はよく分かってなかったみたいなので、ほんの少しだけでしょうけれど」
九代目はお鼻がきくんですね、とくすくす笑うハナコを、ブラバンダーは無言で抱きしめた。かと思うと、急にハナコの首筋に鼻をあてて、確かめるようにくんくんとにおいをかぎ始めた。
「ブラバンダー様?」
「――さっき、ガナッシュがやっていた」
すねたように彼は言った。
「確かにオレの香水のにおいがするような気もする。だが、少しだけだ」
「そ……そうですよね。少しだけですよね」
ハナコは照れ笑いをうかべ、されるがままになった。
「でも、なんだか嬉しいです。好きな人の香りがするのって。部屋にいるときにもたまにふわっと香ることがあるんですよ。そのたびに、ああ、ここにブラバンダー様が居たんだなあって嬉しくなるんです」
それを聞いたブラバンダーは――前を向いているハナコからは見えなかったが――胸を締めつけられたような表情になり、かすかに唇を震わせた。それからふとやわらかく微笑んで、後ろからハナコの首筋に顔をうずめた。
「……ブラバンダー様?」
恋人の様子が変わった気がして、ハナコは声をかけた。
ブラバンダーはしばらくそのままじっといたが、ふいにハナコの首筋にすりすりと頬を押しつけはじめた。髪の毛があたって妙にくすぐったい。
「な、何をしているんですか?」
「オレの香水のにおいをつけている」
ブラバンダーはおおまじめに言った。
「さっきは控えるとおっしゃっていたじゃないですか」
「前言撤回する。君は、オレのにおいがするのが嬉しいと言った。君から自分と同じ香水の香りがするのは、君がオレのものになったようで……オレも嬉しい」
その言葉に驚きつつ、ハナコは目を閉じて彼に身をあずけた。
なるほど、九代目の表現のとおりだとふと思った。猫は安心したいときや甘えたいとき、飼い主や仲間に自分のにおいをすりつけるという。ブラバンダー・シュニッテンが猫のようだという九代目の例えはある意味的を射ていたのかもしれない。
「……すまない。少し調子に乗った」
気がついたようにブラバンダーは言い、そっと身体をはなした。
「仕事中だというのに時間をとらせてしまったな。何か調べ物をしていたんじゃないのか?」
「いえ――大丈夫です。文献を探していたら、気になる記述を見つけて、少し熱中して読みこんでしまっただけで。調べなければいけないところは調べ終わっています。作業自体はまだこれからですけれど、急ぎでもないので」
ハナコは小さく言った。まだ少し赤いままのブラバンダーの顔が妙に熱っぽくて、見ているだけのハナコまでどきどきさせられる。
「そうか」
安心したようにブラバンダーは少しだけ口元をゆるませた。
「もっと触れていたいが……今は我慢しよう」
名残惜しそうに指がハナコの頬に触れ、離れていく。ハナコは陶然と恋人の顔を見つめ返した。
「――おまえら、もっと続けてくれてもいいんだぞ」
はっとしてハナコは扉のほうを見た。
かすかに開いた扉の隙間から、少し意地の悪そうなにやにや笑いが覗いている。
「ガナッシュ!」
叫ぶが早いか、ブラバンダーは手近にあったファイルをひっつかんで豪速球を投げこむがごとく扉に叩きつけていた。わあっと声があがって扉がしまり、しばらくしてまた開いた。
「遅いから、迎えにきてみただけだ! 別におまえらがいちゃついてるのをずっと覗き見してたわけじゃねえ」
ガナッシュはぶつくさ言いながらブラバンダーが投げたファイルを拾いあげ、ぽんぽんと埃を払ってから棚に戻してやった。
「力任せに投げやがって。大事な資料だったらどうすんだよ、ちくしょう」
「今日はビスコンティが紅茶を淹れてくれたぞ。せっかくなら淹れたてを味わいたいだろう。早く来い。そちらの女性もご一緒に」
扉から顔をのぞかせた霧の守護者クロッカンがにやっとして言った。
「ええい、誰なのだ、ブラバンダーの恋人というのは。クロッカン、見えないぞ。少し横にどいてくれ」
クロッカンの高身長にはばまれて部屋の中が見えないらしい晴の守護者ニー・ブラウJrが、なにやらひそひそ声で叫びながら懸命に背伸びをして中を覗こうとこころみている。
「おまえたち……」
ブラバンダーはため息をついた。
その顔がみるみるうちにいつもの無表情になり――
「ブラバンダー?」
ガナッシュが呆けた声をあげた。
「しょうのない奴らだ」
いつのまにか、ブラバンダー・シュニッテンは微笑んでいた。目を丸くして彼の顔を見つめるガナッシュ、クロッカン、ニーの前で、ブラバンダーの傷だらけの手がハナコにさしのべられる。
「……行こうか」
ブラバンダーはやさしく言った。
「ハナコ、君をあらためて九代目に紹介したい。それからコヨーテとビスコンティ、ここにいる皆にも。オレの大切な人だと」
ガナッシュは今度こそからかいもせず、黙って二人を見守っていた。その後ろではクロッカンと、ようやくハナコの姿を確認できたニーが、ガナッシュにならってじっと二人を見つめている。
「……はい」
ハナコは頷き、ブラバンダーの手をとった。
「よし! そうと決まればさっそく九代目のところへ戻ろうぜ!」
見つめあう二人以上に嬉しそうな顔になって、ガナッシュはばしっとニーの背中を叩いた。
「ニー、おまえ、もっといっぱい焼き菓子調達してこい! 今日はぜったい長くなるぞ、あれだけの数じゃ足りないに決まってる」
「なぜ私が……」
「いや、ガナッシュの言うとおりかもしれんぞ。もっと貰ってこよう。厨房にいけばもしかすると余分に作っておいてくれたものがあるかもしれない。トッローネ、アマレッティ、クロスタータ……」
「オレ、チャンベッラ食べたい。りんごが入ったのがいいな」
「それなら私はエリチェのジェノベーゼがいい。カスタードクリームがたっぷり詰まったやつだ。買ってきてくれ」
わいわいと騒ぎながら長い廊下を進んでいく守護者たちの背中を眺めながら、ハナコはブラバンダーに寄り添って歩いた。
繋いだ手にかすかに力をこめると、応えるように確かな感触が返ってくる。ハナコは隣を歩くブラバンダーを見上げ、微笑むと、もう一度彼の手を強く握った。
おわり
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