Il sole anche di notte(ニー・ブラウJr夢)

九代目の晴の守護者ニー・ブラウJrと、ボンゴレファミリーで「野生児」扱いされている女の話。

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     1

 夏の終わり、とある日の午後。
 屋敷のかたわらの庭園にて。
 茶葉の香りにつつまれたそこに、彼はいた。――歳のほどは二十の後半か、三十の前半といったところだろうか。年齢のうかがいにくい顔つきではあるが、線の細い、どこかはかなげな印象が年頃の少年を思わせる。
 肩のあたりで切りそろえられた髪がさらさらと風に揺れた。ティーカップを卓に置き、息をつく。
「……ハナコ嬢」
 切れ長の目が、頭上の木々をねめつけた。
「いるのだろう。こそこそしていないで、出てきたらどうだ」
「やれやれ。やはり分かってしまったか」
 とつぜん、頭上の樹木のすきまから大量の葉を散らしながら女が現れた。
「さすがはニー・ブラウJr殿。ボンゴレの晴の守護者を名乗るだけのことはある」
 しなる枝に足をひっかけてさかさまの状態でしゃべるという見るからに奇異な女の登場にも、ニーは顔色ひとつ変えなかった。何事もなかったようにふたたびカップに口をつけ、長く深いため息をつく。
「今日は何用だ。私をからかいにきたのか、単に暇なのか。それとも」
「なに。散歩をしていたら美味しそうな紅茶の香りがしてきたものだから、きっとブラウ殿がいるのだろうとここまでやってきてみただけだ。そろそろ教えてくれ、ブラウ殿。茶とはどんな味がするものなんだ?」
「教えたところで君には分かるまい」
 言いながら、卓にぱらぱらとちらばった葉っぱを払い落とす。
「これほどまでに味わい深く、美しく、色鮮やかな飲みものはほかにない。君のような野蛮な野生児に理解できるとは思えないね」
「なに、やってみなければ分からないさ。それにその『野生児』というのはあたしにとっては最高のほめ言葉だよ、ブラウ殿」
 そう言って女はけらけらと笑い声をあげた。
 彼女の名はハナコ。どうやらニーに興味を持っているらしい。しかし、粗暴で野蛮、あきれるほどにおおざっぱで、見た目に関しても中身に関しても優美さのかけらもない。ニー・ブラウJrのもっとも苦手とするタイプの女だ。
 仕事中だというのにスーツも着ず、いつもラフなシャツ一枚だけを羽織って短いズボンから生身の足をさらけだしている。そうして裸足で山を駆けまわり、ここと街とを行き来しながら昼夜問わず哨戒にあたるのが彼女の仕事だ。
 そんな彼女につけられたあだ名は『野生児』。
 彼女は怒るどころか喜んでその名を受けいれ、自らそう名乗ってみせるくらいだった。実際、南米のジャングルで野性猿に育てられていたとか、アフリカのサバンナでライオンといっしょに走っていたとかいう信じがたいうわさもあるが、本当のところは分からないし、どうでもよかった。いずれにせよ関係のないことだ。数百年の歴史と伝統を持つボンゴレファミリー、その九代目当主ティモッテオを支える立場にあるニー・ブラウJrには。
「なあ、ブラウ殿。ブラウ殿はおしとやかだな」
 枝から足を離して軽々と飛び降りると、ハナコは卓に手をついてしゃがみこんだ。
 こうなると彼女はなかなか去ろうとしない。紅茶を飲ませてほしいだとか、いつも何をしているのかだとか、いろいろ話しかけてこっちの気を引こうとしてくる。こちらとしては会話なんてするつもりないのに。
「それは男性を形容する言葉ではない」
 ニーはあまり話を進めないように手短に切り返した。
 だいたいなんだ、そのブラウ「殿」って。こちらなりに敬意を示してやったハナコ「嬢」という呼び方を真似ているのかもしれないが、逆に馬鹿にされているようで腹が立つ。もちろん、こちらから口にしないかぎりそんな怒りにはハナコは気づかないのだが。
「でも、ブラウ殿はやっぱり女のあたしよりずっとおしとやかだ」
 目をきらきらさせてハナコはニーの手元をのぞきこんだ。
「そのハンカチ、白地に青の刺繍がとってもきれい。いつも持ち歩いてたりするの? あたし、部屋に置きっぱなしだよ。持ち歩いていたら山の中で落としてしまうもの」
「これは亡くなった祖母が愛用していたものだ。気安く触らないでもらいたい」
 ニーはそそくさとハンカチをしまった。たまたま置いておいただけなのに、会話の収集がつかなくなるところだった。
 そっけないニーの態度がつまらなかったのか、ハナコはしばらく無言で唇をとがらせていたが、ふいにぽんと手を叩いてすばやく立ちあがった。
「思いだした。そういえばブラウ殿への伝言を預かっているんだった」
「なに? そういうことは早く言いたまえ」
 目つきと表情を鋭くさせて、ニーはハナコを睨んだ。
「それで? その伝言というのは?」
「少し話がしたいから東棟四階の執務室まで来てほしい、と九代目が言っていた」
「……いつ?」
 なんとなくいやな予感を覚えながらおそるおそる尋ねる。
ハナコは急にまじめな顔つきになって指おり数え、
「ひい、ふう、みい。だいたい三十分くらい前だよ」
「君という人は!」
 どこか誇らしげに三本指を突きだしてきたハナコには目もくれず、ニーは片付けもそこそこに慌ててその場を立ち去った。三十分。三十分ってかなり前じゃないか。これだからああいう女は嫌いなんだ、ルーズでだらしがなくて、どうでもいいことばかり覚えて大事なことはきれいさっぱり忘れる都合のいい頭の持ち主は!
 ボンゴレの庭は広い。九代目のいるところまではかなりの距離がある。
「ブラウ殿? ブラウ殿!」
 不思議そうなハナコの声が背後に遠ざかっていった。
「弱ったな、怒らせちゃったかな。よかったらあたしがおぶって送ったげるよ、その方がきっと早いし。ねえ、ブラウ殿ってば――……」

「いや、別にそう急がせるつもりはなかったんだけどね」
 肩を丸めて息を切らしているニーに、九代目当主ティモッテオはやわらかい微笑を向けた。
「コヨーテから聞いたよ。なんでも、キャバッローネと手を組んでいろいろやってくれたそうじゃないか。おまえのとびきりの活躍をぜひ私もこの耳で聞いておきたくてねぇ。ちょうどミラノの有名どころのクッキーも手にはいったし、いっしょにどうかなと思って。近頃はおまえの話をじっくり聞く機会もなかったし、たまにはいいだろう?」
「はい……喜んで」
 息もたえだえになんとか答える。九代目の表情がぱっと明るくなった。
「それはよかった。さっそくエスプレッソを――いや、やっぱり紅茶にしよう。紅茶の方があうはずだ。このクッキー、ハーブが練りこんであってとてもいい香りがするんだよ。なんでも、食べる前にちょっと温めるともっと美味しくなるんだとか。おーい、ちょっとこれを温めてくれんかね」
「わかった」
「わか……え?」
 ニーは返事をしようとして顔をあげ、奥の給湯室からさも当然のように現れたハナコに仰天した。
「なっ……なぜ君がここに!?」
「なぜと言われても」
 九代目からクッキーの箱を受けとりながら、口をとがらせるハナコ。
「あたしも呼ばれたんだから構わないだろう? おいしいクッキーをひとりじめ、いや、ふたりじめしたい気持ちはわかるが」
「そういうことじゃない。君は私より後ろにいたはずだ。それなのに、先にここへ来ているなんて!」
 あわてて給湯室までついていく。ハナコは白い歯を見せてぱっと笑った。
「知りたい、ブラウ殿? なら教えてあげる。あたしはブラウ殿とは別の道で来た。いちいち遠回りになる舗装道を通るより、まっすぐ木を伝っていった方が五分は早くここへ辿りつける」
「君という人は……」
 当然といわんばかりに片手を腰にあてるハナコに、ニーはため息をついた。
「もういい。わかった。いいからそれをこちらに貸してくれ」
「それ?」
「いま君が手にしている菓子の箱だ」
「なぜ? 温めるんだろう? レンジでチンすれば……」
「こういうときはオーブンなりトースターなりを使うようにしていただきたい。ああ、まさかとは思うが開封しないまま温めるなんてことは……待て、言ってるそばから箱ごとトースターに突っ込もうとするんじゃない! 本当に何も知らないんだな。私がやるから君はあっちで座っててくれ」
 トースターの前で試行錯誤しているハナコからクッキーの箱をひったくる。
「まったく……目を離したら何をしでかすかわかったものじゃない」
「ねえ、あたしは何をしたらいい? お茶でも淹れる?」
「いいからあっちへ行っていてくれ。邪魔だ」
「じゃあ、ブラウ殿が淹れてくれるの? あたし、ブラウ殿の淹れる紅茶をやっと飲ませてもらえるんだ! やった! なにか手伝えることある!?」
「いいから九代目の隣に座っているんだ!」
「……はぁい」
 ぷうと頬をふくらませて去っていく。やっと静かになった。ニーはぜいぜいと息をつき、労働三日分の疲れを一気に味わった気分になった。

 三人分の紅茶を淹れ、温めたクッキーを手に戻ると、九代目とハナコがソファで肩を寄せあって談笑していた。話も佳境に差しかかっているのか、おおげさに手をふりあげて話すハナコに九代目はやさしい微笑みでうなずいている。
「だからあたし、かっとなってそいつにつかみかかっちゃった。ファミリーを馬鹿にするやつは許せないもの」
「ふむふむ。それで?」
「もちろん、あとであたしがコヨーテにみっちり叱られた! 同盟相手に何やってるんだ、って! でもコヨーテ、ほんとはそんなに怒ってないと思う。あたしがあいつにつかみかかっていったときのコヨーテの顔、よくやった、って感じで見ものだったもの。みんなも見ているだけでなかなか止めようとしてこなかったし」
「確かに。あのファミリーの一部の幹部、特にハナコがこらしめてやったというそいつは、ボンゴレが同盟相手だということにあぐらをかいている感じが強かったからなぁ。私もハナコのしたことが間違いだとは思わないよ。正しいとも言い切れないけどね」
「そう? でも、もしプリーモがあのときのあたしと同じ立場だったら、きっとあたしと同じようにしたと思う」
「偉大な初代を君と同列に置くのはやめてくれないか」
「おや、ニー。ありがとう」
 テーブルに盆と茶を置いて、ニーはハナコの真向かいに座った。
「なに? プリーモとあたしがどうって?」
「プリーモは――ボンゴレ一世は偉大なお方だ」
 きょとんとして見つめかえすハナコを、ニーはきびしく睨みつけた。
「ボンゴレの歴史に名を連ねる人びとの中で、彼はもっとも偉大な指導者だったと言われている。君の野蛮な行いを正当化するために彼の名を語るのはやめてくれないかと言っているんだ」
「名前を出したぐらいでそんなふうに怒らなくてもいいじゃないか」
「まあまあ、二人とも。ハナコ、ニーの淹れてくれた紅茶でも飲んで落ちつきなさい。ニーもそうカリカリすることないだろう。私も彼女には世話になってる。のう、ハナコ」
「ああ、九代目。まったくもってそのとおりだ」
「それは初耳です」
 ニーはじろりとハナコを睨みつけた。
「そうか? ならば教えてやろう。聞いて驚くな、ブラウ殿。あたしはこれまで風に吹き飛ばされた洗濯物をメイドたちのためにかれこれ三百回は山まで取りにいった。九代目のトマト畑を荒らす山狸どもを追い払ったことも数知れず。つい一週間前は近くの農場から脱走した豚が集団で迷いこんできたので、お家までお帰りいただいた。どうだ、ブラウ殿。あたしだってたまにはみんなの役に立っているだろう?」
「どうだか。だいたい、さっきの話じゃ君はまた同盟ファミリーとのあいだで問題を起こしたようじゃないか。いいかげん会合のひとつやふたつ、まともにこなせるようになったらどうなんだ」
「なに?」
 ハナコもこれにはかちんときたようだった。すぐさま反論の態勢をとる。
「そこまで言われて黙っているわけにはいかない。それを言うならブラウ殿だって……ブラウ殿だって……ええと……ブラウ殿は……」
 もごもごと口を動かしながら必死に言葉を探す。
「だめだ。あたしには思いつかない。ブラウ殿は、あたしの思いえがくかぎり完璧な人間だ。ひんこーほーせーってやつだ。正論すぎて反論のしようがない」
「なんだ、わかっているんじゃないか。どうやらとうとう自分の間違いを認める気になったようだな」
 紅茶を片手に、ニーは鼻で笑った。
「ならば、いいかげん今のような格好はやめておとなしくすることだな。その服装も、泥だらけの顔も、本来ならば九代目に見せられるようなものではない。手だけではなく、顔もきれいに洗ってきたらどうなんだ」
 ハナコの両頬がかっと赤くなった。不穏な空気を察したか、九代目がきびしい声をあげた。
「ニー!」
「言わせてください、九代目。彼女には一度びしっと言い聞かせておきたかった。そもそも、一介の哨戒役である彼女が私や九代目と同じ席に着いていることがおかしいのです。身の程をわきまえるくらいなら猿にだってできる。できない、わからないのなら言ってやろう、ハナコ嬢。君はここにいるべきではない」
「……ブラウ殿はあたしに、今すぐまともな<人間>になれというのか?」
 身を乗りだしてハナコが叫んだ。
「確かにあたしはがさつだし、頭も悪いし、社会のあれこれやマナーのどうこうなんてほとんどわからない。でも、あたしはあたしなりにここでうまくやってきた。あたしだからこそ必要としてくれる人もいるんだ。もしあたしに女らしくまっとうな人間になれと言うなら、それはあたしに死ねと言っているのと同じだ!」
 手足をわなわなと震わせながら立ちあがり、鋭くニーを睨みつける。
 そして何か言ってやろうとまた口をもごもごさせて、とうとう何も言えず、怒ったように両手をふりあげて怒鳴った。
「……ブラウ殿の馬鹿!」
 声とともに身体が飛びあがった。思わず身構えたニーの真上を通りすぎて、ハナコは窓から飛びおりていた。がさがさと木々をかきわける音が遠ざかり、すぐに消えた。
「どうしたんだね。おまえらしくない」
 背を刺すような沈黙のあとで、九代目が言った。
「……申し訳ありません」
 ニーはうなだれた。
「おまえの淹れた紅茶がようやく飲めるんだと嬉しそうだったのに」
 九代目が残念そうに言った。
ハナコが飲むはずだった、手のつけられていない紅茶がテーブルの真ん中で白い湯気を立ちのぼらせている。
 九代目は息をつき、膝の上で手を組んで、琥珀色の瞳でまっすぐにニーを見た。
「あんなことを言わせるために、おまえをここへ呼んだわけではないよ。わかるね」
「はい。申し訳ありませんでした」
 深く頭を下げ、話もそこそこにニーはその場を立ち去った。今の状態ではまともに九代目と顔をあわせていられそうになかった。

     2

 ……確かに、少し言いすぎたかもしれないな。
 ふっとため息が出た。あれから四日。今のところ、ハナコの姿は見かけていない。
 嵐が過ぎたように、ニーの周りは急に静かになった。いいことじゃないか。これでやっとゆっくり茶が飲める。
 勢いまかせにしゃべった部分はあるにせよ、自分が間違ったことを言ったとは思わない。悪いのはハナコ、彼女だ。普段がどうあれ、少なくとも九代目の前にいるときには彼女はきちんとしたふるまいをすべきだったのだ。それを指摘し、気づかせてやったのだから、こちらには責められるようないわれはない。
 ――でも、ほかにもっとうまい言い方があったんじゃないか?
 心の内側で誰かがそうささやく。――彼女も一応は女の子なわけだし、何も九代目の目の前であんなふうに言わなくったって。あのときの彼女の顔、見ただろ。今にも泣きだしそうだった。
 うるさい。何を言おうと私の勝手だ。ニーはその声を無理やり胸の奥に押しこめた。いらいらする。胃の底が痛い。
「おい、ニー」
「ガナッシュ……」
 顔をあげると、見慣れた髭面があった。
「ぼーっとしてんなよ。話はまだまだ終わっちゃいないぞ」
「あ……ああ。すまない。悪かった。続けてくれ」
 ペンをとろうと指をあげた瞬間、手ががっとティーカップに当たった。同席している人間たちはすばやく書類を持ちあげてことなきを得たが、当然、ニーの書類と、それからわきに置いておいたハンカチはこぼれた紅茶でびしょぬれになった。
「……本当にすまない。乾いた布巾をもらってくる」
「気にすんな。それよりおまえ、どこか具合が悪いんじゃないのか?」
「え?」
「オレたちの話、全然耳に入ってないだろ」
 ガナッシュが苦笑した。
「ここはオレたちがなんとかしとくから、しばらく外で頭冷やしてこいよ。な」
 そう言ってガナッシュが目配せすると、同じ席に着いていた九代目の霧の守護者クロッカン、雨の守護者ブラバンダーが無言でうなずく。
「……すまない。そうさせてもらう」
 立ちあがり、ニーはびしょぬれのハンカチだけ持って部屋を出た。
「ニー!」
 後ろから雷の守護者ガナッシュが追いかけてきた。
 ガナッシュはニーの真正面に立つと、ふっと笑い、いきなりニーの額を指ではじいた。
「らしくないぜ、今のおまえの顔」
 ニーはぼうぜんとガナッシュを見あげた。
「おまえはいつだって余裕のある表情をしてた。でも、今は何かに怯えてるような顔だ。いったいどうしたってんだ?」
「ガナッシュ……」
「おまえは九代目の守護者で、九代目やたくさんの部下たちの前では肩肘はってないといけない立場かもしれない。だけどオレやほかの守護者の前ではもっと楽にしていいんだぜ。困っていることがあるならなんでも言ってみろ。可愛い後輩のためならなんだってしてやるさ」
「年下扱いしないでくれないか。守護者になったのは君が先だが、私とて晴の守護者だ。ボンゴレ九代目の」
 ニーは唇を曲げてガナッシュを睨みつけた。
「そういうところが子どもっぽいんだよ。変わんねーな、おまえも」
 ガナッシュはこつんとニーの頭を叩いた。
「悩みがあるなら言ってみろよ。言いたくないんなら、それでもいいが」
 ニーはうつむき、ややあっておずおずと口を開いた。
「……ガナッシュは、ハナコ嬢を知っているか?」
「ハナコ? 『野生児』の?」
 ガナッシュはちょっと目を丸くした。
「いつも走り回ってる、あの元気のいいお嬢さんだろ。風に飛ばされた洗濯物をすぐにとってきてくれるってんで、メイドたちのあいだじゃヒーロー扱いだよ。彼女がどうしたって?」
「私は彼女を傷つけた」
 言って、ニーは視線を落とした。
「ひどいことを言ってしまった。もっとほかにうまい言い方もあっただろうに、私は最低のやり方で彼女をおとしめた。つきまとわれている感じがして困っていた、だからいなくなってせいせいすると思った。そのはずだったのに……」
 唇を噛み、ぽつりと呟く。
「心のどこかに、ぽっかりと穴が空いたような気分だ」
「……なるほど」
 黙って聞いていたガナッシュがうなずいた。
「傷つけたとわかっているなら謝らなくちゃな。辛い思いをさせたのなら、どうやったら喜んでもらえるか考えないと」
「喜ばせる? ハナコ嬢を? ……どうやって?」
「それはおまえが考えることだろ」
 ガナッシュはニーの額をまたぱちんと指で弾いた。
「あいにくオレは彼女のことはあまりよく知らないんだ。彼女、オレがここへ来るよりも前にここに来ていたみたいだから」
「君より前に?」
 ニーは驚いてガナッシュを見た。
「では、ハナコ嬢は年数的には君の先輩にあたるわけか」
「そういうことになるな。まあ、年齢と階級はオレの方が上だけど」
 ふふんと得意げにあごをそらすガナッシュから目をそらし、ニーは思考に沈んだ。彼女は、ハナコはガナッシュよりずっと前にボンゴレに来ていたのだ。彼女が南米のジャングルやアフリカのサバンナで育ったといううわさを信じていたわけではなかったが、意外な事実はニーの胸の内を奇妙な心地で満たした。彼女はいったいどこからやってきたのだろう? ……どうして、マフィアなどに?
「ほかに誰かハナコのことをよく知っているやつがいるといいんだけど。コヨーテやビスコンティなら何か知っているかもしれないが、二人とも今は出張中だし、そんなことをいちいち電話して聞くのもなんだかなぁ。まあ、ぼちぼち考えていくといいさ。……それにしたって、おまえがあのハナコにな。ふうん」
「なんだ、その顔は」
 顎に手をあててにやにやしているガナッシュをニーはじろりと睨みつけた。
「いーや、別に。なんでも。それより、ちゃんと仲直りしろよ。落ちこんでるおまえなんてらしくないぜ」
 ガナッシュはひとしきりけらけら笑うとくるりとニーに背を向けた。
「戻ってきたらまたいろいろ話そうぜ。今度は作戦会議だな、おまえとハナコが仲直りするための」
「ああ。ありがとう、ガナッシュ。とりあえず、このびしょぬれのハンカチを洗ってもらってくるよ」
 手をあげてばたばたと去っていくガナッシュを見送り、ニーはリネン室に向かった。
 洗いたてのシーツの香りに包まれたその部屋で、背の曲がった年老いのメイドがひとり、シャツにアイロンをかけていた。ニーが後ろから呼びかけると、メイドは銀ぶちの眼鏡をはずしてしわくちゃの顔に親しげな笑みをうかべた。
「ニー様、なにか御用でしょうか」
「忙しいところすまないが、これを洗っておいてもらえないだろうか」
 ニーが紅茶でびしょぬれのハンカチを差しだすと、メイドはまじまじとハンカチを見つめて困ったように眉を寄せた。
「今日は曇りですから、洗っても乾くまでには少し時間がかかりますわ。この素材では乾燥機も使えませんし、しみ抜きもしませんと。夜には乾くと思いますけれど」
「それでいい。ありがとう」
 さっそく作業にとりかかろうとするメイドにほほえみかけ、踵を返そうとして、ニーはぴたりと動きを止めた。
 ここにいるはずのない、いや、いるべきではないはずの人物が背後に迫っていたからだ。
 思わず後ずさり、身構えたのは恐怖と敵意のためだった。八年前の、火の熱さと圧倒的な殺意が生々しく目の前によみがえってきた。
「これはこれは」
 陽に焼けた相手の傷だらけの顔に、わざとらしい笑みが浮かんだ。
「九代目の守護者ともあろうものが、そんなに慌てていったいどうされたのです」
「どうして貴方がここに……」
 声が震えていた。そう返すのでせいいっぱいだった。
 ザンザス。なぜ、彼がここに。
「オレがいちゃ悪いか。ここはもともとオレの家だ」
 そう言うなり笑みは消え、いつもどおりの凍りついた表情になった。「てめぇこそ何してやがる。今は仕事中のはずだろう」
「それは貴方も同じだ。ヴァリアーは……」
「おや、坊ちゃま」
 さっきのメイドが嬉しそうに手をこすりながら近づいてきた。危ない、ととっさに手をのばしそうになったニーをひょいとよけてザンザスのそばに駆け寄る。
「探しものは見つかりましたか? お手伝いできずにすみません、昔のようにいろいろといっしょに探してあげられたらよかったんですけれど」
「構わん。もう見つかった」
 ザンザスは足元に置いていた大きな布のかたまりのようなものを顎で指した。
「それはよかった。でしたら、せっかくですから九代目に顔を見せてさしあげてくださいな。きっとお喜びになりますわ」
「今日はジジイに呼ばれて来たわけじゃねえ」
 そっけなく言った。それからちょっと考えこむように小首をひねって、
「今夜は雨と風が強くなる。戸締りをしっかりさせた方がいい」
「ありがとうございます、坊っちゃま。そう致しますわ」
 深々と頭を下げるメイドから目をそらし、ザンザスはぼうぜんとなりゆきを見守っていたニーを睨みつけた。
「……なんでしょうか」
 警戒心たっぷりにニーは言った。
 ザンザスはリネン室の入り口に控えていた黒い影のような男にちらりと目線をやると、ゆっくりとニーに向きなおった。
「少し歩きたい。――ご一緒願おうか、ニー・ブラウJr殿」

     ◇

(……いったい、どういうつもりなのだろう)
 ニーはいぶかしんだ。
 少し離れて前をいく青年は、しゃべることもなく、ふり返ろうともしない。誘ったからには何かしら用件があるのだろうと考えていたニーは肩すかしを食らうと同時、ザンザスに対して恐怖を感じざるを得なかった。
 ――もしも、このままこの場で殺されてしまったら。
 くだらない考えだ。自嘲気味にニーは笑った。しかし、ザンザスは八年前のあの日、独立暗殺部隊ヴァリアーを率いて揺りかごと呼ばれるクーデターを引き起こした張本人だ。九代目の守護者としてヴァリアーを迎えうったニーも手ひどい怪我を負った。すべてを焼きつくしてしまいかねないあの火の熱さ、あの痛み! 思い返すだけで今でも身体が得体のしれない恐怖にうずく。
 後ろから何者かが一定の距離をとってついてきていることも不気味さを煽った。さっき見た、あの影のような従者だろう。主人の護衛のためか、それとも、本当にニーを殺すためか。今のザンザスが九代目の領地で現職の守護者を殺すなどという愚行に及ぶとは思えないが……。
 庭園から人の少ないばら園へ向かう道をふたりは黙って歩きつづけ、分かれ道に差しかかったところでふとザンザスが足を止めた。
「ここでよく遊んだ」
「え?」
 唐突にそう言ったザンザスを、ニーは目を丸くして見つめた。
「言ったはずだ。ここはオレの家だ」
 ぶっきらぼうにザンザスは言い、植えこみに近づくと、めいっぱいに咲いたばらに手を近づけた。
「きれいに咲いているな」
「え……ええ。近ごろは夕立ちも少ないですし。いつもメイドたちが手入れをしていますから」
 どぎまぎしながらニーは答えた。まさか、ザンザスは花を見るためにここへ?
 そんな馬鹿な。
 ニーの記憶の中にいるザンザスは、怒りと暴虐がそのまま形をとったような男だ。だが目の前にいる男はそれとは別人だった。ばらを見つめる表情も、咲きほこるばらに触れるその手つきも、自在に火を操り屋敷と仲間たちを焼きつくしたあの「揺りかご」の少年とはほど遠い。
「そこにあるのは昔、オレが植えた」
 ザンザスが植えこみの一隅を指さした。
「まだ枯れていない。うまく手入れをしているらしい」
 見ると、黄色いばらがこんもりとした蕾をつけている。このあたりではあまり見かけない品種のようだ。どんなものかと興味津々に覗きこんだニーを、ザンザスは後ろからぎろりと睨みつけた。そして足をあげて蹴りつけようとして、ふと思いとどまったように止めた。
「めずらしいばらですね。なんという名前なのでしょうか?」
 顔をあげたニーは、奇妙な表情で自分を見ているザンザスと目があってぎくりとした。
 思わず腰が引けた。ふところにおさめた銃にとっさに手が伸びかかる。
「……ハナコを知っているな」
 ぽつりとザンザスが言った。
「ハナコ?」
 ニーは目の前の男の口から意外な名前が飛びだしてきたことにびっくりした。「ええ。存じております。彼女が何か?」
「おまえのことばかりを話す」ザンザスは少しつまらなさそうな表情になった。「くだらねぇ」
「ハナコが? ……あなたに?」
 ニーは混乱気味に言葉を続けた。
「しかし……彼女がどうして貴方に……彼女はあなたとやすやすと連絡がとれるような地位にいるわけでは……」
 ザンザスはぎろりとニーを睨んだ。地面を這う虫を見おろすような視線だった。
「あいつはおまえを気にいっているようだが、オレは違う」
 きっぱりとザンザスは言った。
「オレはおまえが気に食わん。おまえら守護者全員が気に食わねえが、その中でもおまえは犬にでも首を噛みきられて死んじまえばいいと思っている。澄ました顔をして、腹ん中に何を隠し持っているのかわかったもんじゃねぇ」
「……ひどい言われようですね」
「当然だ」
 鼻で笑う。「殺す理由はあれど、好きになる理由など微塵も思いもつかねぇ。とっとと死ね」
 そこでふと小さな声になって、
「あいつも大概だな。よりによってこんな男を……」
「え? 」
「うるせぇよ。死ね」
 ニーは口をつぐみ、苛立ったように背を向けたザンザスをぼうぜんと見つめた。後ろからぴたりとくっついてきていた何者かの気配が消えた。
「ニー・ブラウJr」
 ふいにザンザスがふり返った。
「いつか、コヨーテ・ヌガーがオレに言った。約束を違えることは死に値すると。たとえ口約束であったとしても、それは一種の契約であり、破ることはすなわち死と同義であるのだと。だからオレは約束を守ろうとした。あの老いぼれに裏切られようともな。――今度は貴様ら守護者が約束を守る番だ」
 にやりとして唇をゆがめた。
「おまえはおまえのしたいようにするがいい、だが約束しろ、オレの期待を裏切ることだけはするな。もしおまえがこれ以上オレの気にくわない行動に出ようものなら、オレがおまえを殺してやる」
 脅しというより、本気の言いぐさだった。ニーは立ち去るザンザスを無言で見送った。
 姿が見えなくなるなり、どっと疲れが押し寄せてきた。疲労が鉛のように肩にのしかかった。
(……いったい、なんだったんだ)

     3

「あいつ、来ていたのか。顔くらい見せていけばいいのに」
 その夜、ニーはザンザスの来訪を念のため九代目に報告しておくことにした。
 報せを聞いた九代目は息子が自分に会っていかなかったことを知って至極残念そうな顔でうなだれていたが、ザンザスがリネン室のメイドと親しげに話していたことを知るとぱっと嬉しそうな顔になり、彼女は昔よくザンザスの身の回りの世話をしてくれていたんだよ、とこっそり教えてくれた。
「それにしてもザンザス、いったい何の用だったんだろうねぇ。この時期は特にすることもないだろうに」
「大きな布のようなものを抱えていましたよ。いったい何をするつもりかは分かりませんが」
 ばら園で話をしたときのザンザスの顔を思い返して、ニーはふっとため息をついた。
「――ところで、九代目。ザンザス様はハナコ嬢と顔見知りなのですか?」
「ん?」
 九代目はぱっと目を見開いた。白い眉としわに隠れた眼が、何かを懐かしむように細められる。
「ああ、そうとも。あいつとハナコは昔から付きあいがあるんだよ。こんなことを言ったらあいつは怒るだろうが、昔は本当に仲がよくてねぇ。まるで本当の兄妹みたいだったさ」
「ザンザス様とハナコ嬢が?」
 ニーは驚きを隠せなかった。あのザンザスが、あのハナコと兄妹のようにして過ごしている姿などまったくといっていいほど想像がつかなかった。
「そうさ。小さい頃はよくいっしょになって遊んでいたんだよ。あのばら園も――」
 そう言いかけたとき、窓枠がぎしりと歪んだ音をたてた。
 ニーと九代目は同時にそちらを見やり、心配げに顔を見合わせた。
「なんだか風が強くなってきたみたいだねぇ。雨も今夜じゅうはやみそうにないし。今日は早いうちに戸締りをして寝てしまうのがいいね。ニー、話の続きはまた今度、お茶を飲みながらにしよう。そろそろ部屋に戻っておきなさい」
「……はい」
 ニーはしぶしぶ頷いた。本当はもっと聞いていたかった。
 もしかするとそこに、ハナコの気持ちを理解するための何かが隠されているかもしれないのに。昼間のガナッシュの顔がふっと頭をよぎる。
(傷つけたとわかっているなら謝らなくちゃな。辛い思いをさせたのなら、どうやったら喜んでもらえるか考えないと……)
「――九代目!」
 そこへ、昼間のメイドが慌てた様子で部屋に駆けこんできた。
「大変ですわ。九代目、大変なことが……」
「おやおや、いったいどうしたんだい。落ちついて。何があった?」
「洗濯物が風に飛ばされて、山の方に……」
 九代目に肩を支えられて、メイドは涙まじりの目をあげた。
「そうしたらハナコがいつものように取りにいこうとして。今夜は雨も降るし風も強くなるだろうからって止めたんですけれど、大丈夫だって言って聞かなくて……。まだ帰ってきてないんですの」
「ハナコ嬢が?」
 ニーは驚き、突き動かされたようにメイドにつめよった。
「それで? 彼女はいつ、山に?」
「もう二時間になりますわ。あの子、いつもなら三十分もしないうちに帰ってくるのに」
 言葉の最後まで聞かずに、ニーは部屋を飛びだした。九代目の呼びとめる声が聞こえた気がしたが、構っていられない。
 彼女を探さなければ。
 頭の中はそれでいっぱいだった。
 あの「野生児」が携帯電話など扱えるはずもないだろうし、持っていったところで電波があるとも思えない。無線機のひとつでも身につけていけばいいものを、どうせいつものようになんとかなると思って身ひとつで飛びだしていったのだろう。
「……あの馬鹿!」
 外へ出るなり、カミソリのような風が全身に吹きつけた。嵐とでも呼ぶべき風だ。思わず顔をかばったニーは雨をふり払うように頭をふった。指輪をはめた手を前に掲げる。
「ボンゴレの晴の守護者の力――見くびらないでもらいたい!」

     ◇

 急にあたりがさっと明るくなった。
 ハナコはうっすらと目を開けた。遠くから、誰かの叫び声が聞こえる。こちらに手を伸ばしている。
 激しい雨風の中で、その手は暗闇に差すひとすじの日差しのように見えた。温かい。朝、目が覚めたときの太陽みたいだ。まぶしい光がやさしくまぶたを撫でていく。
「――ハナコ嬢! ハナコ!」
「ブラウ殿……?」
 身を乗りだして崖下を覗きこんでいたニーは、ハナコが目を覚ましたのに気がついてほっと息をついた。「よかった。意識はあるようだな」
 険しい山道の途中、獣道を逸れたところに崖に続く草木で覆われた場所があった。ハナコの炎は弱々しいながらその奥から感じとることができた。どうやら、雨で滑りやすくなった草木に足をとられて滑りおち、崖の途中でせりだした岩場に運よく身体がひっかかったらしい。回収した洗濯物をつめこんでいるらしいリュックを肩にかけているのが見える。
 だが、崖の下は急な岩場だ。たとえ「野生児」でも落ちればただでは済まない。
「どうしてブラウ殿がここに……あたし……朝? なんでこんなに明るく……」
「質問が多いな、君は。おおかた洗濯物を追いかけて崖から落ちたんだろう。それを私が見つけた。ここが明るいのは、私の身体を流れるエネルギーがこの精製されたリングから晴の炎となって噴きだしているからだ。最近発見されたばかりの技術が、まさかこんなふうに役立つことになろうとは思わなかったが」
 絶えることなく炎を煌めかせる指輪に、ニーは驚きと畏怖のこもった視線を向けた。
「さあ、ハナコ嬢。こちらに手を伸ばすんだ。すぐに引きあげてやる」
「それは……無理だ、ブラウ殿。そんなことをしたらブラウ殿まで落ちてしまう。この足場もあまり頑丈にはできていない。あたしのことはいいから、山を降りてくれ。夜が明けて、雨がやんだらなんとかして這いのぼるから」
「いいから私の言うとおりにしてくれないか。どこか痛むところは? 足や背中は? 頭は痛まないんだな?」
「大丈夫……ちょっと手足をすりむいただけだ。あとはお腹が空いたくらい」
「よし」ニーは腕まくりをして、もう一度身を乗りだした。「手を伸ばせ」
 ハナコはしばらくためらってから、おそるおそる真上に手を伸ばした。だが、届かない。あともう少しで手が触れあいそうなのに。
 とうとうハナコが諦めて手をひっこめた。
「だめだ、ブラウ殿。これ以上はブラウ殿が危険になる」
「そんなことはどうでもいい。手をこちらへ。早くするんだ」
「でも、ブラウ殿が落ちてしまったら……」
「つべこべ言わずにさっさと手を伸ばせ!」
 かっとなってニーは叫んだ。「背のびでもジャンプでも、できることはなんでもしろ! 助かりたくはないのか!?」
「……ブラウ殿」
「私を信じてほしい、ハナコ」
 きっぱりと、ニーは言った。「君を助けたい」
 ハナコはニーを見つめ、うなずくと、力いっぱいに手を差しだした。ニーもぎりぎりまで腕を伸ばす。指がかすかにひっかかるが、上には引きあげられない。
「ハナコ、飛んで私の手につかまれ。できるか」
「できる。でも、失敗したらブラウ殿も痛い思いをするかもしれない」
「いい。それでいいんだ」
 ニーはしっかりとうなずいた。ハナコはうつむくと、意を決したように顔をあげ、ニーの手めがけて力いっぱいに飛びあがった。
 力強い声と共にニーが腕をあげる。指輪からひときわ大きく晴の炎が噴出し、まぶしい光が視界を覆った。

「……さすがはブラウ殿。かよわい見た目とは裏腹に、なかなかの腕力の持ち主らしい」
「『ファミリーを襲う逆境を自らの肉体で砕き、 明るく照らす日輪』――十代目の守護者にボンゴレリングを譲りはしても、それが私の役目であることに変わりはないからな」
 晴の炎が収束し、指輪におさまった。
 ニーはハナコを引きあげると、すぐに崖を離れて雨風をしのげる木と岩の陰に彼女を押しこんだ。
「――ガナッシュたちと連絡をとった。朝になれば助けが来るだろう。それまではここでおとなしくしていることだ」
 無線機をしまい、岩陰にもぐりこむと、ニーはジャケットを脱いでハナコに押しつけた。
「これはなんだ、ブラウ殿」
「いくら君が馬鹿みたいに元気のいい女性だからといって、こんな雨の中で平気でいられるはずがないだろう。寒くなくても着ているんだ。それで、洗濯物は? 無事に集まったのか?」
「ああ……もちろん」
 ハナコが開けたリュックの中身をのぞきこみ、ニーは目を見開いた。
「もともと飛ばされたのはこれだけだった。シーツやらなんやらはメイドたちがしっかりと固定してくれていたから。これは繊細な生地だから、きつく縛ったら痛んでしまう。でも、洗濯ばさみで留めておくだけじゃ今日の風には耐えられなかったみたい」
 リュックの底で丁寧に折りたたまれていた白いハンカチをつまみ、そっとニーに差しだす。白地に青の刺繍がほどこされた、ニーの祖母が遺してくれたハンカチ。
「大事なものなんだろう? 風に飛んでいって、なくなってしまわなくてよかった」
 受けとったハンカチを、ニーはぼうぜんと見つめた。
「……君という人は」
「え?」
「君という人は、本当に馬鹿だ!」
 ニーの剣幕に、まさか怒鳴られると思っていなかったらしいハナコはぎょっとしてその場を飛びのいた。
「どうして怒ってるの、ブラウ殿。あたし、またなにかブラウ殿を怒らせるようなことをした?」
「ああ、そうとも。ハナコ、君は馬鹿だ。ほんものの馬鹿だ。ハンカチ一枚のためにこんな無茶をするなんてどうかしてる。もし君に何かあったら……!」
 そこまで言いかけて、言葉がつまった。泣きだしそうな顔でハナコが見つめている。雨と土で汚れた顔を、ひとすじの涙が滑り落ちた。
「――むぐっ」
 いきなりハンカチを顔に押しつけられて、ハナコが唸った。泥のついた額や頬をごしごしとこすられ、とっさに手でふり払う。
「だめだ。汚い。ブラウ殿のハンカチが汚れてしまう」
「いいから、じっとしているんだ」
「ブラウ殿?」
「君が泣くと、どうしようもなく胸が痛む。……いつものように笑っていてほしい」
 ハンカチはすっかり泥だらけになっていた。ハナコの肩から力が抜けた。ニーを見つめかえしていた両眼からまたひとつ、ひとつと涙が落ちた。
 ニーはうなずき、子どものように泣きじゃくりだしたハナコの肩を静かに抱きよせた。

 嵐は夜のうちに去った。
 山の動物たちが雨をふりはらって動きはじめた頃、ニーにしがみついてうとうとしていたハナコが目を覚ました。
「夜が明ける」
 目をこするハナコに、ニーは静かに言った。
「風もだいぶおさまってきた。じきにガナッシュたちが来るだろう」
「そう……よかった」
 ハナコは顔をあげ、いきなりぎょっとしたように身を引いた。
 ニーにぴたりとくっついて眠っていたことにようやく気がついたらしい。頬が上気して真っ赤になっている。
「す……すまない、ブラウ殿。あたし、そんなつもりじゃ」
「構わない」
 ニーは言った。
「それより……そろそろ聞かせてくれないか? 君のこと」
 ハナコの肩がびくりと動いた。
「考えてみれば、私は君のことを何ひとつ知らない。君がどこからやってきて、どうしてボンゴレに身を置いているのか。それから……何が好きかとか、そういうことも。その……つまり……」
 泣きはらした両眼に見つめられると、言葉が続かなかった。ニーは少し気まずそうに口をつぐみ、それからまたためらいがちに開いた。
「この前のこと、悪かったと思っている」
「この前?」
「あのとき……私は君を馬鹿にした。九代目の目の前で。あんなふうに言うべきではなかった。本当にすまない」
「謝らないでくれ、ブラウ殿。あたし、もうなんにも気にしていない」
 うつむくニーの肩にハナコが慌ててすがりついた。
「悪いのはあたしだよ。ブラウ殿の言うとおりだと思うもの。あたし、そんなに頭もよくないし、まったく女らしくないし、人の気持ちが理解できていないってよく怒られるもの。ブラウ殿はちっとも悪くなんてない。だから顔をあげて……」
「君のことを、ザンザス様から聞いた」
 ハナコの動きがぴたりと止まった。ニーは顔をあげ、彼女の両眼にうつる自分の顔をまっすぐに見つめた。
「それから、九代目にも。肝心なところを聞くことはできなかったけれど、昔、君とザンザス様が兄妹のように仲がよかったことはわかった。教えてくれないか、君がどこからやってきて……なぜここにいるのか」
「……どうしてそれを知りたいと思うの?」
 ハナコの声はかすかに震えていた。
「そんなことを聞いたって、ブラウ殿の得になることなんてひとつもないよ。あたしのことなんて」
「君のことが知りたい」
 ニーはきっぱりと言った。
「知りたいし、理解したい。できれば君の口からそれを聞かせてほしい。今までの私は君を非難するばかりで、君のことを知ろうともしなかった。わがままだと自分でも思う。それでも――」
 ふっと息がもれた。肩にそえられた彼女の手に、そっと自分の手を重ねる。
「貴方のことが知りたい、ハナコ」
「……ブラウ殿」
 ハナコはしばらく迷うような表情を見せていた。
 ニーが無言で見つめかえすと、うつむき、おずおずと小さな声でしゃべり始めた。
「あたしは……生まれてすぐに山の中に捨てられた。それで、そこを通りかかったサルデーニャの山賊の残党の一派に拾われた」
「山賊?」
「うん。今はもういなくなったも同然だけどね、その時代にはちらほら残ってたんだ。あたしは彼らから誘拐と殺しの技術を学んだ。学んだといっても、暴力で叩きこまれたのと同じだけど」
 苦い顔をして、ハナコは手で自分を殴りつけるふりをした。
「ろくに言葉も教えてもらえなかったし、相手の言っていることも満足に理解できなかったけれど、仕事をしなきゃ殴られたり蹴られたりするだけ。痛いのは嫌だったから、とにかく大人たちを怒らせないよう、野犬みたいに山を駆けまわって、同じ年頃の子どもや大人たちを誘拐して山に隠した」
「君は……逃げだそうとは思わなかったのかい?」
「どうやって逃げるの? 言葉もしゃべれない子どもがたったひとりで山道を降りて、それで街の人は信じてくれる?」
 胸を締めつけるような声でハナコが言った。
「敵も味方もわからない。もしかしたらみんなあいつらの仲間なのかもしれない。また山に連れ戻されてひどく殴られるかもしれない。警察に突きだされても同じこと。なにもかが腐ってた。抵抗すれば殴られる。信じられるのは自分だけ。こんなことは子どもでも知ってる」
 ハナコはうつむき、両手で膝を抱えこんだ。
「でも、それでも、あたしはあたしなりに必死だった。サーカスの曲芸の動物みたいに。そう、あの頃のあたしは本当に動物みたいだった。気にいらなければ殴られて、主人の気分次第でなんでもやらされる。今思いだしても傷つく」
 宙を見つめた両眼につかのま暗い光が浮かあがり、まばたきと共に消えた。ニーはそっとハナコの肩を抱いた。
「すまない。嫌なことを思いださせてしまったようで」
「ううん。あたしが言いたかっただけだから。それに、そこでの生活はそんなに長くは続かなかった。九代目が助けにきてくれたから」
「九代目が?」
「うん。もう十五年以上前のことになるかな」
 驚くニーを見て、面白がるようにくすくす笑う。
「九代目はあたしたちのなわばりをまたたくまに制圧して、あたしのいた一派を解体した。それまであたしをこき使っていたやつらはあっというまにいなくなった。びっくりしたし、せいせいした。九代目が来てくれて本当によかった」
「それで……君は? 君はどうなったんだ?」
「あたし? あたしはまだ子どもだったから、九代目もさすがに心苦しく感じたんだろうね。あたしをこの屋敷へ連れて帰って、あたしがまっとうな教育を受けられるようにとりはからってくれた。それからは毎日勉強だ。食事のマナーからはじまって、友達との接し方、一日の過ごし方……その他いろいろ。知らないことを学ぶのはとても楽しかったよ。面倒くさいことも多いけれど、大半は楽しいことだった。同じ年頃の遊び相手もいたしね」
「遊び相手?」
「まあ、遊び相手というよりは先生みたいな王様みたいな人だったかな」
 ニーは目を見開いた。
 こちらを睨みつける男の険しい顔つきがぱっと頭をよぎる。ニーの眉間に縦じわが寄った。
「もしかして……その遊び相手というのが」
「そう、ザンザス。御曹司だよ」
「しかし、どうしてあの方が」ニーは困惑気味にハナコの顔を覗きこんだ。
「九代目も同じことをおっしゃっていたが、にわかには信じられない。ザンザス様は……こう言っては失礼だが、好んで人づきあいをするようなタイプではない。心を閉ざして……言うことを聞かなければ力ずくで屈服させるような人だ。そのザンザス様と、君が? いくらまだ子どもだったとはいえ、ザンザス様がそう簡単に心を許すはずが……」
「まあね。あたしと御曹司、ふたりとも九代目のところにやってきたばかりだったから。似たもの同士、気があったのかもしれない」
 ハナコは昔を思いだすようにしばらく目を閉じていた。
「御曹司とはよく庭のばら園でいっしょに遊んだ。書庫に通いつめていろいろな国の言葉を勉強したし、昔話もたくさん読んだ。二人して物語の登場人物になりきって、貴族のまねごとをして遊んだりもした。昔の偉い人たちにそうするみたいに、敬意をこめてザンザス『殿』って呼んだら、御曹司、面白がって笑ってくれたんだ」
 言いながら、ザンザスの笑い顔のつもりらしい気難しい笑みをうかべてみせる。
「御曹司のことを悪く言う人もいるけれど、あたしは御曹司に感謝してる。だから御曹司が屋敷を離れてヴァリアーに行くことになったときはとても寂しかった。行かないでってだだをこねるあたしに、御曹司はばらの苗をくれた。これを育てればいつか黄色い花が咲く、いつか自分が帰ってきたときに見せろって。ちゃんと咲いていなければだめだって。ザンザスが苗を植えつけるのをあたしは泣きながら見てた。ある意味では、あたしにここにいる意味をくれたのかもしれない。下品だ、野蛮だってどれだけ馬鹿にされても、あのばらがあるかぎり、あたしにはここにいる理由があるもの」
「ハナコ……」
 ニーはこちらを睨みつけるザンザスの顔を思いかえした。
 彼にとってハナコは友人――あるいは親友、妹のようなものであり、彼女を傷つけた自分、ニー・ブラウJrは彼の憎悪の対象となってしかるべき存在だった。あのばら園への道も、黄色いばらの花も、彼にとっては子ども時代のハナコとの思い出そのものだったのだ。
「まあ、彼が何を思ってそうしたのかは結局わからずじまいなんだけどね。御曹司、大事なことはあんまりしゃべってくれないから」
 ハナコはちょっと寂しそうに笑った。
「――でも、彼はあたしに大切なものを教えてくれたよ。言葉と、いろんな気持ち。大好きなことを楽しむ気持ち。ひとりぼっちの恐ろしさ、大切な人がそばにいないときのさびしい気持ち……」
 そこでハナコは目を開き、身を乗りだしてニーの顔を覗きこんだ。
「なあ、ブラウ殿はあたしが嫌い?」
「なんだ、いきなり」
 ニーはぎょっとして身を引いた。君が嫌いかだって?
「あたしにとってブラウ殿はずっと憧れの人だった。きれいで、おしとやかで……とってもまぶしかった。太陽みたいだって思ったんだ。朝、目が覚めたときに見る太陽みたいだって。まぶしくて、目なんて開けていられない。それでもずっと見ていたかった。ほかの守護者の人と話しているときにたまに見せる笑顔、どうにかしてあたしにも向けてほしかった。ブラウ殿に嫌われたら、あたしはおしまいだ」
 ハナコはしゅんとなって肩を落とした。
「帰ったら、ちゃんとスカートを履く。ドレスだって着る。屋敷のクローゼットにしまわれていたままのきれいな布、ザンザスがドレスに仕立ててくれるって。お裁縫が得意でふぁっしょんせんすのあるやつがヴァリアーにいるからそいつにまかせればいいって。マナーは……まだあんまり自信がないけれど、ダンスくらいならなんとかなるかも。お茶もじょうずに淹れられるようになる。だから」
 何か言いたげに唇がもたついた。また泣きだしそうな顔になる。
「ハナコ」
「……これ以上嫌いにならないで」
 こちらを見つめる瞳の向こうがわに、遠い昔に置き去りにされた少女の泣き顔がのぞいていた。ニーはためらいがちにハナコの頬に触れ、そっと唇を近づけた。おずおずと目を閉じたハナコに二、三度口づけ、腕をひいて抱きよせる。
「ドレスでもなんでもいいよ。今のままでも構わない。なんだったら、きれいな服で野山を駆けまわったっていい。君の思うようにすればいいんだ。それが君の望むことならば」
 ――なにせ、いざというときには助けてくれる怖い義兄殿がいるわけだし。ニーはくすりと微笑んだ。
「……ブラウ殿」
 ハナコが確かめるようにニーの背中に手を回した。
「ブラウ殿は、あたしみたいな女は嫌いだと思ってた」
「ああ、嫌いさ。大嫌いだ。がさつで、遠慮がなくて、人の心の中にまでずけずけと入りこんできて、そのくせ自分の胸の内はなかなか明かそうとしない。でも……そんな女性でも、たまには悪くないかなと思う」
「たまにだって? 意地悪だな、ブラウ殿は」
 肩をゆらしてくすくす笑う。ニーはうなずき、顔をあげたハナコとしばらく見つめあった。どちらからともなく目を閉じ、もう一度唇を近づけようとしたとき、閉じたまぶたの端にかすかに青白い光が差しこんできた。
「あ……」
 先に目を開けたのはハナコの方だった。「雨、やんだみたい」
 ニーも目を開き、腕をすりぬけて立ちあがったハナコの後ろを追いかけて、岩と枝の下をくぐりぬけて岩陰から這いだした。
「ブラウ殿、来て!」
 ハナコの明るい声がする。
 ニーは膝についた土をはらい、立ちあがってハナコの隣に立った。
 涼しげな風が頬を撫でた。昨晩の嵐が嘘のように、山は静かだった。あたりには湿った木々のにおいがたちこめ、雲の切れ間から差しこんでくる光を反射して濡れた草がきらきらと輝いている。
 山あいに鳥たちのさえずりが響き、穴ぐらから出てきた山狸たちががさがさと草を鳴らした。ハナコは笑ってニーの手をとり、その肩にぎゅっと額を押しつけた。
「晴の守護者、か」
「え?」
「やっぱり太陽みたいだ」
 にっこりと笑う。「あたしにとってのブラウ殿は」
 白く透ける雲の向こうがわで、半分顔を出しかかった太陽がまぶしく光った。遠くから、部下を引き連れて歩いてくるガナッシュの大きな呼び声が聞こえてきた。

  おわり

DATE:2012.7.16

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