カモミールティー(ブラバンダー・シュニッテン夢)

「そのままの君が好き」の続き。
雨の守護者ブラバンダー・シュニッテンの姿を見つけ、どうにか話しかけようとするもうまくいかない。
ある夜、またあの時と同じように談話室に灯りがついているのに気がついた。

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「よくぞご無事で! どこぞのファミリーがボンゴレに手出しをしようとしたと聞いて、居ても立ってもいられなくて……!」
 いつもはきびしいメイドチーフが、目にいっぱいの涙をためて九代目の手をおしいただいている。
 継承式が終わり、九代目とその守護者たちがイタリアへ戻ってきたのだ。
 予定より数日遅れの帰国だったが、継承式の開催にあたり敵対勢力の妨害が噂されていただけに、七人揃っての帰還は屋敷の人びとにとって何より嬉しい報せとなった。門をくぐるなり、仕事を放りだして駆けてきた部下やらメイドやらに囲まれて、九代目は嬉しいような困ったような笑みをうかべている。
「てめぇら! 九代目はお疲れなんだ、さっさと道を空けろ!」
 これに怒鳴りたてているのは、継承式で敵対勢力の攻撃を受けて手ひどい怪我を負ったといわれていたコヨーテ・ヌガーである。
 負傷を機に傍若無人な彼も少しはおとなしくふるまうようになるだろうと思っていた面々は、口うるさい老人がいつものとおりぴんぴんしていることに拍子抜けしながらもその無事を祝った。
(あ……)
 沸きたつ人びとの輪の中に、九代目の雨の守護者ブラバンダー・シュニッテンの姿を見つけたハナコはひそかに胸を撫でおろした。
(よかった、ご無事で)
 前に見た時となんら変わらない。青みのかかった髪も、見るものすべてを斬りつけてしまいそうな、刃のような切れ長の眼、傷跡だらけの顔も。
 表情にはやや疲れがちらついていたが、継承式前に見かけたときのあの疲れきった姿と違い、どこか安堵しているようでもあった。晴の守護者ニーと談笑しながら輪の中へ歩いてくる。
 ――もう少しそばに行けば、こっちに気づいてもらえるかしら。
 そんな期待が胸にうかんだ。彼にとってわたしはたくさんいる構成員の内のひとりで、彼はわたしを忘れているかもしれない、けれどももしかしたら。
「ブラバンダー様……」
 話しかけようかどうしようか長々と悩んだすえ、勇気を出して輪の中心に一歩近づいたところで痺れをきらしたコヨーテ・ヌガーが爆発した。反射的に飛び退いたメイドたちの頭上を鋼鉄の義手がものすごい勢いで通りすぎる。
「いい加減にしやがれ! どけ! 邪魔だ! 九代目をお通ししろ!」
「まあまあ、コヨーテ。そう怒鳴りつけなくても」
「だったら、部屋を暖めておくなり食事を用意するなりほかにやることがあるだろうが! どいつもこいつも犬みたいに寄ってきやがって、さっさと散れ!」
 鬼のような剣幕に追いたてられて後ずさる使用人たち。
「せっかくみんなが集まってくれているんだよ」コヨーテのこの仕打ちに、さしもの九代目も不満そうな声をあげた。「彼らは私たちの帰りを喜んでくれているんだ。それなのにおまえときたら、相も変わらず怒ってばかり。相変わらず頭でっかちだなぁ」
「なんだ、その言い草は! オレはおまえを思って……おい、聞いてんのか!? ティモッテオ!? 寄ってくるやつの相手ばっかしてねえで、ちったぁ身体を休める努力をしろ! おまえは疲れているんだ、何日もまともに寝ていなかったんだろうが!」
「なに、これぐらいどうってことないさ」
 けらけら笑って、九代目は片手の杖先を自慢げに宙に掲げてみせた。
「だいたいコヨーテ、そういうおまえこそ何日も生死の境を彷徨っていたくせにそんなに叫んで大丈夫なのか? 白蘭の能力で回復したとはいえ、病みあがりなのに。おまえもそろそろ年齢相応のふるまいを心がけんといかんな」
「なんだと!」
 九代目に飛びかかりそうな勢いのコヨーテを雲の守護者ビスコンティと霧の守護者クロッカンがなんとかなだめつけ、一行はぞろぞろと屋敷内へ向かっていく。
 そうこうしているうちにブラバンダーの姿も遠ざかり、ハナコはあきらめて仕事場に戻ることにした。雷の守護者ガナッシュになにごとか言われながら肩をつつかれて、ブラバンダーの傷だらけの顔にかすかに笑みがうかんだのが最後に見えた。

       ◇

 結局、今回の継承式は敵対勢力をおびきよせるためだけに仕組まれた『罠』で、実際には十代目への権力の譲渡は行われなかった。そのことをハナコが耳にしたのは、予定より帰国が遅れそうだと日本にいる一行から知らせが届いた頃だった。
 シモンを名乗るファミリーがボンゴレへの復讐のために継承式を妨害し、十代目はシモンの『聖地』と呼ばれる島へ仲間とともに乗りこんでいったのだという。よくないことが起きたと屋敷じゅうがあわてふためく中、ハナコの頭にまっさきに思いうかんだのはあの無口で無表情な雨の守護者の姿だった。
 彼は無事でいるだろうか。怪我をしていないだろうか。
 そわそわして落ちつかないでいるハナコに、友人はホットミルクのカモミールティーを淹れてハナコを自分のそばに座らせた。
(ハナコ、あなたが心配したところで事態は何も変わらない。これを飲んで、落ちついて。飲み終わったらちょっと眠りなさい)
(だけど、心配なんだもの。どうしてそんなに落ちついていられるの? あのコヨーテ様でさえ怪我をなさったらしいのに。これ以上悪いことが起きたりしたら、わたし、どうしていいか)
(日本には十代目がいらっしゃるのよ。十代目と、その仲間の方々が)
(……十代目)
(そう。彼はあのザンザス様にさえ負けなかった。九代目のおっしゃる『未来』で仲間と力をあわせてビャクランを倒し、世界を救った。そのヴァリアーも、ビャクランも、少なくとも今は彼の、そしてわたしたちの仲間。これ以上に心強い人たちがいるかしら。シモンのことは彼らに任せて、あなたはあなたにできることをすればいいのよ)
(――でも)
 マグカップを持つ手にぎゅっと力がこもった。
 ブラバンダー様に何かあったら……。
(……ハナコったら。まるで好きな人の心配をしているみたい)
(好きな人の?)
(誰かいい人がいたの? もしかして、九代目の守護者の誰か?)
 たちまち赤く染まったハナコの顔に目をやり、くすりと笑う。
(だいじょうぶ。きっと無事に帰ってくるわよ)
 ハナコはごまかすようにマグカップに口を近づけた。カモミールティーのほどよい温かさが冷えた身体を暖めていく。不安や緊張が完全になくなったわけではなかったが、友人の心遣いはうれしかった。もしかしたらあの時のブラバンダー・シュニッテンもこんな気持ちだったのかもしれないと思い、ハナコはますます熱くなった頬にそっと片手をあてた。
 ……わたし、ブラバンダー様のことが好きなのかな。

 意識し始めたのはそれからだったような気がする。
 見回り用のランプの光をぼうっと見つめながら、ハナコは以前にブラバンダーと会ったときのことを思い返した。結局、彼とはあれきり顔も合わせていない。仕事中にときどき見かけることはあったが、声をかけるのははばかられた。あちらはとっくにこちらのことなど忘れているかもしれないし、そもそも名前を知ってもらえているかどうかすら疑わしいのだ。
「あ……」
 ハナコは足を止めた。真夜中の談話室に明かりがついていた。
 ランプを持つ手がかすかに震えた。あの日も、こんなふうにして歩いていたときに彼と出会った。ハナコはいつのまにか早足になって、談話室の扉に手をかけていた。
 見覚えのある姿がそこにあった。
「よお、お疲れ」
「……ガナッシュ様」
 ハナコは気の抜けた声を出した。
「休憩がてら仮眠をしようと思ったんだが、寝つけなくてな。考えごとをしているせいだってわかっちゃいるんだが」
 雷の守護者ガナッシュは手元のグラスを傾けてカラカラと氷を鳴らした。仕事用のスーツを着ているが、いつもより襟元を楽にしている。
 九代目とその守護者たちはしばらくの休暇ののち、順々に仕事場に戻ってきている。ガナッシュはちょうど二日前に戻ってきたところで、休みのあいだはトスカーナのあたりに滞在していたらしい。そういえばブラバンダ―はまだ休暇中なのだったということを今さらのように思い出して、ハナコはなんだか落胆したような気分になった。
「……オレには淹れてくれないんだな」
 ふいに、ガナッシュが呟いた。
「ホットミルクのカモミールティー。あいつには淹れてやったんだろ?」
「え?」
「まあ、オレはどちらかというとハーブティーよりブランデーの方が好きなんだがな。君さえよければ、そのカモミールティーとやらをオレのために淹れてくれないか?」
 ハナコは返事をするのも忘れて横の給湯室にひっこんだ。
 心臓が飛び出しそうに高鳴っている。なぜガナッシュ様があの時のことを?
 理由はひとつしか考えられない。彼が、ブラバンダー・シュニッテンがガナッシュにしゃべったのだ。そう考えるとなんとなく気恥ずかしくなった。秘密を知られてしまったような、隠しておいたものがいきなり目の前に引っぱりだされたような気分だ。恥ずかしく思う必要などないはずなのに――。
 とにかく、あの時と同じように戸棚からカモミールの茶葉とマグカップを取り出す。これを作ったらさっさと見回りに戻ろう。
「いいにおいがするな」
 給湯室からおそるおそる顔を出すと、ガナッシュがさっきと変わらない体勢でにこにこしながら待っていた。マグカップをテーブルに置き、肉食に睨まれた獲物のようにそろそろと後ろに下がるハナコを楽しそうに見つめている。
「んじゃ、いただきます。……不思議な感じのする味だな、美味しいけども。確かにこりゃよく眠れそうだ」
 そう言ってマグカップの中身を一気に飲みほすと、ガナッシュはようやく本題だと言わんばかりに意気揚々と身を乗り出した。
「それで? オレに何か聞きたいことは?」
「聞きたいこと?」
「あいつのこと、もっと知りたいとは思わないのか? 何かしらあるだろ? 何が好きかとか、いつも何をして過ごしているのかとか……」
「ど、どうしてわたしがブラバンダー様のことを知りたがっていると思うのですか」
 声がうわずっているのが自分でもわかった。会話を続けるつもりなどなかったのに。
「どうしてって、見りゃわかるさ。ハナコちゃんはブラバンダーのことが気になっている。だから、オレの言う『あいつ』をブラバンダーだと勝手に思いこんでいる。オレは別にブラバンダーのことだとは一言も言っちゃいないのにな」
「それは……話の流れ、で……」
 ハナコは真っ赤になってその場に立ちつくした。
「ハナコちゃん、なかなか見所あるぜ。世の中の大半の女性はあの怖いカオに騙されてブラバンダーの魅力にさっぱり気づいちゃいないからな。まあ、せっかくあいつの親友であるこのオレが現れたんだ、聞きたいことがあればなんでも聞いてくれ……って、おい、逃げるな」
 慌てふためいてその場から飛びだそうとしたハナコをガナッシュは慌てて追いかけ、なんとか隣に座らせた。
「いいから座りなって。別にとって食おうなんざ思っちゃいないから」
 ハナコはまた立ちあがりかけて座りなおし、意を決してガナッシュの方を向いた。「あの、どうして、あの時のこと」
「ブラバンダーが教えてくれたんだよ」
「ブラバンダー様が……?」
「あいつも君のことが気になってるのさ」
 ハナコはぼうぜんとガナッシュを見つめた。ブラバンダー様も、わたしのことが気になっている?
「意味がわからないって顔だな。よし、教えてやる」
 にやにやしながらハナコの肩を叩くと、ささやくようにして話しはじめた。
「……ある日の朝、いつもとちょっと様子が違ったからどうしたんだって聞いたんだ。そうしたら、眠れなかったときにカモミールのミルクティーを淹れてくれたという女性のことを教えてくれた。誰だって聞いたら、わからないって言うんだ。名前を聞くのを忘れていたって。馬鹿なやつだろ? オレが夜間の見回りの名簿表を調べて、その女性ってのがハナコちゃんだとわかった。ま、オレは最初っから君じゃないかと思ってたけど」
 眉間にしわを寄せるようにしてけらけら笑う。ガナッシュのくせらしい。
「でも、だからといって気になるということには……」ハナコはうつむいた。「部下が上官に飲み物を用意するなんて、よくあることではありませんか」
「いいや。ブラバンダーのやつ、それからずっとそわそわしてた。いつも落ちついているブラバンダーがそんなふうになるのは珍しいことなんだ。ありゃあ、腕利きのやつを見つけたか、女に興味を持ったかのどちらかだ」
 妙にきっぱりと言い切る。
「だからオレ、言ってやったさ。そんなに気になるなら直接会いにいけばいいじゃねーかって。でもあいつ、違うって言うんだ。そういうのじゃないって。まるで自分に言い聞かせるみたいにさ。それで思いついたようにカモミールティーをつくるんだ。材料を調べて、用意して。きっと、君のことを思い出しながら。しかしどういうわけか出来上がりはひどいもんで、なんだこれは、まずいって、ぶつぶつ文句言いながら飲むんだ。馬鹿なやつだろ、本当に……」
 ハナコはガナッシュの顔を見あげた。
 長い時間を共に過ごした伴侶を見つめるような、やさしい表情。
「――ガナッシュ様は、ブラバンダー様のことをよくご存知なんですね」
「当たり前だ、何年ここでいっしょに守護者をやっていると思ってるんだ」
 ガナッシュはちょっと心外そうだった。「昔っからあいつは生真面目で気難しくて、あんまり笑わねーし無表情だし、なんにも知らないやつには勘違いされてばっかだが、あれでけっこういいやつなんだ。オレも何度も助けられてる。あいつには幸せになってほしい」
「ガナッシュ様……」
「だから、嬉しかったんだぜ。あいつの言う女性ってのがハナコちゃんだと分かって。もしかしたら、九代目やオレたち以外にもあいつをあんなふうに笑わせられるやつが現れたんじゃないかって――」
 グラスに残っていた酒を飲みほし、ガナッシュはしばらく目を閉じていた。どこかさびしげで悲しい心地のするその横顔に、ハナコは声をかけるのも忘れて見入った。
「……まあ、よかったらあいつといろいろ話をしてやってくれよ。あいつもきっと喜ぶからさ」
「はい」
 にっこり笑ったハナコの頭に、ガナッシュはぽんと手を置いた。「あんた、いい子だね」
 五つか六つの子どもにするようにぐしゃぐしゃと頭を撫でられる。子ども扱いされているのかと思ったが、ガナッシュの表情がひどく真面目だったのでそのままにさせておくことにした。
「でも、今日のことはブラバンダーには言わないでくれよな。あいつ、オレがこんなことを言ったと知ったら怒って殴ってくるに決まってるからな。あとはどうやってブラバンダーをその気にさせるか……いっそハナコちゃんとふたりきりにさせて閉じこめちまうってのも」
「……誰が誰をどうするって?」
 入り口の方で低い声がした。
 ガナッシュとハナコは同時にふり返り、扉に手をかけて難しい顔をしている男の姿を見た。
「ブラバンダー!」ガナッシュがぎょっとして飛びあがった。「おまえ、戻ってきてたのか? いつのまに? あと二日は帰ってこない予定だったはずなのに。戻ってくるんなら連絡ぐらいくれよ、いっしょに飲もうって約束してたじゃねえか!」
「クロッカンから連絡をもらって戻ってきた。もう少ししたらローマへ発つ」
 はたから見ても分かるくらいにおろおろしているガナッシュに、ブラバンダーは大きなため息をついた。
「そ、そうか! そうだったんだな! オレはてっきりおまえが……いや、そ、そうだ! そういえばオレ、ビスコンティに呼ばれてるんだ! ちょっと行ってくる! 老人には荷物運びはきついって、書庫の整理を頼まれててだな。あそこは重要書類が多いから、自分の部下には任せられないもんな。オレがやらないとな!」
 ガナッシュはハナコを押しのける勢いで立ちあがり、そそくさとブラバンダーの横を通りすぎようとした。
「……遠回しにしないで、はっきり言ったらどうなんだ?」
「あ?」
 ぎくりとした様子でガナッシュの肩が揺れる。ブラバンダーの表情が険しくなった。「何かオレに言いたいことがあるって顔だ」
「そ、それはだな」
 ガナッシュはぴたりと立ちどまり、あー、とか、えー、とかさんざんくりかえしてから照れくさそうに頭をかいた。「……ちゃんとやれよ、おまえ」
「世話焼きめ」
「なんとでも言え!」
 ブラバンダーの肩を叩いて、ちらりとハナコを見る。
 ハナコはぽかんとしてガナッシュを見つめかえし、入れ替わりに部屋に入ってきたブラバンダーが言葉もなく自分の隣に腰を下ろすのを見守った。
「……ブラバンダー様」
 声をかけた相手は、開いた膝に肘をつき、あごの下で手を組んでじっとうつむいている。
 何を言えばいいのか分からなかった。お帰りなさい、とか、お疲れさまでした、とか、何か言いようはあるはずなのに。
「……悪かった」
「え?」
 ハナコはびっくりして身を引いた。ブラバンダーはうつむいたまま、ぼそぼそと言葉を続ける。
「ガナッシュが……。迷惑をかけてすまない」
「そんな」ハナコは顔の前で両手をふった。「迷惑なんかじゃないです、全然」
 ブラバンダーは、それならいいんだ、とようやくほっとしたような息をついた。
 そして、そのままたっぷり数分は過ぎた気がする。ブラバンダーは膝のあいだから薔薇模様の絨毯を見つめたままぴくりとも動かない。
 ……いったいどういうつもりなんだろう。ハナコはいぶかしんだ。ブラバンダーという男が何をしたいのか皆目見当がつかない。
 ガナッシュとの会話を聞いていたなら、気の利いた態度のひとつやふたつ、してくれたっていいはずなのに。
 この人は本当にわたしのことが気になっているのだろうか? ガナッシュ様の言うとおりに?
 いや、もしかするとガナッシュ様の言っていたことは単なる冗談で、わたしを喜ばそうとしてひと芝居打っただけなのではないか?
 じれったくなって、ハナコはブラバンダーの顔をのぞきこんだ。切れ長の目がうかがうようにこちらを見る。
 そこではじめて、彼の顔が赤くなっていることに気がついた。
「……ブラバンダー様」
 見られたくなかった、といわんばかりにブラバンダーが片手で顔を覆う。耳の端まで真っ赤にして、まるで、はじめて恋をした少年みたいな顔。
「すまない。あまり慣れていない。こういうことには」
 うつむいたまま、ブラバンダーは早口に告げた。
「経験がないわけじゃない。ただ、どういうわけか、君は……今までと違う。ほんの少し言葉をかわしただけなのに。自分でも不思議だと思う。そんなことがありえるのか、何度も自分に問いかけた。何度も。だが、どれだけ繰り返しても、答えはいつも同じ。遠回しにするな、などとガナッシュに言えた義理じゃないな。もっと別の、うまい言い方があるとは思う。その……」
 そこから先が続かず、口をつぐんでしまう。
 ハナコはじっとブラバンダーの横顔を見つめ、勇気をふりしぼって、片手で顔を覆っているブラバンダーの、ソファの上に投げ出されたもう片方の手にそっと自分の手を重ねてみた。
 ブラバンダーはぎくりとしたように身体を震わせた。が、手を振り払ったり、払いのけたりすることはなかった。うつむいていた顔がゆっくりとハナコの方を向く。藍色の瞳がまばたいた。
「……ハナコ」
 硬直していた指がためらいがちにハナコの手をたぐりよせ、絡めとる。唇に触れるやわらかな感触に、ハナコは陶然と目を閉じた。

       ◇

 指がほどけていくのを感じ、目を開く。
 ブラバンダーが笑っていた。あの時と同じ、ちょっと照れくさそうな笑い方。目元と傷だらけの頬がほんのり赤くなっている。
「……そろそろ、行かないと」
 名残惜しそうにハナコの手をさすりながら、「ローマに向かわなきゃならない」
「そう……ですか」
 ハナコは少々気落ちしつつ手をひっこめた。
「ローマからはいつお戻りになるのですか? わたし――ここで待っていますから」
 ブラバンダーがゆっくりと顔をあげた。
 何か言いたげに、口元が動いた。ハナコが耳をすますと、ようやく聞きとれるくらいの小さな声が聞こえてきた。
「二日ほどで戻る予定になっている。それで、その……オレが、戻ってきたら」
 ブラバンダーはしばらく床を見つめたあと、テーブルの上の空っぽのマグカップに目をやった。
 傷だらけのその顔に、悔しいような、照れくさいような表情がうかぶ。
「あの、カモミールティーを。自分でもやってみたんだが、うまくできなくて。君さえよければ、もう一度作ってもらえないだろうか。あの時と同じように。――オレの、ために」
 予想もしなかった返答に、ハナコはしばらくぽかんとブラバンダーを見つめた。
「……喜んで」
 自然とわきあがってきた笑みと共にうなずく。
 向かいあう男の顔に、彼が仲間や九代目にのみ見せていただろう穏やかな微笑がうかんだ。「ありがとう、ハナコ」

     おわり

TITLE:「カモミールティー」
DATE : 2013.5.6

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