純血の掟(剣帝テュール夢)

異国の血をひく女性を愛し、組織の純血の掟をくだらないものと考える剣帝テュールと、あくまで純血の掟にこだわるオッタビオの言い争い。
※捏造剣帝テュール。テュール=ブラッド・オブ・ボンゴレの設定。オッタビオ、モスカについての捏造設定あり。オッタビオが悪役で、テュールとすごく仲が悪い設定。

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「――また、彼女に会いにいかれるのですか」
 闇の中から声がした。
 扉に手を置きかけていたテュールは、足を止め、ゆっくりとふり返った。
 揺れる蝋燭の火が、自分とは別の細長い影を漆喰の壁に投げかけていた。
「ご自分の部下に気を払われるのは結構なことです。ですが、節度というものを守っていただかないと」
 声の主は滲み出るようにしてその場に現れた。知的な顔に薄い眼鏡をかけた、やや金色めいた茶髪の男。副隊長のオッタビオである。聡明そうな風貌に似合いの黒の隊服をきっちりと着こなし、その目は自らの正当性を信じて疑わぬ自信と確信に満ちていた。
「あなたはご自分の立場を理解しておられない、テュール。あなたは剣帝なのです。世界でただひとりの剣の帝王、誰がその立場に代わることができましょうか。あなたはそれだけの名誉を持った人間なのですよ」
 演技めいてすらすらと流れる台詞にテュールは眉をひそめた。よくもまあ、それだけの賛辞をおめおめと口に出せるものだ。
 剣帝。剣の帝王。確かにどれも自分に与えられた、誉れ高い美称ではある。だがこの若者がそれを口にするのを聞くと、ざらついたもので肌をこすられるような嫌な感触が全身を走る。
 ためらうことなくまっすぐこちらを見つめる視線に敵意は感じられない。そこにこめられているのはむしろ敬意といってもよかった。だが、それが形ばかりのものであることをテュールは知っていた。もし彼の期待を裏切る行動をしようものなら、そんなものはいとも簡単に砕けちってしまうだろうことも。
 テュールはこの若者が嫌いではなかったが、だからといって好きにもなれなかった。自分を絶対と信じて疑わない目、周囲を見下したようなその視線。普段は穏やかなふうをよそおってはいても、ふとした瞬間に現れるその本性は凍りついた刃のような冷やかさを感じさせる。
「確かにオレは剣帝だが」
 テュールははぐらかすように微笑んでみせた。「だからといって、どうだというんだ。その節度というのとオレの立場とに、いったいどんな関係があるというんだい。もしなんらかの関係があったとして、そこにおまえが口出しする権利はどこにもないはずだが」
「私はあなたの名誉のためにご進言申し上げているのです、テュール」
 オッタビオは人差し指でくいと眼鏡をあげ、テュールの肩の向こう側にある扉をきつく睨んだ。
「あなたとハナコのあいだによからぬ噂が流れていることを知らぬとは言わせません。なにせほとんど毎日お通いになっていたのですから。今日も今日とて、二か月の任務からお帰りになるやいなや彼女の部屋へ向かわれた。しかし、偉大なるボンゴレ、その暗殺部隊の頭領ともあろうものが安易に部下に入れこむなど絶対にあってはならないこと。噂がただの噂であれば時と共に落ち着きましょう、しかしあなたがもし本当にハナコを見初めたとすれば」
「それで、オレに節度を守れと。そう言いたいんだな、オッタビオ」
 テュールはため息をついた。
「言っておくが、オレはそんな理由でハナコのそばにいるわけじゃない。ただ……オレを守ってくれた彼女に礼がしたい。それだけだ」
「いいえ。それは違います」
 オッタビオはきっぱりと否定した。
「あなたはハナコを好いている。おそらくは、部下に対するそれ以上に、女として」
 テュールは居心地悪く身じろぎした。
 確かに、この扉の向こうにいるはずの彼女、ハナコに対して特別な感情がないわけではない。
 彼女はいま、負傷した身体を癒すために長いあいだ床に伏せている。任務の最中、テュールをかばって怪我を負ったのだ。すべては自分の油断が招いたのだとテュールは深く後悔していた。
 部下を先導し、任務を成功へと導く立場にある自分が、戦いの高揚感に酔いしれて仲間たちの存在を忘れるなど本来あってはならないことのはずだった。それほどまでに自分は油断をしていたのだ――爆風に砕け飛び散る刃の破片が、自分の前に身を投げ出してきたハナコの身体を貫いたのに気付くまでは。
 その時のことを思い返すと、テュールは今でも冷たい恐怖に胸をわしづかみにされる。崩れ落ちるハナコを見た瞬間、頭の中が白くなって、気がついた時には、ぐったりとした彼女を抱えて血まみれで立っていた。彼女のものではない、それは標的の流した血だった。
 原形すら留めぬ死体があたり一面に倒れ、その周囲から部下たちが、感嘆とも畏怖ともつかぬ表情を浮かべて遠巻きにしていた。死体のどれにも焼け焦げ、切り裂かれたような跡があった。まるで燃えさかる刃に斬りつけられたかのようだった。
 あとから部下のひとりに問いつめて聞きだした話では、テュールは炎をまとった剣を片手に次々と標的とその護衛たちをなぎ払っていったのだという。その目は燃えるような輝きを帯び、右手からも、義手であるはずの左手からも、橙色の炎をほとばしらせていたのだと。
「……ハナコに対して特別な思いを抱いていることは認める。だから、もうほうっておいてくれ。オレがどうしようとおまえには関係ないはずだ」
 知らず知らず右手で義手の左手をさすりながら、テュールは言った。
「もしハナコが守っていてくれなければ、オレは今頃ここに立っていることも叶わないだろう。それだけのことを彼女はしてくれた。そんな彼女のそばにいてやりたいと思うのは、そんなにおかしなことなのか」
「……愛しているのですか。彼女を」
 オッタビオは目を見開いていた。信じられないものを見るような目で、眼前のテュールを見つめていた。
「ああ。愛している。部下としてではなく、ひとりの女性として。――これで満足か、オッタビオ?」
 これ以上は何も話す気にならなかった。
 背を向け、今度こそ扉に手をかけようとした、その瞬間。
「――その女はあなたに相応しくない!」
 悲鳴のようにオッタビオが叫んだ。
 テュールが思わず身を固くしたほど、その声は激しかった。
「なぜ、よりにもよってハナコなのです! 彼女の顔を見れば、シチリアの血を引いていないことは明らかではありませんか!」
 にじり寄り、オッタビオは燃えるような目を主に向けた。
「組織の純血はどうなさるおつもりです。貴き血の純粋性を守りぬくことについてどうお考えですか。ただの構成員ならばまだ認められましょう、しかしブラッド・オブ・ボンゴレであり、組織の体面を保つ立場にあられるあなたが、イタリアの人間ならまだしも、遠い東の血を引くどこの馬の骨とも知れない女と交わったとなればこれは大問題です。御当主の顔に泥を塗るのと同じことです。――だからこそ沢田家光は、十代目候補ではなく門外顧問などという聞こえのいい職に回され、組織から追い出されたのではないのですか。今また、それと同じことが繰り返されようとしているのです。ボンゴレの上層部があなたとハナコの噂を知らないわけがないでしょう。彼らがハナコをどう思っているかご存知ですか。程度の低い雑種の血をボンゴレに混ぜるわけにはいかないと、彼らはそう言っているのですよ」
 嘲笑うように口の端を釣りあげた。
「屋敷を空けたこの二カ月のあいだにあなたもきっと考え直してくださるだろうと私は思っていた。しかし、あなたはまたこの部屋を訪れようとした。おおよそ百数年つづいてきた組織の純血を――ヴァリアーの主たるあなたが、かりにもブラッド・オブ・ボンゴレであられるあなたが踏みにじっていいはずがない! ……そう、あんな女ではなく、より優れた相手を選ぶべきなのです。私にお任せください。相応しい女性を幾人でもご用意できます。そうすれば、あなたの中に流れる貴き血を後世へ残すことが」
「血に優越もくそもあるか!」
 激昴してテュールは叫んだ。思わず言葉を止めたオッタビオにつかかみかからんばかりの勢いで近づくと、その肩を廊下の壁に叩きつけた。
「ハナコに対しておまえがどうこう言う権利はないし、その必要性もない。ほかのどんな人間も同じだ。本部の上層部だろうがなんだろうが、彼女を悪く言う人間がいるならオレはそいつを許さない」
 一息に言いきって、憤然とオッタビオを睨みつける。
「純血という言葉を二度と口にするな。少なくとも、オレの前では。分かったなら消えてくれ」
「テュール……しかし、あなたが守るべきものは」
「これが最後だ。行け!」
 オッタビオは堪えるように唇をかんでいたが、やがて静かに身を引いた。
 何かを睨みつけるように下を向いたその瞳に、ふいにぎらついた光が宿る。
 しかし、それもほんの一瞬だった。きびすを返し、何事もなかったように歩きだす。感情がごっそり抜けおちたような無感動な表情を浮かべたまま、音もなく、屋敷の中のもっとも奥深い闇に消えていった。
 
 息をきらして、テュールはしばらくその場に立ちつくしていた。
 握りしめた手が熱かった。内側からかすかに光が漏れでていた。まるで、指に燃える炎を灯したかのように。
 炎――ボンゴレの血を引くものだけが手にすることのできる王者の証。純血の証。
「くそっ!」
 テュールは壁に拳を打ちつけた。炎が指の隙間から火花となってあたりに飛び散る。
(なにが純血だ。なにがブラッド・オブ・ボンゴレだ。オレはただの一度だって、そんなものを欲しがったことはなかった……!)
「テュール様……?」
 テュールははっと顔をあげた。扉が開かれ、中から、不安げな顔をした若いメイドがおそるおそるといった様子で顔を覗かせていた。
「大きな声がしたので、何が起きたのかと思って……その……」
「いいの」
 部屋の中から別の声がした。
「わたしのことは気にしないで。それよりも、お願いがあるの。しばらくのあいだ、テュール様とふたりきりにさせてもらえないかしら」
「ハナコ……そう、わかったわ」
 若いメイドはちらりとテュールの顔をうかがい、おじぎをすると早足に立ち去っていった。
 開け放たれたままの扉から光がもれていた。つんとした消毒液の香りにまじって、かすかに淡い花の香りがただよっている。
「どうぞお入りください、テュール様。立ったままではお疲れでしょう」
 テュールは静かに室内へ足を踏み入れた。さして広くない部屋の中央で、若い娘が白い寝台に身を沈めたまままっすぐに天井を見上げている。
 飾られた花と揃いの白い夜着に、やわらかな黒髪がゆったりとかかっている。こぼれそうに大きな黒い目が明かりを反射してきらきらする光をまとい、まだ少女らしさの残る顔を年齢以上に幼く見せていた。
「お帰りなさい、テュール様。長期の任務の帰りでお疲れでしょうに、わざわざ足を運んでくださってありがとうございます。でも、もう怪我も治りました。見てください、わたし、もう起きあがれるんですよ」
 ハナコはそう言って、少し動かしづらそうな腕を器用に使い起きあがってみせた。
 確かに、目に見えて怪我は良くなっていた。テュールが屋敷を開けていた二か月ほどのあいだにほとんどの傷はふさがったらしい。足や腕や腹部に巻かれていた包帯もなくなり、あとは元の生活へ戻るための少しばかりの時間だけが必要なようだった。
「剣を持つことはまだ控えなければならないと言われましたが、いずれまた稽古に励むつもりです。わたし、また前線に立てるようになりたいんです。これまでお世話をしてくださったたくさんの方々や、テュール様のために――……テュール様?」
 何も言わないテュールを、ハナコは驚いたように見あげた。
「テュール様? どうされたのですか?」
「ハナコ……」
 さっき、あの若いメイドが何を言いかけたのかテュールには分かっていた。
 おそらく、ハナコも分かってはいるだろう。
 オッタビオの言葉を聞いたのか、という問いが喉元までせりあがって、またひっこむ。
 聞けば、彼女はいっそう傷つくだろう。そのことを彼女の口から言わせるのは自分で自分の傷口をえぐるのと同じことだ。
 だが、もし聞かずにいれば、彼女はずっと自分の内側だけに悲しみを押し隠したままになってしまうかもしれない……。
「ハナコ」
 かすかに震えているように見える肩に、テュールはそっと手を置いた。
「オッタビオの言葉を……聞いていたのか……?」
 一瞬、ハナコは真顔になった。
 聞いてはならないことを聞いたと思った。それでも、テュールはうながすようにハナコを見つめ続けた。
 彼女はしばらく目を閉じ、うつむいていた。
「……なぜ、わたしなのかと」
 小さなかすれ声が、テュールの耳に届いた。
「わたしがシチリアの血を引いていないことは明らかだと……そうオッタビオ様がおっしゃったところから聞こえてきました」
 ハナコの声は暗かった。オッタビオに、部隊の副隊長たる地位ある者にあれだけの言葉を吐かれたのだ。ましてハナコのような若者であれば、屈辱よりも悲しみが勝るのは明らかだった。
「でも、いいのです!」
 ハナコはぱっと顔をあげ、無理をして作ったと分かる笑みをうかべた。
「わたしは確かにこの島の生まれではありませんし、わたしの両親もこの国の者ではありませんが、それが問題になることはないでしょう――オッタビオ様は勘違いをなさっているだけなんです――わたしとテュール様が、そんな――あの方が思っていらっしゃるような関係になるわけが――……」
 そこで言葉がとぎれた。
 手も、肩も震えていた。作り笑いがはがれ落ちて、年齢相応のくしゃくしゃの泣き顔があらわになった。
 食いしばった歯の隙間から、とつぜん唸り声がもれた。
 見開かれたままの目から次々と涙がこぼれ落ち、握りしめた白い夜着の膝の上にぽつぽつと丸い染みを作る。
「ハナコ」
 テュールは腕の中にハナコを抱き寄せた。
「すまない……」
 泣きじゃくり、すがるように顔を押しつけてくる彼女を抱きしめながら、そうささやくので精一杯だった。
 胸の中には怒りが燃えていた。怒りの矛先はまずオッタビオへと向いた。だが、彼とて組織の伝統とならわしに従ったに過ぎない。純血を絶対のものとする、過去から受け継がれてきた古いしきたりに。
 そう、すべては純血などというふざけた思想が呼び起こしたものだ。テュールは唇をかんだ。それさえなければ、ハナコが否定されることも、こんなに苦しむこともなかった。
 テュール自身、昔からつづく考えを拒否し、ブラッド・オブ・ボンゴレであることを忘れ去ろうとしてきた。自分と同等にほど近い力を持ちながら、純血でないばかりにないがしろにされてきた者たちを多く目にしてきたからだ。
 戦いの時に<純血>を頼るのは、彼らに対する侮辱にほかならない。だからこそ、王者のあかしたる炎は絶対に使うまいと心に決めてこれまで剣ひとつで苦難を乗り越えてきたのだ。
 だが、あの瞬間――ハナコが自分をかばって倒れたのを見たその時から、テュールは自分がほかとは違う存在であることを強く意識せざるをえなくなっていた。
 部下から話としてだけ聞いた、燃えさかる剣をふるい、次々と標的を斬りつけたという自分――。怒りや憎しみ、どうにもならない思いを抱いた時に現れるだけだったはずのその存在は、今やはっきりとした形をとって自らの内に息づいている。
 すなわちブラッド・オブ・ボンゴレ、<純血>と呼ばれる存在として。
 かつてはそれを両親に感謝した時もあった。顔も見たことのない、幼い記憶に形づくられた想像上の存在。この髪と瞳の色を、まなざしを、そして血を遺してくれたであろう両親。
 ただ腹を空かせるばかりの親なし子など、外に放り出されるか、せいぜい盾として死にゆくのが関の山だっただろう。そうならなかったのは、両親が遺してくれた王者のあかしたる血がこの身に流れていたからだ。
 ヴァリアーの頭領という名誉ある地位まで昇りつめられたのも、この血のおかげにほかならない。本人にどれだけ剣の才覚があったとしても、組織を束ねるのはあくまでボンゴレの血でなければならないからだ。
 だが、そんなものも、今となってはただの妨げにしかならない。
 ハナコが傷ついたのは、純血のならわし、そして己が身に流れる、この呪わしい血のためだ。
(それさえなければ、彼女は傷つくことも、泣くこともなかった……!)
 ふと、幼い少年の姿がテュールの脳裏をかすめた。
 ――ザンザス。
 母親と共にスラムからやってきた、<炎>をその身に宿した少年。
 彼がいつか己の運命に気がついたとき、血と伝統に凝り固まったボンゴレに新しい時代をもたらしてくれるだろうか。炎の継承者であって継承者でない、変革と活力にたぎる若き力となって。
 だが、ボンゴレに心酔するオッタビオは血の純粋性を守りぬくことに執拗なまでにこだわり、テュール自身もまた、ザンザスの出生の真実を知りながらそれをひた隠しにしようとしている。本当のことを言わないのは、どこかに後ろめたい思いがあるからだ。ザンザスはブラッド・オブ・ボンゴレでも、九代目の実子でもなんでもない。そう告げれば、幼い少年が夜ごと思い描く無邪気な夢などまたたくまに壊れてしまうだろう。
 ――それでも、とテュールは思う。
 いつかザンザスが真実を知ったとき、掟を、しきたりの何もかもをはねのけて、ふたたび立ちあがる勇気を持ってくれたなら――……。
「テュール、様……?」
 腕にこもる力が急に強くなったのを感じとったか、徐々に落ちついてきたハナコが不思議そうな声をあげた。
「ハナコ」
 腕の中で震えている娘に、テュールはそっとささやいた。
「もうこれ以上気にやむのはやめなさい。誰がなんと言おうと、オレの君に対する思いは変わらない。君だってそうだろう?」
「……はい」
 そう小さく答えた唇に、テュールはそっと口づけを落とした。「いい子だ」
 ハナコを元通り寝台に寝かせ、毛布を引きあげてやる。小さな手をそっと自分の手でつつみこんで、テュールはそばにひざまずくようにしてハナコの顔をのぞきこんだ。
「今日は君が眠るまでここにいるよ。退屈しのぎに何か話を聞かせてあげよう。何の話がいい? 今回の長期任務のことがいいかい? それとも、うんと昔の話にしようか。たとえば……そうだな、オレとあのエンリコとで寮を抜けだして、野犬二十匹と素手で格闘した話なんてどうだろう……」
 
   ◇
 
 ――暗く、冷えきった室内にオッタビオはいた。
 こつこつと靴を鳴らして歩いていき、部屋の隅にある大岩ほどの大きさの物、それに被せかけられた布を一気にはぎとる。
 現れたのは、胴体と四肢、頭を持った、人形めいた物体だった。無機質な白い球体が目元と思しき部分にはめこまれ、まるまると太った胴に巻きつけられた黒い布はところどころが裂けて機械的な部品がいくつもむきだしになっている。頭はガラスのような透明の器でできており、電子部品や銅線が脳のごとくねじれているのが透けて見える。
 顎からは三本の排気孔が突き出していた。中央の一本からはビニール素材の管が垂れ下がり、もう一本には底部に格子がはめこまれ、残る一本はほかとくらべて格段に短く、ぽっかりと穴が開いているだけだ。
 人形めいたそれに近づき、その頬を慈しむように撫でる。
 ――モスカ。
 そっと、彼はささやいた。
 かつていくさのために造られた兵器。その時代のどんな武器よりも凶悪で、どんな人間よりも忠実になるはずだったという、機械人形モスカ。
 戦争の表舞台に出ることはなく、恐るべき力を持つその兵器は長いあいだ机上の空論に過ぎぬ存在として考えられていた。
 その実、第二次世界大戦ファシスト政権の軍部によって研究が進められており、イタリアの事実上の敗戦が確定する直前、その開発データは巨額の金とひきかえにマフィアに買収されていた。それがマフィア・ボンゴレ――いまや世界に届くかと思われる名声を手にする、古き伝統を受けつぐイタリアの巨大マフィアだった。
「……おまえを動かすには、まだまだエネルギーが足りない。地上に存在するあらゆるエネルギーをもってしてもおまえを動かすことはできない……そう、たったひとつ、たったひとつの例外を……ボンゴレの血族のみが有する特殊な生命力、死ぬ気の<炎>を除いては……」
 機械人形の無機質な表皮に頬をよせて、オッタビオはうっとりと呟いた。
「かつておまえのために、誘拐、人買い、さまざまな悪行がおこなわれた。さまざまな密約、闇の契約がとりかわされ、金と血が闇をめぐりまわった……。そしてボンゴレの遠戚、ブラッド・オブ・ボンゴレを持ちながら、一族を離れてひそやかに暮らすことを選んだ者たちは、ほんの生まれたばかりの赤子も、老いた者も、老若男女を問わず、さらわれて闇の中に消えた。おまえを造りだすための実験材料として。またある時はその動力源として。さすがのボンゴレも恐れをなして兵器の存在ごと闇に葬ったが、いつの世も人間のたくらみごとは潰えぬもの。金に目のくらんだ兵隊崩れどもは機密を売り渡し、マフィアを利用して多額の富を得ようとしている。実におろかなことだ。……まあ、そのおかげで私はこうしておまえの設計図を手にいれられたわけですが。ほかの人間もおまえの設計図を手にしてしまっているという事実はあまり喜ばしいことではないな。ろくでもないやつらに私と同等の力を持たれては困る」
 一歩、一歩と身を引いて、離れたところからモスカを見あげるオッタビオ。その瞳にぎらついた光が宿る。
「……私は諦めませんよ。何があろうとも。今のおまえは試作段階にすぎない、しかし動力源を手にいれたなら、私はかならずや完全なるモスカを造りあげてみせる。だからこそ私は純血を、炎を求めるのだ――」
 
 哄笑があたりを満たし、ふいに沈黙した。
 いつのまにか、オッタビオの姿は消えていた。あるかないかの風が、窓のない部屋の中をほんの一瞬かけめぐった。
 まるで最初からそうであったかのように、闇一色に埋めつくされた部屋で、機械人形はぴくりとも動かぬまま、静かに復活の時を待ちつづけている――。
 
     おわり
 
 TITLE:vertigeより「純血の掟」
 DATE:2011.8.15

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