炎を出そうとしないザンザスに苛だち、拳をふるう母。幼いザンザスには母の言う「炎」の意味を理解することができない。しかし、ある時を境にザンザスの憎悪はまがまがしい炎へと変貌する。
※ザンザスの母親がザンザスを叩いているシーンがあります。モブキャラクターの死亡シーンがあります。
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1
「どうして会わせてくれないの?『あの人』をここへ連れてきて! それが無理なら、私を『あの人』のところへ連れて行ってちょうだい!」
いきりたった女の声がする。
「何度も言うが、九代目はここにはいらっしゃらないし、あなたを連れて行く気もない。いい加減に諦めてくれないか」
まただ。
母さんはまたあの話をしている。家の入り口のところで、僕の知らない男の人達と『あの人』の話をしている。
ザンザスは寒さと痛みに震える足で歩くと、あまり日光の差し込まない部屋のちょうど棚の陰になる薄暗い場所に座り込んだ。まだ足が震えている。小刻みに動く足を忌々しそうに睨みつけ、ザンザスは膝をつかんで爪が食い込むくらいに力を入れた。
怖くない。僕はなにも怖くない。なにも恐れることはない。ザンザスの赤い瞳がにじみ、涙が頬を滑り落ちたが、ザンザスは気にしなかった。
男達とひととおり話が終わると母親はきまって怒りに震えながら部屋の中へ戻ってきて、ザンザスの姿を見つけてはその頬や背中を狂ったようにひっぱたく。ひどい時には拳と足でザンザスのまだか細い肩を殴り、蹴ったりもした。幼い白い身体はとっくにあざだらけになっていた。薄汚れた衣服の隙間からのぞく新しい傷はつい最近母親の手でつけられたものだ。
「どうして!? 私はあの人の妻よ! 息子だっているわ」
「その子が九代目の息子だという証拠でもあるのか。あんたの息子が九代目の血をひいているという証拠が!」
そこで一瞬の間があき、母は涙まじりの声で大きく叫んだ。
「――『炎』よ!」
炎……ザンザスは母の言葉を小さく繰り返した。
母親がザンザスに語りかける言葉の中には『炎』という単語が多く含まれていた。食事をしている時にも、眠る前にも、ザンザスを殴る時にも、母親は炎を出せ、炎を出せと何度も口にしていた。ザンザスには炎が何を意味するのか分からなかった。しかし母親の手でいたぶられながらも、ザンザスは痛む身体を抱きしめながら、母親が炎、炎と繰り返すのを聞いてその意味を必死に理解しようとしていた。
炎に関してことさらザンザスの記憶に残っているのは、かつて母親がザンザスのことを抱きしめるようにして可愛がっていた時のことだ。
あなたは炎を握り締めて生まれてきたのよ――母親はそう言いながらザンザスの頭を撫で、慈しむように小さな手のひらをなぞっていた。幼いザンザスにはその意味が分からず、そして今もまだ分かっていない。母親に叩かれるようになってからはますます分からなくなった。それでもザンザスは母親のことを嫌いなどとは一度も思わなかった。ただ、どうして母が自分を殴るのか、不思議でならなかった。
(きっと僕が『炎』を出せないから、母さんは怒るんだ)
ザンザスはそう思い、今まで何度もしてきたのと同じように、拳を開いたり閉じたりした。
母さんの望む子供にならなきゃ。炎を出せる子供にならなきゃいけないんだ。炎を。炎を!
「ザンザス! 来なさい!」
母の怒声にザンザスはびくりと肩を震わせた。また、炎を出せ、と言われるのだ。男達の目の前で。
僕にはまだ炎が出せない。母さんはまた恥をかく。男の人達に笑われてしまう。そしてまた、僕のことを殴るんだ。母さん、ごめんね。母さんを嫌な気分にさせてごめんね。炎を出せない子供になってごめんね。僕は母さんのことをすこしも喜ばせてあげられない、だめな子だ。
ザンザスはふらりと立ち上がり、玄関へ向かって歩き出した。
しかしふと、幼い心に恐れがわき起こり、ザンザスが気付いた時には身体が窓から飛び出していた。ごつごつした石の道に足をつける。母親の声が遠く聞こえる。ザンザスはふりかえらなかった。走って、走って、どこまでも走り続けた。
2
「海……」
ザンザスは疲れ果てて、砂浜に腰をおろした。町のはずれにある海だ。ザンザスの細い足ではさほど遠くへは行けなかった。
母さんが探しに来ればすぐに見つかる。それまでは、こうしていよう。ザンザスは砂浜に寝そべると手と足を大の字に広げて目を閉じた。ここにはなにもない。自分を叩くものなどなにもない。ザンザスは眠気を覚えた。ここでなら眠れる気がする――しかしふとかたいものが右手にふれ、ザンザスはばっと身体を起こした。
見ると、砂に汚れたライターが転がっていた。ザンザスは知らず知らずのうちにそれを手繰り寄せていたのだ。
「ライターだ」
つぶやいて手にとると、心がゆさぶられた。
ライターのオイルはまだ残っている。人の手で砂浜に捨て置かれたこんなものでさえ『炎』が起こせるのだ。自分はこんなものよりも劣るというのか。こんなちっぽけな、手で握れるくらいの存在にさえ、届かないというのか。
ザンザスはそっとレバーを押した。着火口から青い炎が噴き出る。
炎だ。炎がここにある。僕の手の届かない炎が。この炎が僕の身体に灯ったら、母さんは喜んでくれる……
「ザンザス、だめ!」
炎に触れるか触れないかしていた手のひらが、その声に弾かれたように離れた。
「さわったらあぶないよ。火は熱いんだよ」
「ハナコ」
「ザンザスが飛び出していったのが見えたから、追いかけてきちゃった」
ザンザスよりもひとつかふたつくらい年上の少女が走ってきて、ザンザスの手をとった。焼け跡がついていないことを確認すると安心したように笑みをこぼす。ためらうことなく大口を開けて白い歯をのぞかせている。大人びた風をしてはいるが、まだまだザンザスとなんら変わらない幼い顔立ちのままだ。
「どうしてライターなんてさわってたの?
――ザンザスのお母さん、また怒ってるの?」
ハナコはザンザスの隣に座り込んで、少しだけ遠慮がちにそう尋ねた。
「まただよ。母さんがまた男の人達を呼んだんだ。僕も呼ばれたけど……炎を出せって言われると考えたら、僕は窓から飛び出してた。逃げるみたいにここまで走ってきたんだ」
「お母さんの言う『炎』っていったいなんなんだろうね」
「僕にも分からない……でも僕はそれを持っているらしいんだ」
「私にもあるのかなぁ」
「ハナコは持ってないよ。炎は僕だからこそ持ってるんだって母さんが言ってた。『あの人』の息子だからって」
「『きゅうだいめ』さんだよね」
ザンザスはうなずいて足元の砂に目を落とした。
冬の海は冷たかった。凍てつく風が頬をそぎおとすように吹きつける。ザンザスとハナコはお互い身を寄せ合うようにして身体をあたためた。ここには二人以外の誰もいない。ザンザスは静かに目を閉じた。ずっとこのままこうしていられればいいのに。
「おっきくなったら『炎』が出せるようになるのかな。その頃には私もザンザスも大人になっているのかな」
ふいにハナコが声を出したので、ザンザスはぱちりと目を開いた。
「ザンザスはおっきくなったら何がしたいの?」
「なにも決めてないよ……僕はまだ」
「じゃあ大人になったら、私がザンザスのおよめさんになってもいい?」
大きな丸い瞳がザンザスを見つめていた。ザンザスはまばたきをし、ハナコを見つめ返した。
ふたりでこの町を出て、誰も僕達の名前を知らないようなどこか遠いところで暮らせたら……だけどそれはまだまだ先の話だ。遠い遠い、来るかも分からない未来の話だ。その時、僕がまだ『炎』を出せずにいたら、僕はどうなってしまっているのだろうか?
「私、ザンザスのこと大好きだよ。だからできるだけ長く、ずっと一緒にいたい」
「そんなの僕だって同じだよ。でも」
僕は炎を出せないまま、ハナコと別の場所で見捨てられて死んでいるかもしれない。
ああ、炎を出したい。炎がこの手にほしい。この手で炎を灯すことができたなら。
ザンザスの思いを感じ取ったのか、ハナコがぎゅっとザンザスの手を握り締めた。
「きっとだいじょうぶだよ。ザンザスはがんばってるから、いつか炎を出せるようになるよ」
ザンザスがそれに微笑みを返した時、ふいに後ろから頭をひっつかまれ、そのまま勢いよく砂に押し付けられた。頬に砂が食い込む。ザンザスがうめき声をあげて目線をあげると、誰かの足が少しの遠慮もなくザンザスの身体を踏みつけていた。痛い! そう叫ぼうとすると今度はいっそう力をこめられ、伸びてきた手がザンザスの口をつかむ。それでも必死に口を動かして歯を突き出す。
「こっちのガキはどうする? ――いでぇっ! 噛みやがったな!」
「男の方は死なないくらいに殴っておいていいぞ。女はあまり殴るなよ、値がさがる」
こいつら、人売り……? 人さらい?
はっとなって横を見ると、ハナコも同じように引き倒され、下卑た笑みを浮かべた男がその上に馬乗りになっていた。
だめだ――瞬間的に危険であることを感じ取ったザンザスが大声を出そうとすると、拳で頬を殴られた。いつも母親にやられているものとは力が比べ物にならないほど強い。それからも執拗に拳を加えられ、ザンザスの身体はぐったりとなった。はっきりとしない薄れた意識でなんとか視線を横にやる。
ハナコはガムテープのようなもので口をふさがれ、男がなにかしようとしている。こちらにひとり。あちらに三人。
ハナコ。ハナコにさわるな。ハナコにさわるな!
やめろ! やめろ! やめろ! やめろ!
ザンザスの全身から淡い光がふくれあがり、またたいた。その一瞬、光は炎となり、嵐のように天へと巻き上がった。
ザンザスをふみつけていた男の身体にその炎が燃え移り、男の衣服、肌、髪、全身をとめどなく焼き尽くしていく。男がのけぞり、砂に身を投げ出してのたうちまわったが、炎は消えるどころか勢いを増していった。仲間の男達は目を見開き、大きく口を開きながらその様子に見入っていた。誰も目を離せなかった。炎にもだえ苦しむ男と、炎を身にまといながら堂々と立つ小さな少年から。
「ぎゃああああ! あつい、あつい、くそっ、あぁあああっ――」
叫んでいた男の顔がとうとう炎につつまれて、喉がやけただれたらしく男は何も言わなくなった。それきりぴくりとも動かなくなり、黒と赤にただれた皮膚をさらして男は死んだ。
「あ、あぁっ」
ハナコを押さえつけていた三人の男達は息を呑み、あとずさった。
「消えろ! 消えろ! 消えてなくなれ!」
炎を身にまとった少年が一歩一歩、吐き出すように叫びながらゆっくりと近付いてくる。それなのに足が動かない。震える手で砂を握り締めることしかできない。ついにそのうちのひとりが弾かれたように飛び出し、何度も何度もつまずきながら、犬のように地面をかいて逃げ出そうとしたが、ザンザスがそちらへ向けてすっと手をかざすと、炎の弾がはじけて一直線にその男の方へ向かっていく。
逃すものか――全員ぶっ殺してやる! お前らはハナコを傷つけた!
炎はザンザスの思いに応え、男の身体を撃った。男の身体は宙で何回転もして地面に叩きつけられ、そこを狙ったように次々に幾重の炎が撃ち出される。炎は牙のように肌をえぐり、焼き尽くし、男はただの肉塊になった。残りの二人は恐怖のあまり泣き叫んで、ハナコを突き放すと、許しを請うように地面にはいつくばった。ザンザスの身体を包んでいた炎が唸り声をあげて男達をなめるように飲み込んだ。助けを求める叫びもろとも。
――意識を取り戻した時、ハナコはザンザスの細腕に抱かれていた。
まだ小さいながらもしっかと抱きかかえ、決して離すまいと腕に力をこめている。しかし彼の目の下は黒くくすみ、表情にはかげりが生まれ、赤い瞳はますます色濃くなっていた。炎だ。ハナコはザンザスの頬に手を伸ばした。ザンザスはやつれた笑みを浮かべた。
燃える砂浜に大人達が集まってきて震えあがり、水をかけたが、炎はそれから一晩ずっと燃え盛り続けたらしい。
ふたりは少し遠い場所からそれを眺めていたが、夜が近付いてきたので手をつないで帰った。
「かわいそうに。あの火事で二人が亡くなっていたらしいわ。あと何人見つかるか」
「あの砂浜、燃やすものもなにもなかったのに。水をかけてもなかなか消えないみたいだし、変な炎ね」
「なにもないところから火が起こるなんて、あるわけないわ」
帰り道、近所の店のおかみたちが集まってぼそぼそとささやきあうのを、歩きながら聞いた。
3
「――これは確かにボンゴレの死ぬ気の炎だね。君は私の息子だよ、ザンザス」
あれから数日、『あの人』がザンザスの家までやって来た。
母はかき集めた金で出来る限りザンザスを着飾ると、『あの人』の前に息子を立たせた。ザンザスが母に言われていたように手に『炎』をともしてみせると、『あの人』は炎をじっと見つめ、少し考え込むようにした後でザンザスを息子だと認めた。凍えるような寒さを気にしたのか、『あの人』はザンザスの小さな首元を包み込むよう、やわらかくあたたかい肩掛けをかけてあげた。
「あなたが、僕のお父さんなの?」
ザンザスがおそるおそる聞くと、
「そう、私が君のお父さんだ。私はボンゴレ九代目だよ」
「ボンゴレ」
ザンザスがそうつぶやいたのを聞いて、『あの人』はやわらかく微笑むとザンザスの頭をやさしく撫でた。
ザンザスがなにか話したり考えたりする暇もなく、話は次々にまとまっていったようだった。ザンザスは九代目に引き取られてこの地を離れ、九代目のもとで育てられることになった。ボンゴレというのはイタリアにいくつかあるマフィアのことだったそうだが、その時のザンザスにはまだよく分からなかった。母に聞いてみると、やさしい笑顔で「あなたは十代目としてボンゴレを継ぐ男になるのよ」と言われたので、ザンザスは大きくうなずいてみせた。
そうか、僕は十代目になるんだ。お父さんの跡をついでボンゴレ十代目になるんだ。
僕が十代目になったら、炎を出した時のようにお母さんが喜んでくれるし、きっとお父さんも喜んでくれる。
……でもそうだとしたら、ハナコはどうなるんだろう?
「そろそろ行きましょう、九代目。ここは寒すぎる。お体に障ります」
黒服の男達に言われて九代目がうなずき、しわの入った手がザンザスの背中をやさしく押した。
名残惜しむようにザンザスは何度も辺りを見回したが、大きな黒塗りの車の中へ押し込められる。
「ザンザス!」
声が聞こえ、ザンザスはふりむいた。ハナコが息を切らせてこちらまで走ってきていた。
黒服を着た男達がそれを牽制するように立ちはだかったが、ザンザスが飛び出してハナコの方へ駆け出すと、男達はぐっと息を呑んだように身を退いた。ハナコはぜいぜいと喉をならしながらしんどそうに息を吐き、ザンザスを見上げた。
「ザンザス、どこへ行くの? その人たち、だれ?」
「ハナコ、僕はボンゴレ十代目になるんだ。そのために九代目のところへ行って、色々勉強したり、習ったりするんだ」
「じゃあもうザンザスには会えないんだね」
ザンザスは答えられなかった。ハナコの目から涙がこぼれ落ちて、赤く染まった頬を伝って落ちた。
「ザンザス様」
黒服の男がザンザスの手を引く。ハナコはあっと声をあげてザンザスの背中を追いかけたが、車の扉を閉められてしまった。
それでもザンザスがなにごとかわめき、しばらくした後で窓が開いた。ザンザスは身を乗り出す勢いで窓から顔を出すと、ハナコに向かって大きな声で叫んだ。
「ハナコ! 僕が大人になって、ボンゴレ十代目になったら、絶対にハナコをむかえにいく! 結婚式をあげて、ハナコを僕のおよめさんにする! 十代目になったら、きっと――」
ハナコの目の前で窓が閉じ、車が動き出した。ザンザスの口はまだ動いている。年老いた男の憂いを含んだ瞳がザンザスを見ている。
見えなくなるザンザスに向かってハナコは涙をこらえながらずっと手をふっていた。見えなくなるまで、見えなくなっても、ずっと。
そう、僕はボンゴレ十代目になる。
父と母とハナコ、そしてボンゴレのために。
ボンゴレの前に立ちはだかるものすべてをこの炎で焼き尽くし、暗き地を照らす導きの炎となり、空を開くために。
そう、僕は十代目になるべくして生まれた。
僕の他にボンゴレを継ぐものはいない――オレの他にボンゴレを継ぐものはいない!
父と母のために、ハナコのために、オレはボンゴレの十代目となる。
気高く、誇り高く、翼をもって、ボンゴレの夜明けを導く炎に!
おわり
DATE:2007.5.5
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