ジル戦後、イタリアを飛び出して日本へ行ってしまったスクアーロのことが心配で仕方ない部下。ルッスーリアは心配する必要はないというが……
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「スクアーロ、まだ日本にいるみたいよ。回線の調子が悪かったのか、通信はすぐに途切れちゃったんだけどね」
そう言ってルッスーリアは、心配そうな表情のハナコの肩をなぐさめるように叩いた。
「ま、あの様子ならそう心配することもないでしょう。大丈夫、彼はきっと帰ってくるわ」
「……はい」
ハナコは微笑んだ。不安であることに変わりはないが、今はひとまずスクアーロが生きて日本にいると分かっただけでも充分だ。
数日前まで戦いの炎の中にあったこの地も、今は静かな闇に包まれている。夜も更け、敷地の端にある仮病棟は怪我人や病人たちの寝息がするほかはひっそりと静まり返っていた。
「あなたも災難よねぇ、ハナコ。スク、黙って出ていったんでしょ? そうしてボスに怒られるのはあなた。勝手な上司を持つと大変よねぇ」
そこで耳元に唇を寄せて、
「それに、寂しいでしょ。いつまでも待ってるだけなのも辛いんじゃないの?」
「それは……」
恥ずかしくなってハナコは下を向いた。何か言おうとしたが、うまく言葉にできずに喉の手前でしぼんでしまう。
スペルビ・スクアーロは昔からちょっと自分勝手なところがあって、しばしば自分ひとりの判断で勝手に行動することがある。
無論、その行動力は頼りになるし、周囲を惹きつける一種のカリスマでもあるのだが、彼に仕える部下たち、特に十年来の付きあいになるハナコはいつも気が気でない。数年前も剣帝になるための勝負だとかなんとか言って数ヶ月間も留守にしたばかりなのに、また彼は出ていってしまった。それも、ハナコに何も告げることなく。
ハナコにとって、スクアーロはただの上司ではない。尊敬すべき師であり、想い人でもあるのだ。
出会ったばかりの頃に芽生えたかすかな恋心は、いつしか愛情へと変わった。しかしそんなハナコの想いを知ってか知らずか、スクアーロは剣を片手にふらふらとさまよってばかりいる。
それでも彼への想いは変わらない。いつも待っているだけのハナコだったが、その立場がどこか心地よくもあった。
彼のところへ行くことはできないが、帰ってくる彼を迎えることはできるのだ。その自信が今のハナコを支えていた。
――だが、今回ばかりは少し話が違う。ミルフィオーレのラジエルを撃破した喜びに浸れたのも束の間、新たなる敵はすぐそばまでやってきていた。白蘭が真六弔花と呼んだ人間たち、敵の落とした無線から現れた映像の彼らはどれも異様な雰囲気をたたえ、消えていった六弔花など気にかけるそぶりもなく余裕に満ちた笑みを浮かべていた。
スクアーロがアジトを飛び出していったのはそれからだ。おそらく、日本の沢田綱吉の元へ向かったのだろうとハナコは思っていた。ルッスーリアの知らせが本当なら、やはり彼は日本にいることになる。そして来る真六弔花との戦いに挑むのだろう。
彼はまた遠くへ行ってしまう。そんな気がする。きっと、自分の手の届かないほど遠くへ……。
「あら、起こしちゃったかしら? ごめんなさいねえ、うるさくして」
すぐそばにあるベッドの上で何かがもぞもぞと動いた。毛布を滑り落として身体を起こした若い男が、目を細めてハナコとルッスーリアを見る。
「ルッス姐さんがここにいるってことは……また仕事ですか? オレ、まだ眠いんスけど」
「ただの世間話よ。いいからあなたは眠ってなさい。朝になればまた馬車馬のように働かされるんだから」
クーちゃんの治療じゃ根本的な疲れはとれないんですからね、とルッスーリアはいたずらっぽく笑って毛布をかぶり直させた。
ルッスーリアの匣兵器である晴クジャクには晴れの力で細胞を活性化させ、怪我を治療する能力がある。ただ、その活性化の影響で髪と爪が伸びる。ハナコはその処理を任され、戦いが終わってからも、ここで怪我人や病人たちの世話に当たっていた。
晴クジャクはここ数日働かされっぱなしでくたくたで、今は匣の中ですやすやと眠っている。兵器でも疲れることがあるのか、と尋ねたハナコに、兵器は兵器でも生きた兵器ですからね、とルッスーリアは愛しそうに匣を撫でて答えたのだった。
「うるさくしてるのはルッス姐さんたちじゃないですか。うるさくて寝られやしないですよ」
「なによ、女子のちょっとしたおしゃべりタイムじゃないのよ。すぐ終わるからがまんなさい。ハナコを働かせっぱなしだったのはあんたたちのくせに、ごちゃごちゃ文句を言うんじゃないわよ」
眉も爪もひげも伸び放題だった若者の姿を思いだして、ハナコはくすりと笑った。若者が少し顔を赤くして恥ずかしそうにうつむく。目ざといルッスーリアがそれを見逃すはずがなかった。
「あらあら、なんなの? あなた、もしかして……」
「わかりました、寝ます。寝ますよ。おやすみなさい」
「ちょっとぉ、まだ話は終わってないわよ。言っとくけど、この子を好きになっても無駄ですからね。ハナコは十年前から彼一筋なんですもの。ほら、あの子の首にかかってる首飾りを見てごらんなさいよ。あれ、スクアーロがあの子にあげたものなのよ。ね?」
ハナコの頬がみるみる真っ赤に染まった。金の鎖の首飾りの先には、勝利を表す文字が刻まれた石がつけられている。数年前、お守りだと言ってスクアーロがくれたものだ。
(おまえは、ここぞという時の踏みこみが甘いからなぁ)
――後ろからハナコの首に鎖をかけてやり、留め金をいじりながらスクアーロは言った。
(恐れるな、とは言わねぇ。怖くなる瞬間ってのは誰にでもあるもんだ。だが、それでも立ち向かわなくちゃならねぇ時もある。ただ何もせずにいるのは死ぬのと同じだぁ)
ふっと手が離れた。スクアーロが前へ回りこんできてハナコを眺め、これでいい、というふうに頷く。
胸元に小さな石がおさまっていた。燃えるような光を帯びた赤いその石の中央で、勝利を表す文字が煌々と輝いていた。
(オレは死を否定する気はねぇ。生きてりゃいつかは死ぬ時が来る。だが、何もせずに死ぬのと抗って死ぬのとでは意味が違う。普通の人間ならともかく、オレたちのような人間にとってはなぁ。……ハナコ、おまえは死と敗北の恐怖を知っている。だからこそ、勝って得られるものに意味を見出すことができる)
そこでかすかな微笑をうかべ、スクアーロはやさしい目をハナコに向けた。雪の日の空の色にも似た、青灰色の瞳が静かに見つめていた。
(オレたちは勝たなければならない。勝って、生き残るんだぁ。わかるな、ハナコ……)
「――ルッスーリア隊長!」
ハナコが思わず石を握りこんだその時、扉を押しあけて隊員のひとりが駆けこんできた。
「騒々しいわねぇ。いったいどうしたの?」
「それが、先ほどの通信が途切れた原因ですが……」
そこでちらりと部屋の中を見やり、ハナコがいるのに気付くと暗い表情になった。
「ここでは少しお話ししにくいことで……一緒に来ていただけませんか。ご報告したいことがあるのです」
「――わかったわ。一緒に行きましょう」
ルッスーリアがすっと真面目な表情になった。
「ハナコ、あなたはここにいなさい。ここで休んでいる隊員たちは皆あなたを頼りにしているのよ。何が起きても彼らのそばにいてあげて。わかったわね」
「……はい」
言い聞かせるような口調に違和感を感じたが、それ以上は何も言わなかった。あわただしく部屋を出ていく彼らを見送って、ハナコはまだ目を開けたままでいる先ほどの若者を眠らせようと、声をかけて毛布をかけ直させようとした。
その瞬間、胸の奥に鋭い痛みが走った。思わず背中を折ったハナコの首から、金の鎖が滑り落ち、床にぶつかった赤い石が激しい音をたてて砕け散った。
「どうした!? ……首飾り、壊れたのか?」
若者が身を乗りだしてきて覗きこんだ。
拾いあげた金色の鎖は、まるで剣か何かに断ち切られたように途中からぶつりと千切れている。
「ええ……いつも首にかけていたから、知らないうちに無理な力をかけてしまったのかも」
ルッスーリアの言葉を思いだし、ハナコは石の破片をかき集めながら心配をかけさせまいと微笑んだ。
だが、あまりうまく笑えていなかったらしい。こちらを見つめる若者の顔には、戸惑いの色がありありと浮かんでいた。
「……ごめんなさい。少し、外に」
知らないうちに声が震えていた。何も言わずに頷いた若者に背を向けて、ハナコはテラスに駆けこんだ。
夜風が身に染みる寒さだった。冷えた扉に背をもたせかけて、息をつく。握りこんだ手の中の、金色の鎖の先で、わずかに残った赤い石の欠片が鈍く輝いている。
勝利の文字は砕け散った。形にならない不安が胸の中で震えていた。
「スクアーロ隊長……」
小さく、ハナコは呟いた。
遠く離れたところにいる彼への思いが急に強く胸にこみあげてきた。指を組み合わせ、目を閉じて祈りを捧げる。
(隊長――どうかご無事で……)
アジトの中が騒がしくなりはじめた。何かあったのだろうか。室内へ戻ろうと扉に手をかけてから、ハナコはもう一度だけ空をふり返った。
手の中に握りしめた石の破片が、痛いほど手のひらに食いこんでいる。山の端に光がにじみ、かすかに青みを増しはじめた空に、小さな星が残り香のようにいくつも尾をひいて流れ落ちていった。
おわり
TITLE:vertigeより「繋ぎとめるもの」
DATE : (2008.04.02)
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